アート織田の週末画廊日記
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2007年11月18日

作家: 伊藤雅晃、世利好薇、武内貴子、花田恭子
個展タイトル:「箱」それぞれのかたち展
場所: ギャラリーおいし


会場にて (au MEDIA SKIN VGA)

伊藤雅晃
 フォルムが重量を予感させる作品。  質感が表面の荒々しさだけでなく、端的に切られた斯く斯くしい部分からも伺える。
 ばっさりと切られた四角い土器。
 今回のグループ展のタイトルである、「箱」にあわせて作られた四角い作品が、工夫された焼きによって、重厚さを得る。
 そして、持ってみると意外と軽い。人生のように軽い。
 よく焼かれているのだなあと思う。
 これとは別に、湯のみでお茶をいただいた。
 短いながら贅沢な瞬間である。
 こうした時間も大切だと再認識する。



(部分)会場にて (au MEDIA SKIN VGA)

世利好薇
 人をからめて、それを養分に育つ植物。
 世利さんが得意とするテーマである。
 考えてみるとブラックなテーマを、世利さんは淡いグリーンでクールに描く。
 本来ならこのテーマの絵が沢山かざられていたら、諸星大二郎かと、思うだろうが、そうではない。
 モロダイのような不気味さではなく、半分の明るさが、この絵のおおきな救いである。
 絵を見る。人物の顔は少し怖い。見開いた四白眼が中を漂う。
 手先も服もなんだか怖い。捕らえられた宇宙人っぽい。
 しかし、全体はどこか奇妙で、可笑しい。人生のように可笑しい。
 世利さんの独自な世界観は、いつ見ても新鮮に思える。



会場にて (au MEDIA SKIN VGA)

武内貴子
 白いきれいな紙がおいてある、白いイス。
 華々しく、清楚だが、少し寂しい印象を受ける。
 それはやはり、映画館とかで、ものがおいてあると、誰かそこにすわるという約束ごとがあるからだ。
 もちろん、このイスには誰も座らない。待っていても無駄である。
 しかし、おいてある物は持ち主のものである。
 リボンのような、レースのようなもの。女性的で、かわいらしく、キレイな白。
 武内さんのは、大きな展示でも小さな展示でも、じっと見つめさせる、空間の深い意味を考えさせられる。
 長らく見つめるべき、印象がそのあたりにとどまっているのだ。
 自分が死んでも恥だけがいつまでもそこにあるように、本人不在であることがおおい、こうした展示会でも、イスと紙で多くが語られている。
 インスタレーションの本質を示せる人はそうはいない。
 単純ながら意義深くすばらしい作品。



会場にて (au MEDIA SKIN VGA)

花田恭子
 これも今回の展示のしめくくりというべき、箱の積み重ね。
 この作品からは箱の意味を考えたい。
 この展示に関連して、「箱庭療法」に関するレクチャーがあったようだ。
 心理学に特に興味がある私としてはぜひ聞きたかったが、もう済んだプログラムだった。
 言葉に出来ない気持を箱庭にする、とは、何ともセンチメンタルで象徴派なんだろ、と思う。
 でも、きっと私には何も入れられない。きっと砂を詰めて、終わりなのだろう。
 この作品の最上段の箱には「モノ」が入っている。
 自分なら何を入れるだろう。
 バックラッシュのコンバットブーツか、携帯電話か。
 どちらも自分の分身のように大事だが、残念ながら自分のプロダクトではない。
 正解は「空」である。
 人生の箱は抜け殻であり、その一回性ゆえ空虚である。
 私の箱展は彼岸はるかに遠い。

服装戦線各駅停
 通勤・休日を黒一色で過ごす、コードネーム「ブラックストーン(アップグレード版)」
 やってみると意外と楽。

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