不定期シトロエン日記



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2002年4月4日
大変です。クルマぶつけちゃいました!とその前に。
エンジン不調は結局直らず、少しづつ手を入れる事に。「まず怪しくて安いところから」がセオリーなので、点火系をチェックです。デスビキャップ、ローター、プラグケーブル・プラグを交換。とりあえずでしたが、やっぱり直りませんね、はい。同時に水温センサーの不良を発見、で交換。エンジンハーネス(エンジンと弁当箱を繋ぐケーブル)の被覆が熱でボロボロになっているのを発見、でこちらはそのまま(高いらしい)。で直ったかというと直ってない(^_^;)。とりあえず、(ここまでで約6万円)カレラワークスから受け取り、その次の週のことでした。
破損個所は、エンジンフード(要交換)、フロントグリル(要板金)、左ヘッドライト(要中古)、左ウインカー(予備部品あり)です。修理総額は10万円を超える模様。
「壊れたら直す」がモットーでやってきましたが、いよいよ資金が尽きました。仮に今修理したとしても、9月車検でドライブシャフト、ショックと足回りの大物交換が待っています。どうしよう?あなたならどうします?
ということで、いよいよ見切りをつける決心をしました!(本当)
さらばAX!!
AXは本当に素晴らしいクルマでした。私にクルマの喜びを教えてくれたばかりではなく、数多くの想い出をくれました。JAF2回、入院数知れず、窓落ち、エアコン死など、読者の皆様にも数多くの笑いを提供してくれたものと思います。この日記を読みなおすと、涙もあふれてきますが、もうお金がありません。
とりあえず、車検の切れる9月まではどこかにおいて置きたい気持ちです。見なれたエンジンルームをさわっていると、今まで一度も点灯しなかった左のフォグランプが偶然点きました。最後まで愛嬌のあるやつです。次に買うお金のかからない国産車には、絶対こんな芸当は出来ません。
というわけで、このページもひとまず終了です。お金が貯まったら、今度はC3でも5年落ちで買っているかも。我々のカーライフは終わりません。NO LIFE, NO CAR!

2001年9月30日
朗報です。エンジン不調の件、解決しました。スロットルワイヤーの調整不良でした。ワイヤーのアウターがたくれててスロットルが戻りきってなかった時があったようです。蛇腹のピンを一段ずらして、アウターをテープで固定して、はい終わり。うそのように好調です。8万7千キロで2度目のタイミングベルト交換のため本日再入院。
2001年9月8日:
本日オルタの修理完了。中古品とリビルトして、+バッテリー+工賃で約7万でした。やすく上がったほうでしょう。で、帰り道。再びエンジンが息を継ぎ始める。つぁー、ってことはオルタはシロだったか?(まあ壊れたのでそうとも言えないけど。)でとりあえず気休めで、STPのインジェクションクリーナーを投入。
2001年9月1日:
テレビでタイタニックやってますが、こっちもタイタニックです。今度オルタネーターが天寿をまっとうしました(二回目)。やっぱりバッテリーが巻き添えに。しかし今回は前兆を見過ごした。下記アイドリング不調の原因はやはり電気系統、しかもオルタであると判明。あー!今度はいくらかかるんだ〜!?特別編も必読!
2001年8月25日:
朝晩めっきり涼しくなってきました今日この頃、エアコン再再再度復帰です。コンプレッサーが天寿をまっとうしたようでした。そしてリビルトなんかせず新品交換。エンジンルームの下で、他のどの部品よりシルバーに輝くそれは悲しいほど美しい。いくらかかったなんて、もうどうでもいい。グッドバイ!諭吉(多勢(ラグビーチーム))!
さて、マイナートラブル。ルームミラーがある日落ちました。2液混合式のガラス用接着剤(\450)がいいようです。あと、アイドリング不良。ちょくちょく止まるので、アースを増強しましたら良くなりました。バッテリーのマイナスから直接ボディー(右リレー下のネジ)へ。コードと端子(\2600)を買って会社の工務の圧着機で自作しました。太い外見がGOODです。次回再びタイミングベルト周り交換予定。
2001年6月4日:
先日、エアコンの修理を完了しました。ガンガン冷えます。ビバ!エアコン!
まず、いまさらいうのも何ですが、最近このページを更新するのがつらい! ていうか、痛々しい。自分で。
でどこを修理したかといいますと、お約束リキッドタンクです。中身も外もかなり錆びてましたね。しかしこいつ、ふうキロ円したそうで、メルセデスのそれより高いそうです。実は高級品のエアコンだったんですね。でも、リキタンの表示窓のが実に頼もしい。いつまでもいつまでも青くあってくれ。ビバ!リキタン! ところで、もしかしたらシトロエンのエアコンって、日本の平均所得より低い凡人の所有するクルマじゃないのかもしれませんね。ボーナスもってかれちゃいそうです。でも私がんばります。ビバ!凡人!(その後すぐにエアコンが効かなくなり、日記が書けないほど落ちこんだ 8/25)
2001年5月17日:
今回の件は私の不勉強でした。AXの場合、給油口は右側にあるものの、FUEL系のラインは全部左側。しかし今回の漏れは右側。そして、右前タイヤハウスの奥にあるものは、何とキャニスターだったのです。キャニスターとはガソリンタンクからのガス抜きの出口で、気化する際にフィルターでろ過する一方、流入するガソリンはエンジンに送るというものです。ここにガソリンが入りすぎたというだけの事だったのですね。ちなみに「ガソリン&漏れ&キャニスター」で検索すると、結構あります。しかし、カレラ・ワークスには本当にご迷惑をおかけしました。
あと、今年もエアコンききましぇーん(疲)。
2001年5月11日:
画廊日記より続く
「何ですかぁ!これはぁ!」
四国の松山の山深く、440号の脇に止めたAXのタイヤハウスの下に見たものは、滴り落ちるガソリンだった。
「燃料が漏っている・・・・」
まずい。これはまずい。みなさんは映画「スピード」や「ダイハード2」を見ただろうか?あれだ。あれほどではないが、確実に点滴のように漏れて、路上にガソリンの水たまりを作り始めていた。とりあえず、カルストの観光パーキングが近いので、そこまで走りつづけた。ガソリン臭さは一層強くなった。どこかに貯まって行ってるのだろうか?
とりあえず、広い駐車場の一番端に停め、現状確認に努めた。タイヤハウスは軟質のプラスティックで出来ていたので、はぐって見たが、そこにはガソリンの流れた跡があるだけで、特にホースは走っていなかった。位置からすると、やはり右フェンダーの中があやしい。しかし、ここでフェンダーをあけるのは明らかに骨折りだし、ホース亀裂にしろ、パッキンにしろ、何もなしに修理できる自信は無かった。仮にJAFが来たにしろ、何か出来るわけではないし、勿論入庫する工場もあるわけなかった。落ち着け自分。燃料漏れなんて、シトロエンにはつきものじゃないか。シトロエンだけじゃない。すべてのフランス車、イタリア車にだって良くある事だ。
「自走するしかないな」
私は決意を固めた。ホースに出来るだけ負担をかけないよう、スロットルは極力踏まなかった。しかし、もし引火したら・・・。ダイハード2のラストシーンが頭に浮かんだ。「消火器を買っとけば良かった」とも思ったが、そういう問題でもなかった。
とにかく祈った。祈るしかすべが無かった。「無事に辿りついてくれ!」
380号をしばらくよたよたと走り、小田町の小さなスーパーに車を止め、再び確認する。すると、びっくり
「漏れが止まった」
祈りが通じたのか、故障個所は自然治癒した。これは科学的には解明されていないが、燃料タンクのごみが血小板のように詰まって止めるとか、熱で癒着するとかの仮説がある。いや、やはりスロットル開度と関係しているのか? あるいはクルマの傾斜角か? 何でも良いが今がチャンスだ。一気に三崎町まで走りぬくんだ。
フェリー乗り場でも確認したが、漏れはなかった。フェリー内でダダ漏れして、もし引火したらしゃれにならない。「海の上のピアニスト」のラストシーンが頭に浮かんだ。「原因はシトロエンの燃料漏れでした」なんてことになったら、全国のシトロエン関係の人に申し訳ない。いやそうじゃないだろって。
そして今、こうして日記をしたためている。無事で何よりだ。原因追求は来週にしよう。
2000年7月1日:
今回の修理をまとめます。エキバン交換、エバポ(RS uno製)交換、コンプレッサーオイル交換、+PW修理(カレラワークスでアームを溶接)+バンパー固定(自分で)という内容です。これで完璧ですね。いくらかかったかは「ふわわキロ円」をちょっと超えるくらいです。今回燃えてるのはクルマじゃなく私です。いたいです。ところでこのRS unoのエバポ、安いですが冷えは今一つという感じです。さあ、次は車検だ!
2000年5月3日:
稲富電装が連休で休むというので、AXを引き取ってまいりました。とりあえず、エキバン交換で、あとは何だろう?まだフロン漏ってます。続きは連休明けですね。ちなみに私に連休はありませんが。愚痴ったとたんに、助手席の窓ガラスがコトンと落ちてしまいました。電動窓の部品の何かが外れたようです。開きっぱなしはなんなのでハメ殺しにしときました。エアコンと窓ってセットで故障するようです。真夏でなくて良かったです。(そういう問題です。もうこうなると。)
2000年4月15日:
AXは無事退院しました。修理内容は、
Fブレーキパッド交換
ドライブシャフトブーツ(F両方アウターのみ)交換
です。部品・工賃でなんと「おゆキロ円」。高いのはブーツのせい。どうもブーツ交換にはシャフトを抜くと言う大胆な行為が必要だったようです。あんなもん外からスポット抜けるようにしときゃ良いのに。あほかっちゅうにホンマ。けど特筆すべきはギアの入りがスコスコになった。さすがカレラワークス、シャフトを入れるときのシンクロがきっちり合ってる。快適快適。めっけもんめっけもん。
あと、まじでエアコン逝ってます。来週は電装屋に入院っす。最悪エバポか?ああ、入退院を繰り返すって、なんてエンスーなクルマなんでしょ。ここ泣くとこ(;_;)
2000年4月8日:
みなさんお久しぶりです。調子の良かったこの半年、人生そんなに甘くないようです。
先日、天気が良すぎてちと暑いということで、一発エアコンでもと思ったわけです。(さあ、ここで既に口元が緩んだ皆さん、笑うとこではありませんよ。)そしたら熱風があふれ出るですよ。愕然としましたね。「ついに来ちまった」かと。
でも、最大の悲劇と決める前にとりあえずフロンでも入れときますか、ということで、2本ばかり入れました。で今度は凍るばかりの冷風が。うーん、これでこの夏過ごせばなんとかOKかな。どうなんでしょ。漏れてるだけならギリでセーフ?
でもガス入れるときに見つけてしまったんです。ブーツのや・ぶ・れ。まじかよー。これはさすがに即修理ということで、カレラワークスに電話して、来週入院を予約。ついでに残り少ない前輪のシューを交換。5月には税金もあるし。・・・誰か内職世話してください。
1999年11月2日:
3日前の話。湯布院へ行くんでいつもの通り運行前点検だ。うーんいつもながら絶好調だぜと思いきや、なんとエンジンとオルタネーターの間にある配線の蛇腹状のカバーが溶けてる!!しかしそれでちゃんと走ってる車にも関心する。まあ配線自体はまだ溶けていないが、これでは配線もあぶない。最悪発火という事態も想定される。「とりあえず消火器買っとくか?」ではなく、とにかく何とかしなければ。という時、まず飛び込むのが「ナフコ」である。なんかないかと探してついに見つけたのが、エアコンの排水ホース。なんか形状、質感がそっくりって感じ。色も白いのが気に入った。で、さっそく50円で1本買って、取り付け作業。切って開いて溶けた部分に装着!これが蛇腹の間隔、太さともズバリぴったし!おいおいもともとこれエアコンの排水ホースでないの?とどうしても思えてしまう。ものがものだけに耐熱性が不安だが、湯布院まで突っ走ってもまったく平気なので、ちょっと安心。でもやっぱ消火器買っとくか?
1999年9月5日:
路上でサイドブレーキを引いたら右後輪がロックした。後ろには回るが前には回らない。ふっ、これもフランス風ジョークかい?と思っていきなりJAFに電話。こんなこともあろうかと、携帯には九州各県のJAF番号が登録されている。そして以前より評判の高い「カレラワークス」に入場を予約。20時にもかかわらず「まってますよ」との事。有り難くて涙が出る。修理の結果はブレーキシリンダーからのオイル漏れで、パットが外れ固着したとの事。大事をとって左右のシリンダーを交換。全治2日で支払いを済ませると再び涙が・・・って涙なんかじゃないさ!
1999年7月4日:
雨がひどく降ると雨漏りがする。オープンカーでもないのに。漏水個所は2箇所。運転席の窓の外からドア内部に漏水し、内装を湿らせドアの下の小物入れを水で満たす。もう一つはリアハッチのパッキンが死にかけていて、水圧に耐えられず、トランクの仕切り版を海にする。ナフコで耐水すきまふさぎテープを購入し、ハッチのガラスに貼りつける。これでハッチの雨漏りは止まるはずだ。しかし運転席の方はなすすべがない。まあ、実用的には問題がないし、早く梅雨が終わることを祈るしかない。心を広く持とう。
1999年5月30日:
アマリーのオイル(15W−40)を入れてみる。オイル交換して良くなって当然だが、それ以上に良くなった気がする。特に2000回転から3000回転の滑り出しが良くなった。すーっと走る感じがなかなかGOODだ。
試走のついでに、ぬうわキロで飛ばしてみる。「このあたりじゃオイルも何もないな」などと独り言を言っていると、インテグラのタイプRがさらに高速でぶち抜いて消えて行った。おいおいここは一般道だぜ。
1999年4月29日:
深夜、駐車場までたどり着くと、フロントのリアスポイラー一体型のバンパーがはずれかけてガタガタしていた。だいたいこんなところがはずれるか?ふつーと思いながら、夜中に作業するのもイヤだし、朝修理することにした。自分で修理できるのか不安だったが、なんのことはない、ネジなどはつかわずに、力ずくではめこんで、何なきを得た。しかし。はずれたりはまったり、なんちゅークルマやねん一体。まったく寄せ木作りじゃないんだから。
1999年4月26日:
ブガルスキの爆走により、ついにシトロエン・クサラ・キットカーがWRCカタロニアラリーで優勝をかざった。まさに寝耳に水、マジかよほんと、うそだろこれはという感じだが、本当である。しかし一度勝つと欲が出てくるもので、次のコルスではぜひまた勝って欲しいと思う。きっと峠は有利だし、コルスではあのAXでさえ6位に入賞した事があるのだから。
1999年3月21日:
フランスの車は壊れる。それはメンテナンスが悪いからなのさ。あらかじめ壊れそうなところを調べてちゃんと部品交換してやれば良いのさ。ただその周期がちょっと国産車より早いだけ、というわけで、やっちゃいました部品交換。4万2千キロで、
タイミングベルト
テンショナー
カムシール
クランクシール
ウォーターポンプ
パッキン
クーラント
というわけで、頼む。値段は聞かんといてくれ。いいんだ趣味なんだから。おかげでエンジンは静かになった気がするし。次は8万キロまで、何も無ければ安いものじゃないか。
1999年1月18日:
最近どうも燃費が悪い。12月に交換したトタルのオイル(10W)が悪かったんだろうか。そういえば、オイル漏れが激しくなってきたような気がする。低回転でバタバタいうような気がする。あとローギアの入りがしぶくなってきた。MTオイルの交換時期なのだろうか。あと、クラッチがますます奥で切れるようになってきたのはクラッチワイヤーの交換しろということなのだろうか。3万9千キロといえば、そんな時期かもしれない。
ゆーても走るんですけどね。今はちゃんと。
1998年11月14日:
ファンベルトがひゅんひゅん鳴くので、見てもらう。張りは問題ないようだがなぜだろう?1回ばらしてまた組み立てると音はしなくなった。なぜだろう。シトロエンってこういう事多いよね>識者(^_^;)
走行メーターがリセットしなくなったと思ったら、親指で数回弾くとリセットできるようになったり。非常にきまぐれである。
1998年11月8日:
ああ、運転席の窓が開く車で走るのはなんて心地よい秋の今日この頃、皆さんいかがお過ごしでしょうか。ようやく治ったところで、鬼門である糸島往復を成し遂げる。無事だったよ、おい、よかったなぁ、というところでハイオク満タン。ボンネットをみてもらって、さあジャンプでも読もうかというところで、スタンドの兄ちゃんが「ブレーキオイル換えた方がいいっす。沸点150℃っす」とのたまう。なんでー、納車の時に換えてるのにー、と思うが確かに測定機は150を指している。腑に落ちないが、測定値通りならやばいので、交換を指示。4500円を支払う。おかしい。どーもこの車は変だ。などと、いまさらな事を考えるが、まあよい。こんな事くらい気にしない事にする。だって俺はラテンなのさーとわけのわからない結論を出してみる。めでたしめでたし。
1998年10月24日:
長かったエアコンの修理が終わった。Oリング全交換と、エキバンの交換。金曜日の夜、修理を終えて乗って帰る途中、オートバックスに寄り道して「サビチェンジ」その他を購入。で鍵を空けるとなんと、運転席の鍵しかあかない。集中ドアロックの故障である。従ってトランクも開かなくなった。今日の朝、修理を予約し2時間かけて直してもらう。あ〜これでやっと正常な車になったと思いきや今度はパワーウインドウが真中あたりでひっかかって作動しなくなった。これじゃ鍵をなおした意味がないやんけぇ、ていうか雨が降ったらどうするの? しかしとりあえず明日はシトロエンクラブ九州の走行会があるのでこのまま参加。ちゃんとした車になるのはいつの日か。明日はどっちだ?
1998年10月8日:
本日修理完了。ダイナモのオーバーホール、バッテリー充電、リアスポイラー修理を完了する。これでやっと代車生活とはおさらばだ。と思いきや、エアコンが効かない。感触からすると触媒がないとみた。クーラーガス充填だけならいいが、最悪リキッドタンク交換か。まだ保証期間なので、いっそのこと大きくこわれたほうが良いのか?でももうアルトはいやだ(笑)。迷うところだ。
1998年10月4日: (福岡〜糸島)
ついにきた。今日も快適なドライブを楽しむはずだったが、ついに洗礼を受けることになった。走行中いきなりラジオ停止、エアコン停止と来てついにエンジン停止。セルが回らない! 説明も出来ない山の中でしばらく待って再びトライ、でちょっと息を吹き返す。が、水温ゲージダウン、Kマーク点灯ときて、バッテリーは帰らぬ人となった。JAFを呼ぶと、原因はダイナモの損傷と判明。西武に電話して取りに来てもらう。保証期間中だが輸送費用はこっちもちとのこと。がーん、ついに出費かぁ。おまけにワイヤーで輸送車に牽引する際にリヤスポイラー破損。こっちは修理してもらうが、なんとも痛々しい。車を西武に預けてアルトで帰宅。散々な一日だった。しかし、なぜアルト。早く治ってくれい。
1998年9月21日: (福岡〜湯布院)
ワックスをかけ、運行前点検をすませ(異常なし)、空想の森美術館へいった。プジョー数台とクサラ、AX(赤)とすれ違う。
天使制御インジェクションはなかなかだと思う。阿蘇山系特有のワインディングロードでBMWをあおりながらそう思った。コーナーでは安定して沈み込む感じ。シートのホールド性は特に良し。でも低回転でのパワー不足はどうしようもないね。あと、やはり長距離で疲れないシートというのは本当だ。ちなみに、エンジンオイルのゲージが落ちるのは正常であるとのことだった。
1998年9月12日: 中距離ドライブ
画廊関連で佐賀へ行った。まだ何も壊れてない。ありがたくすべて動く。心配だったラジエターの水温上昇やクーラーも問題なし。走りのほうはというと時速80kmからの加速がすばらしい。速度メーターで100kmの表示が左側なので、速度オーバーしがちなので注意が必要だ。でも壊れるなら保証期間中に壊れてね(^_^;)
1998年9月8日: 購入・納車・実走
神はいつも私に試練を与え給う。今回の試練はこのシトロエンAX−GTを10年乗れというものだ。というか、私がそれを望んだのだった。福岡にある西武系中古車販売店においてあったAXのシートに座り、キーを回した瞬間に、ジャン・ジャック・ルソー以来のフランスショックを感じたのだった。そういうわけで、私は今この車のオーナーになった。後悔はしていない。この車はインプレッション通り、機敏性とグッドデザインとエスプリを持ち合わせたすばらしい車である(いまのところは)。ディーラーのメカニックのSさんも、「いやー。AXはそんなには壊れませんよ。BXとちがって」と言っていたことだし。でもエンジンオイルのインジケーターが走行すると落ちてしまうのはなぜ?これが仕様なの?
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