貧しきものにも日は降り注ぐ

 

ストレート・ストーリー

 アメリカにはロードムービーという映画のジャンルがある。日本にも「東海道中膝栗毛」というテキストがあるが(読んでないけど)、旅の真髄は目的地にではなく、その道程にある。たどり着くまでの軌跡にこそ、人を成長させる何がしかの物、大抵はトラブルであり、苦難であるが、そういう艱難辛苦を乗り越えてこそ、人が旅に出るという意味があるのだ。
 20年以上も前、そういうのを求めて私は自転車で日本中を旅行していた。資金不足、疲労、病気、空腹、部品切れ、それはそれで充実していたような思い出がある。
 さらに思い起こせば、その時は人生の辛い時期であり、旅行そのものは生活よりも辛くはなかったのかもしれない。
 人生は辛い。これはみな知っていることであり論を待たないが、旅で苦難を味わうと言うのは、その目的地の見えてこない道程を耐え、乗り越える事で、それを人生に置き換えて、何とか前進していこうという試みではないだろうか。
 僕もまた、いずれ旅に出ようと思う。壊れない快適なユーノスではなく、原動機つき自転車で。降り注ぐ暑い日にさらされながら、時に雨が降ればそれに打たれ、風圧に疲れ、ケツの痛みに耐え、行き交うクルマにもまれつつ、のろのろと行こうと思う。
 先も見えないまま歩き出すということ。前進という行為そのもの。それをもう一度、ゆっくりと味わうために。


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