パリサイ派の人達と

イエスは律法について、どう考えていたのだろう。
すべてマタイのテキストから引用してみた。
5−17わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである。
5−18はっきり言っておく。すべてのことが実現し、天地が消えうせるまで、律法の文字から一点一画も消え去ることはない。
5−20言っておくが、あなたがたの義が律法学者やファリサイ派の人々の義にまさっていなければ、あなたがたは決して天の国に入ることができない。」

ここにはっきりとイエスは神の律法を決して否定していない事が示されている。

9−3ところが、律法学者の中に、「この男は神を冒涜している」と思う者がいた。
12−5安息日に神殿にいる祭司は、安息日の掟を破っても罪にならない、と律法にあるのを読んだことがないのか。
12−10すると、片手の萎えた人がいた。人々はイエスを訴えようと思って、「安息日に病気を治すのは、律法で許されていますか」と尋ねた。
19−3ファリサイ派の人々が近寄り、イエスを試そうとして、「何か理由があれば、夫が妻を離縁することは、律法に適っているでしょうか」と言った。
22−17ところで、どうお思いでしょうか、お教えください。皇帝に税金を納めるのは、律法に適っているでしょうか、適っていないでしょうか。」
22−35そのうちの一人、律法の専門家が、イエスを試そうとして尋ねた。
22−36「先生、律法の中で、どの掟が最も重要でしょうか。」
22−40律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。」
23−2「律法学者たちやファリサイ派の人々は、モーセの座に着いている。
23−13律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。人々の前で天の国を閉ざすからだ。自分が入らないばかりか、入ろうとする人をも入らせない。
23−15律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。改宗者を一人つくろうとして、海と陸を巡り歩くが、改宗者ができると、自分より倍も悪い地獄の子にしてしまうからだ。
23−23律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。薄荷、いのんど、茴香の十分の一は献げるが、律法の中で最も重要な正義、慈悲、誠実はないがしろにしているからだ。これこそ行うべきことである。もとより、十分の一の献げ物もないがしろにしてはならないが。
23−25律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。杯や皿の外側はきれいにするが、内側は強欲と放縦で満ちているからだ。
23−27律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。白く塗った墓に似ているからだ。外側は美しく見えるが、内側は死者の骨やあらゆる汚れで満ちている。
23−29律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。預言者の墓を建てたり、正しい人の記念碑を飾ったりしているからだ。

律法学者は律法を神の掟として民衆に守らせている、イエスは律法学者やパリサイ派の言っている律法の解釈が神の掟ではなく、律法学者の判断によるもので実状に適さず硬直化していて、民衆の足かせになっている。
イエスは神が与えた物は「律法により民衆を律していく」というシステムで、律法の一言一言ではないと考えていたのではないか。
今日においても聖書のある部分を四角四面に解釈し、ある人の思い込みに無理やりこじつけて組織の規律としている教団もあるが、それを見ていけば当時のユダヤ教会の姿が想像できるし、イエスがそのような教会のありように事ごとく反発した事情も容易に理解できる
律法は常に実状によって改訂し、その運用は弾力的にするものであると考えていた様だ。

16:21 このときから、イエスは、御自分が必ずエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受けて殺され、三日目に復活することになっている、と弟子たちに打ち明け始められた。

しかしイエスがこの考え方を押し広めて行くことは、神の掟として民衆を教育している律法学者達の権威を失墜させる事になり、大きな反感をかう結果となる。

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