ルカ福音書

ルカ福音書の勝手な注釈本


「ヨハネとイエスの誕生の予言」1/5−1/56
福音書はまず、洗礼者ヨハネの誕生がエリア(メシアの前に現われるとされた天使)として生まれる予言から始まり続いてイエスの誕生の予言をしている。マタイ福音書はイエスの誕生の予言だけでありその他の福音書は、それぞれの誕生について何も触れていない。
ルカの時期においては、洗礼者ヨハネに信望していた人達が多くいた事がうかがえる、これがヨハネ福音書ではヨハネ自身がエリアではないと言ってる様に書かれているので、ルカとヨハネの福音書編集時期はかなりの時代の経過がある事がわかる、続いて両者の誕生の様子が描かれている。
「ヨハネとイエスの誕生」1/57−2/40
イエスの誕生においては、ダビレ王家の血筋であるヨゼフが戸籍登録の為、ベツレヘムに旅行している時に宿営(馬小屋伝説のもとになった)で生まれて、戸籍登録後すぐナザレに帰ったとしている。
これらはマタイ福音書の記述とは全く違っている、マタイでは当初よりベツレヘムに住んでおり、生まれてすぐヘロデ王の赤子殺しの噂を聞いてエジプトへ逃げ、ヘロデ王が死んだ噂を聞いてナザレに移り住んだとしている。
2つの全く違ういきさつから共通するものは、ダビデ王の末裔、処女懐妊、ベツレヘムであり、それぞれ旧約聖書に記載されている予言が民衆のなかで待望的なものに変遷していったものだろう。
ルカにおける戸籍登録やマタイにおけるヘロデ王の赤子殺しは、実際にそういう事が行われたかどうかも怪しい。
またルカが殊更ダビデの血筋を強調するのは、この物語が主にユダヤの(知的水準のあまり高くない)一般大衆にアピールする目的があったのだろう。
ルカはイエスについて「ナザレ出身である」以上の事は調べられなかったと思われる。
「幼少のイエス」2/41−2/52
幼少のイエスを描いているのは、すべての福音書を探しても、ここだけである。物語の信憑性は低いと思う。
「ヨハネの活動」3/1−3/20
(主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ)と言うヨハネの言葉から始まるヨハネの活動は、たたき台となっているマルコ福音書と全く同じである。
ルカはここの段階でヨハネ逮捕まで記述しているが、マルコやマタイで書かれている様な処刑まで経緯についてはこれ以降においても一切触れていない。
「イエスの洗礼」3/21−3/22
マタイ福音書ではヨハネが躊躇った様子が描かれているが、ルカはマルコ福音書とほぼ同様であっさりと描かれている。
「イエスまでの家系図」3/23−3/38
次にアダムに至るまでの家系図について、おそらく歴代誌記か列王記から引用したのだろうが、ダビデの息子が有名なソロモンではなくナタンである事が腑に落ちない。
歴代誌記を読むと確かにナタンと言う息子もいるのだが、王位を継いだのはソロモンだしマタイ福音書の系図もそうなってる。
ルカ自身も福音書(11:31)(12:27)言行録(3:11)(5:12)(7:47)でソロモンを扱っているので、系図に入れてないのは何か意図しての事だろうか...なぞだ
その後はマタイ福音書が概ね歴代誌記に従ってバビロン移住まで並べているのに比べ、ルカは全く違う。
バビロンから帰還した後は共にエズラ記によりシャルティエルとゼルバベルで符合するが、その後はまた全く違っていて、イエスの父ヨゼフで符合する。
マタイ福音書はゼルバベルからヨゼフまでが10代だがルカは19代いる。
ユダヤ人がバビロンを滅ぼしたペルシャの王キュロスにより帰還を許されたのはBC538年である。
およそ500年でマタイ福音書が10代しかないのは、かなり不自然である。19代のルカの方は数だけは妥当であろうか。
以上の事からマタイ福音書は歴代誌記の上下巻とエズラ記、ルカは歴代誌記の上巻とエズラ記から重要な人物を並べ、その間は適当な名前を挟んでいったものだろう。
何しろイエスの爺様の名前からして違っているのだから、そんなに信憑性のある系図とは思えない。
またマタイ福音書との違いは、両者が地理的に離れた場所で編集している(時期的には大体同時期だろうが)か、もしかしたら派閥の違いがあっていずれにしても両者で擦りあわせをしていない事を示している。
「誘惑を受ける」4/1−4/13
マルコ福音書では、あっさりとイエスを荒れ野に送り出して、40日間そこにとどまり、サタンから誘惑を受けた様子が描かれているが、ルカはさらに誘惑の内容が示されている
誘惑の内容はマタイ福音書とほぼ同じなので、Q資料からの引用と思われる。
「ガリラヤで伝道を始める」4/14−4/15
イエスはガリラヤの諸会堂で宣教して、受け入れられた
「ナザレで受け入れられない」4/16−4/30
イエスはナザレに来て、イザヤ書61/1の巻物を朗読しながら、宣教して最初歓迎されたが、イエスの身元を知ってる者がいて、イエスを中傷(多分)し、預言者が故郷では歓迎されない事を歴史の例を持って説明したが、かえって民衆の反感をかい、殺されかかったが上手くすり逃げた
「汚れた霊に取り付かれた男を癒す」4/31−4/37
イエスはカファルナウムに下り、汚れた霊に取り付かれた男を癒した
「多くの病人を癒す」4/38−4/41
ノーコメント
「諸会堂で宣教」4/42−4/44
イエスはユダヤの諸会堂で宣教した
「漁師を弟子にする」5/1−5/11
イエスがゲネサレト湖畔で、シモン(ペテロ)とシモンの仲間、ヨハネ、ヤコブの4人の漁師を弟子にした

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イエスが40日の誘惑を断ち切って、ペテロ達を弟子にするところまでは、福音書によって順番がまちまちである
マルコ、マタイでは、ガリラヤ伝道の後すぐに4人を弟子にしていて、その4人はシモン(ペテロ)とその兄弟アンデレ、ヨハネとその兄弟ヤコブであるが
ルカではシモン(ペテロ)とその仲間(名前なし)とヤコブとヨハネとなっていて、兄弟とは言っていない。ルカはマルコ福音書を見ているはずなので、不可解な事である
おそらくルカが見たマルコ福音書には、兄弟の表現が無かった物を、ルカが見た後にマタイ福音書の編集者かそれ以降の人達によって改筆されたのではないか
またマルコ16章の9節以降の改筆疑惑も含めて、マルコ福音書には幾つかの改筆があったと考えられる
ナザレでは受入られない(4/16−4/30)はルカ福音書だけ少し違ったストーリーで民衆に殺されかけている。マルコ・マタイはともに、ただ単に故郷の民衆が不信仰で、イエスが支持を得なかった様に描かれているので、これもマルコ福音書の改筆疑惑の一つである
ルカ福音書では、イエスは単身ガリラヤへ宣教し、ナザレで殺されかけ、カファルナウムで宣教し、ユダヤ各地を宣教して、その時にペテロ達を弟子にしたとなるが、マルコ福音書ではガリラヤ宣教のあと、すぐに2組の兄弟(4人)を弟子にして、4人と一緒にカファルナウムへ赴き、ユダヤ各地へ宣教しながら、収税人レビ(マタイ)を弟子にし、順次弟子を増やしながら、ナザレでは支持を得なかったの順番になっている
この順番の食い違いは、一体何だろう...多くの聖書学者は、マルコ福音書が最初の福音書で、ルカもマタイもヨハネもマルコ福音書を見たとしているが、そのマルコ福音書は、今日我々が見ている物ではなくて、元マルコ文書の様な物があって、それを他の福音書編集者が読んで、それぞれ福音書をつくり、それと平行して、元マルコ文書を編集して、今のマルコ福音書に近い物ができたのではないか
なぞが多すぎてヒエラルキーに落ち込んでしまいます。
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「らい病患者を癒す」5/12−5/16
ノーコメント
「中風患者を癒す」5/17−5/26
イエスはガリラヤのある町で中風患者を治療した
ここでイエスの噂をきいて、ガリラヤ・ユダヤ・エルサレムから来ていた律法学者やファリサイ派の人達と議論した
イエスが患者に「あなたの罪は赦された」と言った言葉に対し、
律法学者:「神を冒涜するのか、神以外にいったいだれが人の罪を赦す事ができるのか」
イエス:「(あなたの罪は赦された)と(起きて歩け)とどちらが、やさしいか」

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この何気もない律法学者とのやり取りが目を引いてしまった
医療が発達していない当時は、病気は神への不信仰がもたらす罪とし(現代でもそう説法している教団がある)、罪人として社会から差別していのだろう
イエスの各地での病の癒しは、単なる奇蹟事として読み飛ばすのではなく、罪人(病人)として差別されていた人達を癒し、社会復帰させた事が重要だと思う
現代では多くの人が病気が神への不信仰がもたらす(不摂生や暴飲暴食は病のもとでしょうが)とは考えていないでしょうが、次元の低い教団の中には神(教団)への信仰が病を防ぐとまじめに説いている所があるらしい
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「レビを弟子にする」5/27−5/32
イエスは徴税人レビを弟子にし、レビや多くの人々と宴会を催した
ここで再び律法学者たちと論議になり
律法学者:「なぜ、あなたがたは、徴税人や罪人などと一緒に飲み食いするのか」
イエス:「医者を必要とするのは、健康な人ではなく病人である。私はこの人達の罪を悔い改めるために来たのだ」

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この所も全く同様で律法学者とのやり取りが目を引いてしまった
当時の民衆から罪人同様に思われていた、徴税人と宴会を催している
イエスの宣教は、おしなべて罪人(病人)として差別されていた人達を癒し、社会復帰させた事が重要だと思う
現代では多くの人が徴税人(公務員)を卑しい人達(一部の人達にとっては不都合な存在かもしれませんが)とは考えていないでしょうが、次元の低い教団の中には、納税が神(教団)に逆らう事だとまじめに説いている所があるらしい
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「断食についての問答」5/33−5/39
人々との問答
人々はイエスに対し:「ヨハネの弟子達やファリサイ派の弟子達は、たびたび断食をしますが、あなたがたは飲み食いしますけど、どうしてですか」 イエス:「花婿がいるのに婚礼の客に断食させられるか、しかし何時か花婿がいなくなったら客は断食する事になる」
さらに:「だれも新しい服の布をきって、古い服の継ぎ接ぎはしないだろ、そんな事をしたら新しい服も破れるし、古い服も合わないだろう」
さらに:「新しいぶどう酒を古い革袋には入れないだろう、そんな事をしたら新しいぶどう酒は革袋を破って流れ出し、革袋もだめになる、新しいぶどう酒は新しい革袋に入れるべきだ、また古いぶどう酒を飲めば、みんなその方が美味しくて、新しいぶどう酒は要らないと言うだろう」

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イエス特有の例えを用いた問答である
ヨハネの弟子達の記述があり、ファリサイ派ともイエスの弟子達とも違う、洗礼者ヨハネを信望している集団があった事を示しており、その集団がファリサイ派と同じ様に、度々断食をしていた事が示されている
例え話の解釈はそういう事が得意な方にお任せするとして、一般民衆からも差別されていた人達が多くいるイエスの集団においては、宗教的慣習においても見直しが必要で、イエスは「断食」と言う行為が神への信仰を示す事とは考えなかったのだろう
なぜ新しい葡萄酒を古い革袋に入れると破れるのか解らないのですが、葡萄酒は年代物の方が一般的に美味しい様に思います、この頃は樹の樽や焼き物に保存しなかったのかなぁ...
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「安息日について」6/1−6/11
イエスは安息日にユダヤ教の掟で禁止されている、「麦の穂を摘んで食べる」と「手の萎えた人を治療する」の行為を行い、ファリサイ派の人達や律法学者達の反感をかった
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イエスの「安息日」に対してのと言うより、律法にたいしてのスタンスだろう
律法が安息日に農作物を収穫する事が禁止しているのは、法律として頷ける面もあるが、本当に病人の治療まで禁止していたのだろうか、出産は禁止していたのだろうか??(生まれてくる子は時を選べないし)、頭の悪い宗教指導者が神がかりでいろいろな制度を決めると、ばかばかしい事になるのは、今日においても多くの事例がある様に思います
律法がそれだけばかげた法律ならば、イエスでなくとも多くの民衆から不平不満の声が出てきそうなものだが、一方で神の怒りを唱え、教団の権威を示し、律法に異を唱える者たちを殺害していけば、民衆も黙らざるをえないのかもしれない
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「使徒の任命」6/12−6/16
イエスは弟子の中からペテロ・アンデレ・ヤコブ・ヨハネ・フィリポ・バルトマイ・マタイ・トマス・アルファイの子ヤコブ・熱心党員シモン・ヤコブの子のユダ・イスカリオテのユダの12人を選んで使徒と名づけた
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使徒の中で使徒言行録も含めて一番多く登場するのは、ペテロである。
ペテロについてはペテロの足跡でまとめているので参照して下さい
使徒の経歴は福音書によってまちまちである
マタイとマルコは最初の4人を漁師の2組の兄弟「シモン(ペテロ)とアンデレ」「ヨハネとヤコブ」としているが、ルカは4人の兄弟関係を書いておらず「シモン(ペテロ)とその仲間、ヨハネ、ヤコブ」としているが、12使徒の任命ではペテロとその兄弟アンデレとなっていて、「その仲間」と「アンデレ」の関連性がない(ヨハネとヤコブの兄弟関係についてはこの段階では説明していないが、使徒言行録12/2のヤコブ殺害の時点では兄弟としている)
ルカとマルコでは収税所の人物レビを弟子にした記述で、12使徒のマタイとの関連が全く無いが、マタイ福音書だけはこの収税所の人物をマタイとして、さらに12使徒任命においての徴税人マタイと説明している、マタイ福音書編集者が意図的に関連づけしたものではないだろうか
さらにマルコ福音書では、収税所の人物をアルファイの子レビとしていて、アルファイの子ヤコブと混同している、ここはマルコ福音書改筆疑惑の一つである
シモン・マグスについては3者とも、12使徒任命のところで熱心党(ゼロテ)と説明している
フイリポについては使徒言行録に出てくるフィリポとすれば、この後カイサリアでエルサレム教会の主要な宣教師となっている
トマスはヨハネ福音書でディディモ(双子の意味)・トマスと呼ばれ、イエスの復活を十字架の釘穴を見なければイエスの復活を信じない(ヨハネ福音書20章あたり)話がある、またトマス福音書(グノーシス派文書)があり、編者の様に書かれているが信憑性はない
イスカリオテ・ユダは12人使徒任命のところで、3者とも後に裏切りものになった事が説明されている
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「病人の癒し」6/17−6/19
省略
「山上の聖訓」6/20−6/49
「貧しい人々は、幸いである、神の国はあなたがたのものである。」ではじまるクリスチャンなら、万人が知っている有名な山上の御聖訓です。聖訓個々の解釈はさほど難しい文章ではないので読者各位で考えてください。
−−−−−−−−−−−−−−− マタイ福音書との違いについて −−−−−−−−−−−−−−−
「貧しい人々は...」がマタイ福音書では「心貧しき人々...」になっている事は、さんざん論議になっており、ファンダメンタルなクリスチャンは、この違いをイエスが発言した場所の違いだと説明していて、ルカ福音書の方を「平地の聖訓」としている。

イエスは、常に社会的に差別された「貧しい人々」と接しており、他のどの場所でも「心貧しき人々」には接していない...また「心貧しき人々」とはどういう人達の事であろうか...さらに現実に貧しい人達に接して、わざわざ「心の貧しい人々は...」と言うのも不可解な事で、「貧しい人々...」と言うQ伝承を、マタイの編者が何らかの事情で書き換えたと考えるべきだろう

「聖書は神の霊感によって書かれた、間違えのない書き物である」と説明する人達にとっては、困った問題なので、「平地の聖訓」と言う解説が必要になるのでしょうが...どう考えても苦し紛れの説明としか思えません。
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「百人隊長の僕を癒す」7/1−7/10
イエスはカナファルムに入り、ユダヤ人から尊敬されている百人隊長(多分ローマ人)の部下が、病気で 死に掛かっていて、イエスに癒しを願っていて、ユダヤの長老がイエスに懇願し、イエスが駆けつけようとした時、隊長の方から友達に託して「私はあなたをお迎えできるような者ではなく、自分がお伺いするのもふさわしくない、一言お言葉を頂いて部下を癒してほしい」と言われ、その部下を大事にする隊長に感心して「言っておくが、イスラエルの中でさえ、私はこれほどの信仰を見たことがない」と言っている。
−−−−−−−−−−−−−−−  他の福音書では −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
ルカ福音書では、隊長がユダヤの長老や友達を仲介してイエスに連絡しているが、マタイ福音書では、隊長が直接イエスに接している、さらにヨハネ福音書では隊長の部下ではなく、王の役人の息子になっている
マタイとルカはローマ人の隊長の部下思いの人徳を誉めて、ローマ人とユダヤ人の融和している様子を描いたのだろうが、ヨハネ福音書ではまったく違う内容になっている。
ルカでは、土地のユダヤ人がローマの隊長を尊敬している様子が強く描かれていて、この福音書を献上するテオフィオの事を意識したのだろうか...
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「やもめの息子を生き返らせる」7/11−7/17
ノーコメント
「洗礼者ヨハネとイエス」7/18−7/35
イエスの活動の様子は、洗礼者ヨハネの弟子に依ってヨハネに伝えられ(ヨハネは多分囚われの身)、ヨハネが着目し弟子2人に「来るべき方は、あなたでしょうか。それとも、ほかの方を待たなければなりませんか」と尋ねさせた。
しかし、イエスは直接回答せず、病人の癒しや宣教の話をした。
その後群衆に対して、ヨハネはエリアであり、ヨハネを讃えた
−−−−−−−−−−−−−−−  微妙な言い回し −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
ここの部分は読めば読む程難しくなってくる。何れにしても洗礼者ヨハネがいて、多くの民衆の支持を受けていて、イエスも高く評価していた様に描かれている
ルカが福音書を編集している頃に、クリスチャンの中にも、まだ洗礼者ヨハネを信望していた者が大勢いたのだろう、現代においてもイエスがヨハネの養子であるとする教団もある
ヨハネの弟子からの質問に「そうです、私がメシアです」と言わないのは、ルカは実際にイエスがその様な立場をとらなかった事を把握していた為である
マタイ福音書では、この部分に「彼が活動し始めたときから今に至るまで、天の国は力ずくで襲われており、激しく襲う者がそれを奪い取ろうとしている」と言う、ヨハネが実力行動をしたと思われる言葉があるが、ルカにはそれがない
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「罪深い女を赦す」7/36−7/50
イエスがファリサイ派の人の招きで食事をしている所に、罪深い女(売春婦)がイエスの足下から近寄り、足に接吻して香油を塗った
イエスはファリサイ派の人の疑問にもかかわらず、女の罪を赦した。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−  罪の許し −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
ルカにしては珍しく、表現を間違えている7/39でこのファリサイ派の人物が「....罪深い女なのに」と思った。とあるが、この人物がそう思ったかどうか、どうやって調べたのだろうか??
一般のファリサイ派の人達が、売春婦を罪人としてとらえて、差別していたものを、愛の大きさで赦す話として描いたのだろう
普通のルカの描き方であれば、この人物に「先生、この女は罪深い女なのに、何故避けないのですか」と言わせて、次の7/40につなげるんだけどなぁ...

キリスト教団では、この罪深い女は、この後出てくるマグラレーネ・マリアと同じ人物としているが、私は幾つかの理由で別人と考えている、詳細はマグラレーネ・マリアをご覧ください
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「婦人達の帯同」8/1−8/3
イエスの宣教には、七つの悪霊を追い出したマグダレーネ・マリアやヘロデの家令クザの妻ヨハナやスサンナの3名の他多くの婦人が持ち物を出し合って一行に奉仕していた
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この婦人達の帯同は、イエスの宣教の特徴で、洗礼者ヨハネの信者には婦人がいなかったらしい
イエス以後のエルサレム教会にも引き継がれ、男信者と夫婦になった者もいると思われ、やもめのパウロが結婚している使徒達やイエスの兄弟達(ヤコブやヨハネ)やペテロを羨む(コリント第1書簡9/5)言葉がある
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「種を蒔く人のたとえによる説法」8/4−8/15
イエスは種を神の言葉にたとえて
道端に蒔かれた種は神の言葉を聞いても、あとから悪魔が来てその言葉を奪いとられる人達
石地に蒔かれた種は神の言葉を聞いても、根が無いのでちょっとした試練で身を引いてしまう人達
茨の中に落ちた種は神の言葉を聞いても、途中で人生の思い煩いや富や快楽に覆いふさがれて実が熟すに至らない人達
良い土地に落ちた種だけが神の言葉を聞いて、神の言葉を守り忍耐して実を結ぶ人達
と説法した
−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 立派な信仰とは −−−−−−−−−−−−−−−−−−
信仰に限らず、何をするにしても全くその通りでしょう...
私もこの言葉を読んで、何とかこのルカ福音書の注釈を完成させようと言う気持ちになりました(汗汗)
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「ともしびのたとえによる説法」8/16−8/18
イエスはともしびによって隠れている物があらわになる様に、根のない信心はあらわにされてしまうと説法した
「イエスの母、兄弟の接見」8/19−8/21
イエスの所に実の母と兄弟が来たが、群衆が多く近づけない為、接見した係員がイエスに連絡したが、イエスは「自分の母・兄弟とは神の言葉を聞いて行う人達の事である」と言って(多分)会わなかった。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 親族との不和 −−−−−−−−−−−−−−−−−−
なぜイエスは親族に会わないのだろうか?
ことさら、自分の母・兄弟は神の言葉を聞いて行う人達と言っおり、またイエス達に同行していない状況を考えると、特にイエスの兄弟達(母マリアは不明)はイエスの宣教を信じていなかった為ではないか
これはヨハネ福音書7/1−7/9あたりからもうかがえることで、取り分けヤコブは、この数年後にエルサレム教会で使徒達の代表になっているので、イエスとヤコブの関係や使徒達との関係に大きな謎が生じてきました
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「突風を静める」8/22−8/25
イエスはある日、弟子達と一緒に湖の対岸へ行こうと船に乗り込んだ、渡っているうちにイエスは眠ってしまい、やがて突風が湖に吹き込み、彼らは水を浴びて危なくなった。
弟子達の呼びかけでイエスが起きあがり、風と荒波とを叱ると、静まって凪にになった。
イエスは「あなた方の信仰は何処にあるのか」と弟子を叱った
−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 何の教えだろう −−−−−−−−−−−−−−−−−
湖に吹き込んだ突風は、何かの例えの様に思うが、何事にも泰然自若に構える事の教えの様に思う
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「悪霊に取り付かれたゲラサの人をいやす」8/26−8/39
一行はガリラヤの対岸の町ゲラサで悪霊に取り付かれた男に会い、その男から悪霊が出るように命じた
悪霊とのやりとりがあり、悪霊が底なしの縁へ追いやらないように願い、豚の群の中に入り、豚の群は崖を下って湖になだれ込みおぼれ死に、男は正常に回復した、この様子を見ていた人達は、自分の所にも来てもらう様に願った
−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 悪霊とは −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
先の婦人達の紹介においても、七つの悪霊に取り付かれたマグダレーネ・マリアの事が記載されているが、七つとは沢山の意味だろうから、重度の精神障害と考えたいが、ゲラサの町の場合「彼らすっかり恐れに取り付かれていたのである」と言ってるので、恐怖心の事と思われる。七つの悪霊に取り憑かれたのは、恐怖心が重なってノイローゼ状態になりおそらく口も聞けなくなったのだろう、当時のイスラエルは多くの民衆が恐怖心を抱く様な世界だったのだろうか
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「ヤイロの娘とイエスの服に触れる女」8/40−8/56
一行がガリラヤに戻ってくると、ヤイロと言う会堂長の12歳の娘が死にかけていた
イエスがそこへ行く途中12年この方出血が止まらず治療に全財産を使い果たしたが治らない女が、イエスの服の房に触れると直ちに出血が止まり、イエスにひれ伏して、病が癒されたことを話した
イエスがその場で話をしていると、会堂長の家から人が来て、12歳の娘が死んだのでもう来ても仕方ないと言ったが、イエスはペテロとヨハネとヤコブ(ヨハネの弟)を連れて、「娘よ、起きなさい」と呼びかけて娘を蘇らせた
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イエスの奇跡事と思える話が多いので、注釈が難しいのですが、イエスが死んでから30年程後に成立した原マルコをたたき台にしている事や、民衆への教科書としての役割を考えた場合、そういう表現を取ることが意味があったのかも知れない。
奇跡事としても(日本神話もそうですが)その話のモデルになる様な事件はあったのだろうし、奇跡事として何かを訴えている様な気もします。
マタイ、マルコ福音書では、イエスが湖上を歩く奇跡を描いているが、ルカは採用していない。ルカは原マルコの湖上を歩く話しに、何も訴えるものがないと考えたのではないか
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「12人を派遣する」9/1−9/6
イエスは12人の使徒を集めあらゆる悪霊にうち勝ち、病を癒す力と権能を与え、各地に派遣した
「ヘロデ、戸惑う」9/7−9/9
イエスの噂が時のガリラヤ地方の領主であるヘロデの耳に入り、どういう人間であるか詮索した。
「5千人に食べ物を与える」9/10−9/17
12人の使徒が帰り各地での宣教の仕儀をイエスに報告し、彼らとともにベトサイダに退いた。
群衆がイエスの噂を聞いて5千人程の男が集まり、5つのパンと魚2匹を群衆に配り食べさせ、すべての人が食べて満腹し、残ったパン屑を集めると12籠もあった。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 食べ物の分配 −−−−−−−−−−−−−−−−−−
これも奇跡的表現が入っているが、少ないパイを平等に分配する事の重要性を訴えたのだろうか
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「ペテロがイエスの事をメシアと言う」9/18−9/20
イエスと使徒達に、群衆が自分の事をどの様に噂をしているか尋ねた
使徒達は「洗礼者ヨハネ」「エリア...(メシアがくる前にその前払いをするとされる天使の1人)」「昔の予言者の1人」と答えた。
イエスは使徒達がどう考えているか尋ねたところ、ペテロが「神からのメシアです」と答えた
−−−−−−−−−−−−−−−−−−− ペテロの認識 −−−−−−−−−−−−−−−−−−
ペテロや使徒達はイエスがメシアに成るべき人物と考えていたのだろう
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「イエス、死と復活の予見をする」9/21−9/27
イエスは使徒達に、自分がいつかエルサレムに行って、長老・祭司長・律法学者達から非難を受けて殺されるであろうが、3日目に復活する事を説明し、外部に漏らさないように戒めた。
さらに使徒達も多くの苦難を受けるだろうが、自分を捨て、日々十字架を背負って自分についてくるように激励した
−−−−−−−−−−−−−−−−−−− イエスの認識 −−−−−−−−−−−−−−−−−−
マタイ福音書では、ここでペテロとの口論が入っているが、ルカは採用していない。
キリスト教では、3日目の復活の予言からイエスを予言者としているところもあるが、イエスは自分達の行動が、律法学者達からは極めて不都合な行動である事を認識していて、何れ抹殺されるであろうと予想しただけの事です。
福音書編者は3日目の3と言う数にあまり意味を感じていない様で、翌日か翌々日に復活した様に描いているので、3日目と言うのは早々にと言う位に理解した方がいいだろう
イエス達の属していたファリサイ派(エッセネーも含めて)は、死者の復活を信じていた様で、後のパウロ書簡でも死者の復活を唱えているが、サドカイ派は死者の復活も天使も霊も信じていなかった様だ(言行録23/7−8参照)。 それで、自分の亡き後に使徒達が引き継いで、この活動をしてもらう様に激励したのです
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