貧しきものにも日は降り注ぐ

 

青空

 澄んだ青空。健康な精神の持ち主なら、誰しも青空を称え、うれしい気持ちがこみ上げてくるものである。しかし、一部の不健康な精神の持ち主、すなわち、オープンカー乗りや旧車乗りは、6月の朝に窓から青空が覗いていると、心の隅にどこか「や〜なもの」が入道雲のように湧いてくるものである。
 エアコンなどもちろんない旧車では、むせる車内で熱中症と戦わなければならないし、オープンカーなら、じりじりと容赦なく照りつける太陽をうらめしく思わなければならない。どちらも我慢比べだ。日射病で倒れるか、日が落ちるまで運転し続けるか。比喩でもなんでもない、倒れるか残るかだ。
 なぜここまで意地をはるか。私もわからない。日射病寸前、意識が朦朧としながらも涼しい顔で「やっぱ夏はオープンだね〜」と周囲に言わせるのが、そんなに立派な行為とは思っていない。
 強いて言うなら「自然な生き方」だと思う。暑がったり寒がったり、それを避けたくない、逆に強く感じたい、そういう部分が夏屋根を空けさせる理由だと思う。


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