アート織田の週末画廊日記
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2005年8月8日

作家: 野村佐紀子
タイトル: 個展
場所: アートスペース貘


会場にて撮影(部分) Infobar@AU

 よくよく考えてみると、私はそれほど不幸ではない。もっと、すごく不幸で、全く完全に絶望的な人は沢山いる。奴隷のような人生であったとしても、「のような」に過ぎず、社会的地位として奴隷でも、檻に入れられているわけでもない。
 そういうグレーな部分で、これらグレーな写真に囲まれて、私は運命論について考えていた。
 先日読んだマルチン・ルターの演説集によると、「神の決めた事こそが全てであり、人の願いなどは無意味である」という厳しさがあった。「祈りとはゲッセマネの丘のそれである」ということだ。「父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願いどおりではなく、御心のままに。(マタイ26−39)」だ。
 あるいは、人の選ぶ決意は運命を超える未来を勝ち取るのかもしれない。きっとそういう人たちも沢山いるのだろう。
 きっとどちらにしても、人は強くなれるだろうし、立派にもなれるだろうし、救われた気持ちにもなるだろう。
 しかし、私はどちらでもなかった。写真のように、光の中にありながら暗く、だるく、刹那で悲しいのだ。
 それがどうして魅力的に感じるのだろう。生き方というのは難しい。


 自分限定でいえば、無信心で意気地なしなだけですね。それがいつかは自分の首を絞めるのかは不明ですが。
 それに無趣味なのも良くないと思います。何か出来たらと違うとは思うのですけどね。
 後は倦怠(「けだい」と読むのが通!)マジデ来てます?って毎回同じこと言ってますけど。

 というわけで、今日のひとこと。
 「明日はどっちだ」


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