「やっぱり古着ですね。古着加工というのはありますが、本物の古着にはかないません」と、確か今月の「ファイン・ボーイズ」だかに、誰かが書いていた。
ファッションにおいて、デザインよりも質感のほうが、より芸術的表現力を持つというのは私の持論だけれど、キャンバスに焼け爛れた子供服を貼りつけていたのは、キーファーだった。
さて、末藤さんの個展会場には、フランスの古着や端切れ、といっても、100年くらい前のやつが、沢山はりつけてあった。
古着といっても100年もたつと、味わいもラグ・シーなどとはけた違いにすごい。キキーファーとは違って、どこか上品さ、格調、いや、大切に扱われてきた重みというものが、会場を満たしていた。
とはいえ、骨董品の展示会とは違い、用途不明の布切れ、センスの良いディスプレイがこれまたアーティスティックで素晴らしい。
この質感というものを、ペインティングで追求する人もいるのでしょうけど、端的にこういう方法を大胆にやってのけるという、ちょっと反芸術的なところも、個人的には大好きです。
高校生のとき、新潮文庫版「レ・ミゼラブル全5巻」を、学生服の上着のポケットに常備していた私、白水社「ルソー全集」を集めるべく、博多の古本屋を奔走していた私、「19世紀フランスを語る機会は一生2度とない」と思っていた私は、つい口を滑らせてしまいましたね。
「もしかしてミリエル神父はこんな寝巻きで寝ていたのでは!」「マリウス君が擦り切れるまで着ていたシャツはこんなでは?」などなど、心の中で叫んでました。
本物ですよ、本物、しかもお触りOK! 今回はやられました。
鹿島先生ありがとう!というわけで、しかしこれ、私のような一部変態が小躍りする企画、本当にこれでよかったのかと、ちょっと心配になりました。ていうか喜び過ぎ?>自分。