人は何故絵を描くのか
人は紙とペンを持った時、無意識に、つい書くものは絵である。(詩はあまりない。)
子供の落書き、ノートの隅、答案用紙の裏、会議の資料、大人になったって変わるものではない。
僕なら例えば、ヤマト、009、とか、好きな女の子、その他抽象的なもので、数字の閉じた線を塗りつぶす人もいる。
特に書きたいのではなく、ついペンが動いてしまうものだ。
これはきっとリビドーの成せる業にちがいないと、僕は思う。
人間には、誰しも落書きをする本能的な衝動がきっとあるのだ。
金子さんの作品も、原点はそこにある。
リビドーの放出が、きれいに整形され、かっこよく展示され、あるいはそれは製本された日記のようでもあり、生体標本のようでもある。
うらやましい、と僕は思う。
彼女は象徴派のように、「自分=ゴールド・デニム」といった、回りくどくもわけのわからん手法をとらず、常に直接的である。明確で端的である。
しかし考えてみると、それは彼女だから出来ること。
明るく、屈託のない、本人がいるからこそ、この迫力のある自己表現も良いというものだ。
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