おいたち


イエスはいつどこで生まれたのだろう。

イエスが生またのは、ユダヤがローマの直轄地に成っていた頃である。
イスラエルは紀元前500年頃よりバビロン、ペルシャ、ローマ等の列強国家の支配が続き、ユダヤ民族には、自分達の王(メシア)を待望する意識が常にあり、それが数少ない繁栄をしたダビデ王の血筋や生誕地についての預言となって「まもなくメシアが現れる」「ダビレ王の末裔である」「ベツレヘムで生まれる」と言う言葉になった。
最初のマルコ福音書では生誕の状況については、ほとんど何も触れていない。
マタイとルカにおいて説明されている生誕の状況は、キリスト教ができつつある環境で、これらの言葉を信じている信者へのアプローチとして描かれたものだろう。
マタイとルカにはダビデからの家系図があるが、それぞれは全く符号していないし、「ダビレ王の末裔である」と「処女から生まれる」と言う、首を傾げる内容を事も無げにさらりと書かれている(キリスト教団の中には、ルカ福音書の家系図が母マリアの物であるとする説明があるが、つじつま合わせ以外の何物でもない)。
どのテキストにおいても彼はナザレ人であると書かれているが、生まれ育ちもナザレだろう、またイエス生誕については特にドラマチックな事は無く、普通に父ヨゼフ・母マリアの子として生まれたのだろう(当時の婚姻制度に対して社会制度的な不都合はあったのかも知れないが)。

生年月日は...諸説あるがBC7〜BC2とされている、日付に関しての記録は全くなく特定できない。

父母は...父ヨゼフ・母マリア

兄弟はいたか...マルコ6/3からは普通に4人の兄弟と複数の姉妹がいた様だ。
弟のヤコブは後に、イエス死後程なく使徒達によって成立したエルサレム教会の宗主した人徳のある人物であると使徒言行録やパウロの自筆書簡に記されている。

イエスが洗礼者ヨハネに会うまでの幼少の頃の記録は少なく、ルカ2/42に12歳の時に、一族で過ぎ越しの祭りに行き1人はぐれて神殿で説法をして聴衆を驚かしている状況が描かれているがこの話の信憑性は低い。

青年イエスに大きな影響を与えたのは、何と言っても洗礼者ヨハネだろう。
洗礼者ヨハネについては後に詳しく説明するが、エッセネの流れをくむ集団の宗主で、地方領主ヘロデも一目置いたほどの実力者である。
イエスはヨハネから身を清める意味の洗礼を受けている、つまりヨハネ教団の一人としてヨハネを信望した

この頃彼は家業の大工を継いでいる、父親のヨゼフは先の12歳の時の記録以降全く姿を現していない、何かの理由で早死したのだろうか。

洗礼者ヨハネとは、まもなく何らかの事情で袂を分けてしまい、自ら活動を始め数人の弟子(ペテロやゼベタイのヨハネ等)を伴うことになる。

イエスが数人で活動していた頃に、師匠の洗礼者ヨハネが地方の領主ヘロデに何かの事情で捕らわれ、まもなく処刑された。

師匠を失ったヨハネ教団の多くの人達がイエス達に合流したと思われる(イスカリオテ・ユダや熱心党員シモンもその中にいた可能性があるがよくわからない)

イエスは社会的に差別された(罪人・徴税人・女性・病人・異邦人)人達を主に、癒しと神の国の到来を預言して宣教していった

この宣教の中で、次第にユダヤ教の律法(ユダヤ人にとって神の掟であり日常生活から思想心情の規範であった)の教義や運用をめぐって、長老や祭司や律法学者達と反目する事になり、何れ抹殺されると考える

この頃から熱心党(律法主義を唱え反ローマをスローガンとしている地下組織)と関わる事になるが、聖書ではイエスと熱心党との関わりをあまり示していない、イエスは異民族(取り分けローマ)との対応方法において熱心党とも反目が生じたと思われる

この頃に七つの悪霊(重度の精神障害)に取り憑かれたマグダレーネ・マリアの病を癒し、以後マリアはイエスに付き添う様になる

そしてエルサレムの神殿を襲撃し、不法占拠をした為、逮捕され、裁判にて国家反逆罪として十字架刑に処せられた。
命日は不明だがAD30年頃で、聖書の記述から見ると過ぎ越しの祭りの最中ではないかと思われる。

以上が自分なりに描いている概略の生い立ちです。

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