イエスの愛する弟子ヨハネ



これらの事について証をし、それを書いたのは、この弟子である。私達は、彼の証しが真実である事を知っている...ヨハネ福音書21/24



福音書を書いたのはどのヨハネか
ヨハネの名前の付いた巻物は5つあります。キリスト教会は長年その編者が、イエスの12使徒の1人である、ゼベタイのヨハネとして、この5つをヨハネ5大書として扱ってました。
しかし、このヨハネ福音書とヨハネ黙示録ではあまりにも、主張や思想が違いすぎ明らかに別人と思われます。
さらに、ゼベタイのヨハネについては
  12使徒のヨハネは漁師出身で、果たしてこれだけの物を書くだけの教養があったのか。
  エルサレム教会の指導者であったヨハネが、こういう主張をしていたのかどうか。
  2書簡1/1の「長老のわたし」は、年代的にゼベタイのヨハネと合わない
  ヨハネ福音書には、ガリラヤの光景が殆ど描かれていない(ゼベタイのヨハネは
     ガリラヤ出身)
等の疑問がつきまとっていました。
ヨハネ福音書を読んでて、ふと目に留まったのは、名前が示されていない「イエスから愛された弟子」の存在です。
「イエスから愛された弟子」とか「もう1人の弟子」はヨハネ福音書に6−7回登場します。一番重要なのは最後の晩餐(13/23−26)の時でしょうか...
私は大胆な仮説をしますが、ゼベタイのヨハネとは別に、AD15年頃エルサレムの近くの祭司の家に産まれ(もしかしたら洗礼者ヨハネに縁の者かもしれない)、若くして洗礼者ヨハネの共同体にはいり、そこでイエスに接触し15歳頃にイエスにつき添って洗礼者ヨハネの共同体から出て、イエスの刑死も目撃し、しばらくイエスの母のマリアを引き取り(19/27)、エルサレム教会にしばらく属し、エルサレム崩壊後エフェソス(?)に移住し、ヨハネ原始教会(エルサレム原始教会ではない)の指導者になったヨハネと言う人物がいたのではないでしょうか
そしてそのヨハネが青年期に「イエスから愛された弟子」であり、80歳位になって「長老のわたし」になったのではないでしょうか
ヨハネ福音書は、この長老ヨハネの指導の基で、何人かの編者が時間を掛けて編集したのではないかと思います。とりわけイエスのエルサレムでの出来事が、共観福音書と違いリアリティがあり、12使徒の説明がなかったり、マタイやルカの様に処女降誕の話しもなく、ダビデ王からの系図もない理由は、この福音書だけは本当にイエスの身近にいた人物ではないかと感じさせるからです。
AD15頃の産まれと言うと、若すぎると思う方もいると思いますが、ユダヤ古代誌を書いたヨゼフスはこの年代に幾つかの宗派を体験し、最後にファリサイになったと書いていますし、もし洗礼者ヨハネに縁の者だとすれば十分な年齢です。
エルサレムの使徒達と
この「イエスから愛された弟子」と、マルコが12使徒として描いたエルサレム教会の使徒達との関係はどうだったのでしょう
マルコ福音書には、若き日のマルコ自身が登場します(マルコ14/51)。マルコの家はエルサレムの近くで、エルサレム教会の信者だったのでしょう、ペテロが脱獄して最初に逃げ込んだのがマルコの実家であったと示されています(使徒12/12)。
さらに使徒では、ペテロが脱走したことをヤコブ(イエスの弟でエルサレム教会の指導者)達に伝えて貰う様に依頼して、さらに(多分追っ手の届かない地域)何処かへ逃げていった様です(使徒12/17)。
最初の共観福音書を書いたマルコも、まだ青年で福音書を書く年齢では無かったのでしょう、「イエスから愛された弟子」もマルコと同じ年代だったのでしょう、マルコと同様にエルサレム教会の信者で、イエスの母親マリアを預かったのが史実であれば、その弟子の実家もエルサレム教会の信者だったと思われます。
マルコ福音書がこのエルサレム教会に批判的であったとする文献も幾つか見受けますが、実際に教会を預かる立場(ヤコブや使徒達)と、若い青年の理想主義が対立するのは、どの社会でも見受ける事ですし、このヤコブも後日大祭司アンナス2世によって、律法をないがしろにした咎で処刑されてます(ヨゼフスの古代誌、AD62年頃)。
またパウロ書簡では使徒達を「大いなる使徒」と呼び、エルサレム教会を「神の教会」と呼んでる事は、パウロにとって、ヤコブや使徒達は数少ない盟友(理解者)だったと思いますし、パウロの「律法に因らない信仰」・「異邦人への宣教」を支持していた人達である事は間違えないと思います。
ヤコブの人と成りは現実主義者ヤコブを覗いて下さい。
「イエスから愛された弟子」はマルコと同様に、ヤコブや使徒達から「イエスの名による信仰」を教育されたんだと思います。
12使徒とは
共観福音書は尽く12使徒を描いてる。その名は(マルコ3/16−19)
こうして十二人を任命された。シモンにはペトロという名を付けられた
ゼベダイの子ヤコブとヤコブの兄弟ヨハネ、この二人にはボアネルゲス、すなわち、「雷の子ら」という名を付けられた
アンデレフィリポバルトロマイマタイトマス
アルファイの子ヤコブタダイ、熱心党のシモン
それに、イスカリオテのユダ。このユダがイエスを裏切ったのである
そもそも12と言う数字に拘るのは、新約聖書の特徴である。12の仕事分担があって、それぞれのリーダーに選出されたものではない。
イスラエルの12民族を意識した物でしょう(ヨハネ黙示録7/4−8等参照)
果たして本当に12人が同じように重要な任務を持っていたかどうかは、かなり疑問です。
共観福音書では、イエスの重要な行動の時に必ず同行してるのが、ペテロとゼベタイの兄弟(ヨハネとヤコブ)です。そしてヨハネ福音書では重要人物である、アンデレ・フィリポ・トマスについては、名前が出てるだけです。
一方ヨハネ福音書ではどうでしょう、まずマルコの様なリストはありません。ヨハネ福音書の20章までで、名前が上げられるのは、ペトロアンデレフィリポナタナエルトマスの五人です。「ゼベダイの子たち」は(ヤコブとヨハネという名をあげないで)21章に出てくるだけです。
ヨハネ福音書についても12使徒についての言葉がないわけではありません。(6/66−71)、ヨハネの編者は当然原マルコを読んでいたでしょうし、無視して書くわけには行かないでしょう...
イスカリオテ・ユダの扱いも、共観福音書とはだいぶ違ってます。
福音書13/27
ユダがパン切れを受け取ると、サタンが彼の中に入った。そこでイエスは、「しようとしていることを、今すぐ、しなさい」と彼に言われた。
ペテロに対しては、原始教会のリーダーとして敬意を持っていたのだろうと思いますが、共観福音書を作り上げた教会の主張とは一線を画していたのかもしれません。僕はこの違いについて詳しく説明する能力がありませんので、興味のある方は別の資料を読んでください
異なる福音...原始グノーシス
ここまで、共観福音書との違いを書いてみましたが、そもそもイエスの教えに影響を受けた人達には、どんな人達がいたのでしょう...
 @エルサレムのペテロ・ヤコブを宗主とする使徒達の教会
  イエス没後の最初の教会は間違えなくこの教会です、共観福音書のマルコも、
  このイエスから愛されたとするヨハネもこの教会の信者だったはずです。
  またパウロが改心した後に手を結び、「神の教会」と読んでいるのもこの教会です
 Aパウロ・バルナバによる異邦人宣教の教会
  パウロと言う強烈な個性を持った人間が指導者となって異邦人宣教をしていた
  のですが、共観福音書もパウロ神学が大きく影響したんだと思います
 Bことなる福音を知らしめた巡回霊能者達
  新約聖書ではコリント人の放胆・快楽主義として描かれていますが、実際は
  洗者ヨハネ−イエス−より受け継いだグノーシス的な主張を持っていたらしい
  パウロはコリントの町でこの人達と論争していたようですが、パウロ書簡(コリント)
  からは、パウロの独善的な主張しか読めません。使徒18/24−19/10に
  登場するアレクサンドリア生まれのアポロが、この巡回霊能者の1人だとすれば
  この使徒の説明が理解できるかも知れません。この人達の主張は後にグノーシス
  として展開していきます。
 Cさて、問題のヨハネ共同体なんですが、おそらくどの人達をも受け入れていたのでは
  ないかと思います。そんなことが可能かどうか疑問に思われると思いますが、この
  ヨハネ福音書には、いろんな要素が含まれていると思います。
他のヨハネ文書との関わり
ヨハネ福音書は、幾つかのソースを数人の聖職者によって、年月を経て編集された物です。
その編集責任を負った人が、ここで言う「イエスから愛された弟子」と言うのが僕の直感
ですが、一方1−3のヨハネ書簡はどうでしょう。僕はこの「イエスから愛された弟子」
が年をとって「長老のわたし」になった人が、概ね1人で書いた物ではないかと思います

ヨハネ文書の中で1つ可成り異質の巻物があります。ヨハネ黙示録です。
ヨハネ黙示録は風化したハルマゲドンで書いたのですが
よくよく読んでみると、どうやらこれも数人の編者がいた様です。
 1−3章    長老ヨハネではないヨハネ       A’−ヨハネ
 4−20章   ヨハネ共同体の若い2−3人のヨハネ  B−−ヨハネ
 21−22章  もしかしたらこの長老ヨハネではないか A−−ヨハネ
それで、4−20章のややもすれば、精神異常者ではないかと思われる文章の編者が、
はたしてヨハネ共同体の「長老のわたし」のもとに存在し得たのかどうか疑問に思いま
すが...これは疑問のまま残しておきます
永遠の命
「永遠の命」という言葉は、ヨハネ文書で圧倒的に多い言葉ですが、実にヨハネ福音書で17回使われいます。マルコ福音書が2回であるのに比べると、ヨハネ教会の独自の概念であることが想像されます。
「永遠の命」のギリシャ語は zooee aioonios だそうですが、命と言う言葉のアイオニオスはグノーシス用語でさかんに使われるアイオーン(天界とでも約すんですか?)の形容詞形です。
この言葉は実はグノーシス的言葉なんですね。一般に考えられてる様に「人の肉体が永遠に生きる」事ではなくて、ある種の天使的役割を持った人間になる事の様です。
詳しくはグノーシスを研究して欲しいのですが、マルコ福音書の数少ないアイオーンを読んでみると、解りやすいです。
マルコ10/17
  イエスが旅に出ようとされると、ある人が走り寄って、ひざまずいて尋ねた。「善い先生、永遠の命を受け継ぐには、何をすればよいでしょうか」
つまり、共観福音書の編者もグノーシスの元になった考え方をしていたと言うことです。「アイオーンを受け継ぐには、何をすればよいでしょうか」とイエスに訊ねた意味がご理解頂けるでしょうか
「肉体が永遠に生きること」でしたら「受け継ぐ」と言う言葉は不自然です。グノーシスで言うところのその様な境地に至った人間であれば、このマルコの言葉も解りますし、ヨハネ福音書がさかんに主張してる事も納得できます。
はじめに言葉あり、言葉は神と共にあり
イエス・キリストが肉(人間)となってこの世に来られたとする主張は、「イエスから愛された弟子」の主張だと思います。それも彼の若い頃の思想ではなく、パウロ神学を吸収し、かなり晩年になって確立した物でしょう。
パウロや共観福音書の人達はどう考えていたのでしょう。
パウロも共観福音書の編者も概ねユダヤ教徒であったハズです。YHWHを崇拝し、若い時期に他に神なしとして叩き込まれて育った人達です。人間より遙かに崇高な存在として神を認識していたハズです。そこに偉大な指導者イエスが存在していても、それを神とするのは思想的にあり得ないと思います。
イエスを神とするには、その前段階で、YHWHの唯一の神としての権威が失墜する様な事がなければ難しいと思います。
AD66−70年、ユダヤ人達はローマ帝国と戦いました。聖性が宿ると信じられた都エルサレムと神殿を失いました。にもかかわらずYHWHは沈黙したままでした。この戦争の悲惨さは、フラヴィウス・ヨゼフスがユダヤ戦記と言う本に描いてますが、エルサレム周辺にいた聖職者達にとって、YHWHの唯一の神としての権威はなくなったのではないかと思います。
ヨハネ黙示録の新しい天と地・新しいエルサレム(黙示録21章−)は、同時にYHWHの権威の失墜を示した物だと思います。
この後にはじめに言葉あり、言葉は神と共にありが示されたのではないかと思います。
光は暗闇で輝き、暗闇は光を理解しない
明らかにグノーシスの言葉です。キリスト教系グノーシスの代表的な巻物はトマス言行録だと思いますが
トマス言行録83
イエスは言われた。”像(複数)は人間に現れている。それらの中にある光は
父の光の像の中に隠されている。彼は現れるであろう。彼の像は光によって隠
されている”
とそっくりです。パウロ神学が
ローマ人への書簡3/22
すなわち、イエス・キリストを信じることにより、信じる者すべてに与えられ
る神の義です。そこには何の差別もありません。
と比較すれば、その違いは一目瞭然ではないでしょうか。パウロはイエス・キリストを「信じる者には、全ての者に神の義(救済)が与えられる」としているのに対し、グノーシスは「光(叡智)は像の中に隠されており、暗闇(愚)は光(叡智)を理解できない」としているところです。
キリスト教会においては、万民の者達の存在であり、必然的に「神」として扱われる必要があります。グノーシスでは、一部のエリートの為の存在であり、必然的に「偉大なる師匠」でしかありません、決して神にはならない存在です。
分裂の危機
イエス・キリストが肉(人間)となってこの世に来られたとするのが、「イエスから愛された弟子」の主張だと思います。これは福音書では顕著に示されてませんが、ヨハネ書簡に示されてます。(ヨハネ第1書簡4/2・第2書簡1/7など)
さらに、それを信じない者は反キリストとして糾弾してます。イエス・キリストの受肉を信じない者達、すなわちグノーシス派を非難してます。
教会派とグノーシスの確執がすでに、「イエスから愛された弟子」がヨハネ教会の指導者であった頃に始まっていたことが読みとれます。
パウロがコリント人の放胆・快楽主義として非難した人達が、一時はヨハネ教会で同じイエスの信望者として交わっていたのでしょうが、イエス・キリストが肉(人間)となってこの世に来られたとする主張が確立された段階で、教義の違いが明確になったのではないかと思います。
イエス・キリストが肉(人間)となってこの世に来られたとするのは、パウロにもなく共観福音書の編者にもその様な主張はなかったと思います。

とりあえず終わりです

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