●港町・ヨコハマ〜山手の児童文学散歩●
「赤い靴」の像 きみちゃん
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野口雨情の書いた童謡「赤い靴」がはじめて世に出たのは、大正10年12月号の雑誌「小学女生」。翌年、本居長世が曲をつけ、全国の子供たちに広く愛されるようになった。また、雨情作「青い眼の人形」は、大正10(1921)年11月に雑誌「金の船」に掲載されたのが初出となる。
この「赤い靴」の女の子に実在するモデルがあったのは有名なはなしで、本名は「岩崎きみ」ちゃん。当時(明治38年頃)3才だったきみちゃんが宣教師の異人さんの養女になってアメリカに行った、というはなしを雨情が聞いてこの童謡を書いた、というわけである。 このはなしには後日談があって、実はきみちゃんはアメリカに行かずに東京・麻布の孤児院に入り、9才で亡くなってしまったという。現在、麻布十番には、この「きみちゃん」の像がたっている。 絵本「きみちゃんとかっぱのはなし」(神沢利子作・田端誠一絵)は、横浜を舞台にしたおはなしだが、主人公の「きみちゃん」の名は「赤い靴」の女の子にちなんで付けられたものかもしれませんね。 |
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