●児童文学散歩の付記●

 「赤い鳥」についての概説

 「赤い鳥」は、近代児童文学の成立期に主導的な役割を果たした童話雑誌。 鈴木三重吉の主宰する赤い鳥社によって、1918(大正7)年7月に創刊。 三重吉が亡くなる1936(昭和11)年まで刊行された(途中休刊あり)。

  夏目漱石門下の鈴木三重吉は、当時の文壇の作家たちの協力を得て、芥川竜之介の「蜘蛛の糸」「杜子春」、有島武郎の「一房の葡萄」などの作品をはじめ、小川未明、坪田譲治、新美南吉、平塚武二などの童話、北原白秋などの童謡作品を紹介し、日本の近代児童文学における優れた童話作家、童謡詩人を育成、輩出した。

 創刊号に掲載された「赤い鳥の運動に賛同せる作家」の名は、泉鏡花、小山内薫、徳田秋声、高浜虚子、野上豊一郎、野上弥生子、小宮豊隆、有島生馬、芥川竜之介、北原白秋、島崎藤村、森森太郎、森田草平、鈴木三重吉。そのほか、三木露風、谷崎潤一郎、小川未明、佐藤春夫、西条八十、菊池寛、豊島与志雄なども「赤い鳥」に童話や童謡を執筆した。一流の文豪の執筆陣を揃えただけでなく、次世代の作家・詩人の育成、児童の綴り方運動などにも力を入れ、日本の児童文化のはばたきに大きな役割を果 たした。
 また、清水良雄を主任画家に迎え、表紙や挿絵には清水をはじめ当時人気の画家たちの絵が起用された。

 児童雑誌「赤い鳥」は、鈴木三重吉の自宅・北豊島郡高田村大字巣鴨字代地3559(現・豊島区目白3-17-1付近)で創刊される(1918(大正7)年7月)。
  1919(大正8)年に赤い鳥社は日本橋へ移転(おしるこ屋さんの2階)し、その後また目白に戻って近辺を転々としている。
  1920(大正9)年には赤い鳥社を高田町3559へ、1922(大正11)年には自宅兼赤い鳥社を高田町3575(現・目白3-18-6)に移す。1924(大正13)年10月は市谷田町3-8に赤い鳥社、自宅を長崎村字荒井1887(現・目白4-8)へ、1925(大正14)年3月は自宅兼赤い鳥社を長崎村字荒井1880(現・目白4-5)に置く。1926(大正15年)赤い鳥社が日本橋・加賀銀行5階へ。1927(昭和2)年、自宅兼赤い鳥社が四谷区須賀町40番地に移転する。

 1936(昭和11)年6月27日、肺臓ガンのため、鈴木三重吉逝去。同年8月に「赤い鳥」は終刊。10月には「赤い鳥鈴木三重吉追悼号」が刊行された。


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