▼Home ▼本の未整理棚へ ▼独書間奏へ

990116 第10回日本ファンタジーノベル大賞選評を読んでつれづれ。

 選考委員は、荒俣宏、安野光雅、井上ひさし、椎名誠、矢川澄子の五氏である。
 私自身は、今のところ候補作4作のうち『オルガニスト』と『青猫の街』を読んだのみなので、この二作に関する評価を中心に読んだ。ほかは今後の指針として、また各氏のこの賞、ひいてはあたらしい小説に対する姿勢はどのようなものかという興味を抱いて読んでみた。

 五氏は大賞受賞作については互いにかなりオーヴァーラップする評価を下していると見ることができる。だから、結果的に「オルガニスト」が大賞を取ったと言うことに関しては納得がゆく。

 しかし、各選考委員について個別に見てみると、こと「青猫の街」に関しては各人評価がまちまちであるようだ。以下、各選考委員別に見てみた。

 自らもインターネット利用者である荒俣宏の「青猫〜」に対する評価はもっとも的確であると感じた。たとえば「青猫」システムが説得力を欠く、と言う指摘も的を射ているし、また「青春ドラマを思わせる部分がある」という記述もしかり。ちなみに「オルガニスト」に対する評価も適切。

 安野光雅はお年に似合わず(?)好意的な評価を下していたが、この作を「特異」な表現とするところがやはり年代か。「いい文章はやさしい」というタイトルは含蓄があってよろしい。これらの作品が「店頭に本として売っていた場合、手にとって読むだろうか、そして買うだろうか」という疑問を呈していたが、確かにそれはあるかもしれない。
 一読者としての視点からすると、受賞作をハードカバーとして高い価格設定で出版するのはどうしてだろうかという疑問がある。もう少し軽い装本で手の出しやすい価格ならば、毎年買うのだけれど。ちなみに、過去の受賞作リストがあり、私がこのうち昨年までに買ったのは『後宮小説』だけであった。

 井上ひさし。年季の入った書き手らしく的を射た評価。しかし、「青猫〜」に対してわざわざ「強く読者の存在を意識」せよというご指導はなくもがなかと思う。「『すべての芸術は、受け手に完全に受容されたとき、初めて作品として完成する』と言う常識」と述べているが、何も作品はすべての受け手に今現在受容されなくてもよいのである。ましてファンタジーノベル大賞には、おそらく先進的、実験的性格もかなり評価されるのだろうと言う期待があるので、はじめから完成された作品を望むような発言には失望。 
 「オルガニスト」評で、「言葉を旋律に置き換えるアイデアに、非凡の才」とあるが、この場面自体は山場であり作者の力も入った感動的なところであるけれども、そのアイデア自体は少しでも音楽をかじったものなら非凡でもなんでもない。
 一体に、どの選考委員も、自分の不案内なものについて、「オルガニスト」のように有機的な印象のものであればマル、「青猫の街」のように無機的な印象であればバツ、という無意識的な好悪の情があるように見受けられるのは私の偏見か。

 椎名誠は、当人がつけたものかどうか知らないが、タイトルからして「やや不満」とのことだ。個人的には「ヤンのいた島」がお気に入りと見える。その中で「他の三編がひどく内向した未来のないどうにも鬱屈した話」と評している。しかし少なくとも私の読んだ二編については、見かけはそうかもしれないが、じつは決していわゆる内向的なものではないのではないか(後述)。
 また、「青猫〜」の決して時代を先取りしていると言うほどではない題材を評して、「超前衛的」と評するなぞ、もはやファンタジーノベル大賞の選考委員としては不適格であると思う。椎名さんは、好きですよ私、念のため。

 矢川澄子は唯一の女性で、その視点からの評を期待したが、何ほどのことはなかった。
 歴史と伝統に立脚した世界の「オルガニスト」の対極が「青猫〜」で、「これははっきり未来を目ざしている」とあるが、どういう意味合いでこう述べたのだろうか?私はこの二つは対極であるとは思わないし、「青猫〜」が未来を目指している内容であるとも思えない。
 いっぽう「幸か不幸か、今の若い人々は思いのほかまじめで内攻的なようだ」と評するあたりは、ほめているのかけなしているのか、どちらでもない単なる感想なのかもしれないが、氏がこの二作に見られる一種閉塞した世界観(感)を感じ取っているのかとも思われる。
 この「内攻的」という字は、当たっているかもしれない。内側の世界へ攻めてゆく。外界はもはや閉塞しているので、内的世界へ脱出を図る、という試みが二作に共通しているように思えるからだ。椎名誠の用いた「内向的」という字面の持つ、内に向かって閉じこもるというイメージは実はあまり当たっていないと思うのだ。

 総じて、作品に選考委員が追いついていっていない感じを受ける。次回から選考委員に入れ替わりがあるということだが、創設から10年たったから、選考委員の年齢も10才若くなるのだろうか。あまり若くても、ということはあるが、むしろ選考委員の新陳代謝をもう少し活発にすべきであるとは言える。第1回の荒俣宏の選評は私も記憶にあるが、その「まだ日本に根づかない―したがって、まだ書かれたことのない何かである」という一文に表される意識は、今後とも選考基準の大元におかれるべきだ。

▼Home ▼本の未整理棚へ ▼独書間奏へ