第壱話

 コック、襲来

 第3新東京市の下町。
 朝8時過ぎには近所のじーさん達が軒先に将棋盤を持ち出し、学校へ行く子供達が通りを走り回る。
 大衆食堂「ねるふ」はそんなところに軒を構えていた。
 そして午後。
 時刻は昼を過ぎ、宵には早く、しかも平日。単純に翻訳すると、「暇な時間」である。が、そんなところへ来る客もあった。
 からからと引き戸を開けて入ってきた初老の男、楽隠居の冬月元教授はいきなりのけぞった。
「い、碇」
 入ってくるなり、ほとんど鼻先でコックがテーブルに掛けて、しかも顔の前で手なんぞ組んで肘ついてりゃたいていの人はのけぞる。のけぞるったらのけぞる。
「なんだ、冬月」
「いくら暇かしらんがなんだその格好は」
「ふっ」
「笑ってごまかすなっ!」
「実はもうすぐコックの面接に来る人間がいる」
「それで?」
「面接の第壱段階として、この状況にどういう反応を示すか見るのだ」
 冬月は顔を手で覆った。
「それとコックの適性とどう関係あるのかね?」
「そんなものはない」
 にやりと笑う「ねるふ」の親父、碇ゲンドウであった。
「ただいま……わああああああっ!!」
 そこへやってきた中学生の男の子がダイナミックな叫び声を上げた。
「シンジか」
 ゲンドウの息子で中二になるシンジは思わず引き戸に張り付くようにして、
「な、何やってんだよ父さん」
「暇つぶしだ」
「結局はそうなんじゃないか」
 突っ込む冬月。
「僕はここにはいたくない」
 頭を抱えながらシンジはとっとと自室へ向かう。
「なんだ、逃げるのか、シンジ」
「……そう言う問題か?」
再びの突っ込みにも返答はなかった。

 30分が過ぎた。
「来んな」
「ああ」
 何とはなしに所在なくゲンドウの横で立ったまま冬月はそのコックとやらが来るのを待っていた。こうなってはコックの反応を見ずには帰れない。が、そのコックは訪れる気配もなかった。

 さらに30分が過ぎた。
「遅いな」
「ああ」

 さらに30分が過ぎた。
「本当に来るんだろうな、碇」
 さすがにいらいらしてきたらしい冬月のぼやきにも、ゲンドウは冷静だった。
「問題ない。予測の範囲内だ」
「お前は待ち合わせの人間を1時間半も待つのか?」
「前後2時間の幅は世間の常識だ」
「どこかで聞いた話だな」
 と、勢いよく引き戸が引き開けられた。
「いやー遅くなってすみませんねぇー」
 からからと笑いながら入ってきたのはぱっと見20代の、長い黒髪の女性である。その女性は目の前のゲンドウも冬月も見ずに、店内へすたすたと入り込んだ。辺りをぐるりと見渡して、顔をしかめる。
「あっれー?いないのかしら。不用心ねぇ」
 さしものゲンドウもこれには焦ったのか、冷や汗が流れる。冬月などはきっぱり目を点にしていた。
「休みなら休みって言やーいいのに。無駄足食ったじゃないの」
 くるりと振り返った女性の目に硬直した男二人の後ろ姿が映った。
「……変な置物ねぇ」
 冬月とゲンドウは揃って崩壊した。

「まず名前から聞こうか」
「葛城ミサトです」
 立ち直ったゲンドウの質問に、女性はにこやかに答えた。
「葛城……」
 ゲンドウの声の様子が微妙に変わった。
「どうかしたのか、碇」
「いや、何でもない。では葛城さん。当食堂を志望された理由は?」
「カレーを作りたかったので」
 ミサトと名乗った女性の答えは簡潔だった。
「カレーを」
 再びゲンドウの声にわずかな変化があった。
「しかし、食堂のコックの募集に、カレーを作りたいからとはな」
 ついついツッコミを入れる冬月。
「え?『カレーを作れるコック募集』、って張り紙にあったんですけど」
 ミサトはバッグからそのチラシを取り出して見せた。確かに、
「カレーを作れるコックへ。
 来い
 ゲンドウ

 と、大書してある。
「ん?碇、店の名がないぞ。住所も電話番号もだ」
 冬月はミサトに視線を移して、
「どうやってこの店が分かったのかね?」
「ええ、その辺を通った人に聞いたら、『こんなことする奴ぁねるふの親父しかいねーよ』って」
「……なるほどな」
 ゲンドウがそこでやおら組んでいた手をほどいた。
「能書きはもういい。カレーを作ってもらおう。採用試験を第弐ステージへ移行」

[b−partへ]


エヴァネタの小部屋へ戻る

ど〜じゅの客間へ戻る