●長崎の児童文学散歩●

 長崎源之助とナガサキの子どもたち


 1944年、第二次世界大戦中、長崎源之助は召集をうけ、中国へ行く。1946年に復員船で佐世保に戻ったが、病気のために自宅(横浜)へはすぐに帰らず、長崎県大村市の海軍病院(現・国立長崎病院)に入院した。
 長崎源之助は、自伝的エッセイ「私の児童文学周辺」(偕成社)の「ナガサキの子どもたち」の章のなかで、当時のことを振り返っている。
 長崎氏が入院したとき、病院の階段で出会ったのは長崎で原爆の被害をうけたこどもたち。長崎氏は原爆症のひどい病状をなまなましく描きつつも、そのこどもたちのたくましさ、明るさを淡々と記している。この章のしめくくりのことば「戦争は絶対におこしてはならない」という長崎氏の言葉は、ずしりと重い。


長崎散歩地図のページに戻る
 ●児童文学散歩ミニガイドの目次に戻る● ●HOME