結局は孤絶か
いつもながら、絵とは直接関係ありませんが・・・。
人間がアウトサイダー化していくきっかけとして、いくつか考えられますが、例えば、一般以上の真実を追究する、あるいは突出した才能に恵まれる、あるいは、不幸に陥る、あるいは、心を病む、などです。
その場合、代償による満足、おたく化という別世界への一般化、などで回避できず、かといって昇華も出来ない場合、人は社会にありながら、引きこもったように自己の闇に孤絶していくわけです。
黒闇と題された作品展、一枚の写真には、指輪をした男性がうっすらと闇の中から浮かび上がっています。
そういえば、私も外出するときは、ウザイほど指輪をします。右手に二つ、左手に二つ、他に、バングル2個、時計、ネックレス2本、3本セットのキーチェーン、一応これが基本構成です。
これは、装飾というより、威圧といっていいでしょう。自己に孤絶するには、他者を遠ざけてこそってわけです。
写真の男性も、やはり孤絶者特有の威圧感があります。
それにしてもアウトサイダーはこうも救いがたいのか。
コリン・ウイルソンの本にもそれは結論ずけられていません。
とりあえず私の場合、徒手空拳、ただその闇の中に、じっとして、人生の終わるのを待つだけでしょうか。
とりあえず、際限のない孤独をじっと噛締めれば、ずっとそうして我慢すれば、いいのでしょう。
片山勇のことば「外国だろうと、どこへ行ってもなめられたらいけない。イタリアでの俺のあだ名はデンジャラス・ガイだった」