●児童文学散歩ミニガイド●
第2回 大正の児童文化・開花の薫りを夢みて−目白から池袋を歩く |
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大正時代は、児童文化の黄金時代といわれています。デモクラシーの自由な空気のなかで、童謡・童話などを中心に掲載する子供のための雑誌が次々に創刊され、作家・画家・詩人など、一流の芸術家たちによって、現代にのこる名作が次々に生みだされました。 |
報告その1 鈴木三重吉が馬で毎朝訪れた、深沢省三の家 ●深沢省三・紅子の略歴はココをクリック● |
コースの出発地、目白駅に降りる。目白駅は改修工事中で、駅前は雑然とした感じ。駅を出て右手すぐに、学習院大学がある。その真向かいが女子校の「川村学園」。大正11年ごろ、ここには赤い鳥の画家・深沢省三が住んでいた家があった。
「赤い鳥と鈴木三重吉」(赤い鳥の会編)に掲載されている、深沢省三氏を囲んでの座談会(紅子夫人、与田準一、柴野民三、水野春夫、福井研介が出席)は、赤い鳥時代の三重吉の人間像がくっきり見えるようで面 白い。 「今の学校(川村学園)が建つ前の古い古い、まるでお化け屋敷みたいな、おっかない家を借りて住んでいた」という深沢夫妻のお宅に、鈴木三重吉が馬(!)で毎朝早く訪れ(朝の散歩でしょうね)、お茶を召し上がって帰っていったという。 まだ若く貧しい画学生であった深沢夫妻は、差し上げるお茶の工面にも苦労していた。ある日とうとうお茶がなくなって、紅子夫人が三重吉におそるおそる梅干しと白湯を出したら、これを「うまいなー」といって飲んでいたそうだ。 実は、三重吉先生は酒乱で有名なお方なのである。 しこたま飲んで「きさまっー、かえれー」と作家や画家にからんでたような話が色々出てくる。飲み過ぎた翌朝の「白湯と梅干し」。きっとほんとにうまかったのにちがいない。 |
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報告その2 「赤い鳥」の息吹をたずねて ●「赤い鳥」の概説はココをクリック● |
さて、時代は雑誌「赤い鳥」ができた頃に遡る。 1918(大正7)年7月、その後の児童文学を一変させた雑誌「赤い鳥」が創刊された。 児童雑誌「赤い鳥」は、鈴木三重吉の自宅・北豊島郡高田村大字巣鴨字代地3559(現・豊島区目白3-17-1付近)で創刊される(1918(大正7)年7月)。目白・池袋付近は当時、学習院、豊島師範(現・東京学芸大)、立教、成蹊などが次々に設立された文教地区で、赤い鳥社と三重吉の自宅は、この地を転々としていたようだ。 今回は、目白近辺での2回目の居住先、赤い鳥社兼三重吉宅のあった地、高田町3575(現・目白3-18-6・千種画廊)を訪れてみた。 目白駅を出て川村学園を背に、目白通りを歩く。通り沿いには、紀子さまが青春時代にお二人で入られた喫茶店などもあるらしい。おお、こんなところにまでBook-offがある−などと歩いていたら、道を行き過ぎてしまった。曲がる道は、駅からほんとにすぐの1本目の小道である(上の地図参照)。 通りを一本入ると静かな住宅街が続く。レンガで舗装された道沿いに、目指す「千種画廊」があった。画廊は閉まっていたが、ここには、写 真のように「赤い鳥社・鈴木三重吉旧居跡」の碑がしっかり立っていた。 千種画廊をあとにしてまっすぐ行くと左手に、立派な築地塀の「目白庭園」がある。回遊式の小さな日本庭園で、暖かい日の日なたぼっこには最適。そして、庭園内には数寄屋造りの茶室「赤鳥庵(せきちょうあん)」が建てられている。「赤い鳥」ゆかりの地ということで平成2年に建てられたもので、庵の中には鈴木珊吾(三重吉のご長男)氏の筆による額がある。 |
![]() 「千種画廊」前に立つ「赤い鳥社・鈴木三重吉旧居跡」の看板 ![]() 目白庭園内の「赤鳥庵」。お茶会などにも使用できるそうだ。 |
報告その3 坪田譲治の旧宅・「びわのみ文庫」 |
![]() 門には「坪田 」の表札がかかっている。 垣根の奥の玄関前には「びわのみ文庫」 の看板が掲げられている。 |
目白庭園から、西武線の踏切を越えて住宅街をしばらく歩き、「上がり屋敷公園」(普通
の公園)角の四辻を右に曲がったところに坪田譲治の旧居「びわのみ文庫」がある。
坪田譲治ももちろん「赤い鳥」ゆかりの作家の1人である。 |
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報告その4 自由学園と「子供之友」 ●「子供之友」の概説はココをクリック● |
「婦人之友」「子供之友」「新少女」の3誌を発行していた羽仁吉一・もと子夫妻は、1921(大正10)年、高田町雑司ケ谷(現・豊島区西池袋2-31-3)にキリスト教信仰に基づいた自由教育を行う女学校「自由学園」を創立。 |
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報告その5 豊島区立郷土資料館から池袋駅へ |
婦人之友社をあとに、池袋駅の方へ向かうと、ちょうどメトロポリタンホテルの前に出る。その近くの池袋消防署(防災館)の隣に、豊島区立郷土資料館(豊島区西池袋2-37-4 勤労福祉会館7F 03-3980-2351)がある。 郷土資料館は 勤労福祉会館のビル7階のこじんまりしたフロアにあり、池袋のヤミ市や1930年代に池袋モンパルナスと呼ばれた芸術家村「長崎アトリエ村」の模型が常設展示されている。そして、今回の参考資料にも用いた1991年の特別 展図録「こどもの再発見−豊島の児童文化運動と新学校」は、ここで入手することができる。 第2回の散歩の取材・執筆にあたっては、以下の資料を参考にしました。 参考資料 ●「こどもの再発見−豊島の児童文化運動と新学校」豊島区郷土資料館編●「「赤い鳥」と鈴木三重吉」赤い鳥の会編/小峰書店●「国文学解釈と鑑賞」1998年4月号●「太陽」1979年3月号●「びわの実ノート」第12号/ポプラ社●「幼年絵雑誌の世界」中村悦子著/高文堂出版社●「ユリイカ」1997年9月号/青土社●「幻想文学」第24号/幻想文学出版会●「日本児童文学史研究」鳥越信著/風濤社 ほか |