●港町・ヨコハマ〜山手の児童文学散歩●
平塚武二/長崎源之助
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●「月」「ヨコハマのサギ山」
「あたらしい船」 平塚武二
平塚武二は、明治37(1904)年に横浜に生まれた児童文学者。平塚は作品「月」のなかで、自分の生まれた町のことをこう書いている。 『横浜のごみごみしたまずしい町で、私は生まれた。私の左どなりは炭屋、右どなりはブリキ屋、前にはそば屋があった。……』 平塚武二は、横浜の下町(中区末吉町)で育ち、雑誌「赤い鳥」の編集や海事新聞記者などを経て、童話作家になった。「ウィザード博士」「ミスターサルトビ」など、諷刺のきいたちょっとへんてこな作品が面 白い。 「月」と「ヨコハマのサギ山」の両作品は、横浜の下町に住む子供たちを描写 したもの。昔は外人墓地のことを「異人墓」といっていたんですね。 平塚武二の「あたらしい船」(茂田井武の絵で1948年に出版)は、機関車トーマスの船版のようなおはなし。「横浜」の地名は出てこないが、きっと平塚は横浜の港に出入りする船を思い浮かべながらペンをはしらせたのだろう。 ●わたしのヨコハマ物語 長崎源之助 ハマッ子の児童文学者・長崎源之助氏が、横浜の歴史とそこで育つ子供を生き生きと描いた作品。平塚武二に師事し、佐藤さとる、神戸惇吉、いぬ いとみこらと「豆の木」を創刊し、「戦争」という重いテーマを追求しながら、意欲的な作品を生みだしていった。 長崎源之助が横浜を舞台に書いた物語には、「向こう横丁のおいなりさん」「トンネル山のこどもたち」などもある。 |
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