「これは……サイクロップスの……?」
「断片的なものだがな」
「アルゴスのデータと合わせれば、あるいは……」
「気の早いことだ。だが、求めるものはそれではない」
「伝説はサイクロップスもアルゴスも評価していない、でしょう。評価しているのは……」
「オーガ、だ」

 第壱話            EPISODE:01
 赤い土            Martial Movement

 『火星の砂は赤い。岩も、また赤い』
 ラストの一文を読み終えて、第4新東京市立第壱中学校2年・碇シンジは腕時計に目をやった。もう4時だ。遅い時間ではないが、帰宅するにはいい頃合い。
 そう思ったとき、後ろから彼の頭を挟み込む拳があった。 
「あたたた、何するんだよ」
「なーにやっとんねん、こないなとこで辛気くさい」
 口調と行動で誰が後ろにいるのかはすぐ分かる。
「ひどいよ、トウジ。本気で痛かったじゃないか」
「ま、探してた方の身にもなってみろ、ってことさ」
 やはり後ろの、左右は反対側からした声もシンジには馴染みの声、つまりは友人の声だった。
「あれ?ケンスケには図書室にいるって言ったじゃないか」
 ぐりぐりと突きつけられる拳にあらがって振り返れば、そこには一見ぽっとしたようなジャージ姿の少年と、眼鏡の下の目をいかにもおかしそうに細めている少年。
「なんかそんなこともあったような気がするな」
 眼鏡の少年・ケンスケ、と呼ばれた方の彼はそう言って空とぼけた。
「長いつきあいやっちゅうのに、こいつが言われたこと覚えとると思うか?」
 ジャージ姿の少年・トウジはシンジの頭から手を離すと、今度はケンスケの頭にデコピンを決める。
「……トウジ……そこまで言うか……」
 軽く額をさすりながらさすがにぼやくケンスケ。
「それにしても……つまんないもん読んでるなー」
 ケンスケは言いながら、ひょいとシンジが閉じたばかりの本をつまみ上げた。タイトルには『砂の竪琴』とある。
「こんなもん、ただのパクリじゃないか。どうして未だに存在するどころか、学校の図書室なんかにまであるのか、理解に苦しむよ」
 ケンスケがそう言ったとおり、『砂の竪琴』は地球時代の日本文化圏における古典の焼き直しでしかなかった。が、その言とは裏腹に、未だに火星日本文化圏においては名作との評価が消えることがないのも事実である。
 おそらくそれには時代的背景もあったのだろう。ようやくシンジたち、「Blessed Children」が思春期を迎えたばかりのこの時代には、多くの人々にとってまだ、あの戦争が忌まわしくも甘美な思い出であった。まして、こんなロマンチックな物語に仕立てられればなおさらのことだ。
「火星域戦争からもう15年たってるのにな……そういやこの本、映画化するって話もあったっけ」
 ぽん、と机に放り出された本を、シンジはやはりつまみ上げると、書棚へ戻した。ふと、窓の外を見る。
「ほんとに……赤いな」
 窓の外、遙か彼方には、赤々と砂漠が広がっていた。
 時に、火星歴215年。

 第4新東京市は他の都市と同じように、陸の孤島であった。要するに、火星人口は一文化圏一都市で釣り合う程度なのである。中心部には高層建築が集中し、周辺部に向けて徐々に建造物の高度が低下していく構造も、どこの町でも似ている。
 そして……
「それにしても相変わらずセンセの家はでかいのー」
 トウジが家並みの向こうの、幾分異質な一角をぼんやり見ながら言う。住宅地の一角だけが妙に目立つのも、どの町にも共通したことなのだ。
「こっから見えんのなんて碇やらの家ばっかしやもんな」
「碇家ってのは名家だもんなぁ」
 ケンスケも相づちを打つ。言われたシンジの方は、なにやら複雑な表情だ。
「そのあとの言葉続けたらイヤだよ」
「分かってるって。でも、そこまで気にしなくてもいいと思うんだけどな」
「せやで。ワイらの名前かて、センセと同じやで」
 トウジのケンスケのフォローに、シンジは却って片眉をしかめると、
「ただ、先祖の名前取っただけじゃないんだったら」
 ムスリとふさぎ込んだ。
「まぁ、名前が同じやからって人間まで同じなわけやないし。第一悪いことしたわけやないんやろ、その、大昔の碇シンジっちゅう奴は」
「……まあ、ね」
 中学校に入学して以来の友人――口の悪いものは「三バカトリオ」と呼んではばからない――である彼ら三人には、偶然の共通項があった。三人が三人とも、地球時代の先祖の名を取って名付けられていると言うことだ。そして、碇シンジ、鈴原トウジ、相田ケンスケ、この三つの名の中で、碇シンジの名だけは、第4新東京市の人間なら誰でも、それどころか火星中の人間が知っていると言っても過言ではないほど、周知の名であった。
「そりゃそうさ。何たって救世主だぜ。碇シンジがいなかったら、俺たちは今頃ここにいなかったに違いないんだからさ」
 ケンスケはまるでわがことのようにそれを語った。すると、シンジはたまりかねた様子でケンスケにくってかかった。
「……それをやめてくれって言ってんじゃないか。救世主救世主って、結局そいつが何したってのさ?誰も知らないんじゃないか。ただ、移民船の開発に貢献したってだけで」
「それやなー。ほんまいうとな、ワイの親もさんざんおまえはエライ人の名前もうとるんやで、っちゅうわりに、鈴原トウジが何者やったんか知りよらんのや」
「相田ケンスケにしたって同じだよ。そう考えれば、知られてないってのは気楽かもしれないな」
「案外……昔の人の名前もらった奴って多いのかもね」
 なぜだか、そんな気がして、シンジはどちらにともなくつぶやいた。

「ほたら、団地こっちやしな」
「また明日な、シンジぼっちゃま」
 からかい半分に挨拶しながら反対方向に歩いてゆく二人に、これも冗談半分のあかんべを返して、シンジは一人の帰路についた。
「名家か……」
 火星文化圏のどこにも、必ず「名家」と称される家系があった。日本文化圏にあっては、碇家と赤木家あたりがその代表格である。それは、この両家が現在の火星人をあらしめた功績者を出した、と言う理由による。ちなみに、どこの名家も、理由は同様だ。名家はようするに名家である――影響力が(いろいろと)強く、ということは権力があり、そして金もあって、つまりはステイタスというよく分からないものが高いということになる。実際、小学校の頃は彼を遠巻きにするような連中も多かった。大人も子供も。
「でもそれは名前のせいだ。この……名字と、名前の、両方の」
 たとえば僕が碇シンジでなく、碇ケンジだったら?
 それでも碇家の御曹司には違いない。だが、そこまで疎外はされなかったのではあるまいか。結局それは、たまたまものを知らない一人の「関西文化圏」人と、その友人とによって、無効化されたのではあるが……。
 考えにふけりながら歩いていたシンジは突然何かにぶつかった。
「?」
 ひょいとそれを見上げたシンジは、ぶつかったのが黒いスーツ姿の背の高い、がっしりした男であることに気づいた。
「あっ、ご、ごめんなさい」
 あわててとびすさり、頭を下げる。と、手に持っていた鞄が反動で後ろに揺れ、別な何かをたたいた。
「え?うわっ」
 鞄がぶつかった相手も、全く同じような格好の男だったのだ。……ついさっきまで、いなかったはずなのだが……
「すみませんっ」
 今度はちゃんと鞄を持ちながら謝って、もう一度振り返る。が、今度はのけぞる羽目になった。
 男の数がいつの間にか増えていたのだ。まるで忍者の分身の術だがそんなわけはない。どこからともなく、気配も感じさせずに現れたと言うことだろう……それならいっそ分身の術の方が現実味がありそうだった。何しろ、そいつらはすっかり道をふさぐほどいたのだから。
 おそるおそるシンジは横目で背後を伺った。……同じだった。いつの間にか、シンジはスーツ姿の男たちに、囲まれた格好になっていたのである。
「碇シンジ君だね」
 出し抜けに、シンジが最初にぶつかった男が口を開く。
「……」
 シンジが口を閉ざしていると、
「まあいい、君が碇シンジ君であることは確認済みだ。それで、早速用件だが、我々と一緒に来てもらいたい。手間はとらせない。夕飯までには帰れるようにする」
「なんなんですか、一体」
 シンジはムスリとそれだけ言った。
「そうだな……君のお父上に関係することと言ったら、分かってもらえるかな?」
「父さんの?」
 驚きを隠そうともしないシンジの口調に、男は満足の――あるいは嘲りの笑いを浮かべ、言った。
「そう、行方不明のお父上、碇リュウサク氏に関することだ」

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