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寮美千子 リーディング・パフォーマンス
『ノスタルギガンテス』

990925 和光大学にて (和光大学受験生ガイダンスの一環としての模擬授業)

寮美千子
明石隼汰氏(ピアノ)
酒寄進一氏(ドイツ文学・翻訳評論)

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 さて、午前の部(町田ブックオフツアー)を経て、鶴川駅よりなんだか恐ろしい思いをしつつ学バスに揺られて和光大学キャンパスに到着した我々怪しいネットもの。勝手知ったる母校を先頭に立って案内するカワカミさんのあとをくっついて会場へ向かう。部室長屋に書かれた字や落書きが、いかにも、という感じ。かいま見える部室の中は、ああなつかしい、われらがオケラの部室と似たり寄ったり。うーん、学校、っていう匂いがする。いや、抽象表現ではなくて実際に。

 ちゃんと3時に着いたのだが、パフォーマンスの前に純正ガイダンスがある、と言うことで、開始は4時頃だという。藤棚の下に座り込み、手に手にお茶の缶やボトルを持ち、四方山話。時々現れる数匹の猫(人呼んで和光ねこ)が、また器量の良い子ばかりである。ひとりにつき1匹お持ち帰りできるくらいの数がいたのでは?

 ようやく始まったRP、寮さんは黒のパンツスーツにやおらヘッドギア(マイクね)をつけ、手には原稿を持ち、グランドピアノの前に立つ。

 導入は寮さんのみ。 

 生成する廃虚
  世界の裂け目
  記憶の王国
  あらゆる名づけ得ぬ
  廃虚の
  唯一の
  だからこそ無数の名

 ノスタルギガンテス

 そこへピアノが入ってきて、ときに寄り添い、ときにぶつかり合いまた補完しあい…。
単なる朗読、ないし朗読の延長にBGMとしてのピアノがつく、というレベルではなくて、声と音楽、さらに視覚的なもの、場の空気、などが相俟ったその場だけの空間が出現する。無味乾燥な書かれたテキストが感情で彩られた肉声によってあるひとつのかたちに収束する。その「あるひとつのかたち」を、場を共有する我々が受け取ったとき、またその「かたち」は個々の中で幾通りにも変容する。
 天を仰ぎ、がっくりとうなだれ、原稿をはらりと手から落とし、またある時はくしゃくしゃにして捨てる。ヒステリックに高まる声、次第にささやくように消える声。声を支えるピアノ、かき消すピアノ。畳み込むような繰り返しと、弛緩をもたらす間(ま)。

 RP用にいくらか書き直されたという、抜粋されたテキストは、ストーリーを追うものではないので、この『ノスタルギガンテス』を読んだことのない人にはどのように理解されるだろうか?と言う危惧が頭にあった。しかし、けしてすべての人にではないが、共鳴弦を持った人たちには予想以上にまっすぐに『ノスタルギガンテス』の青のエッセンスが届いていた!

 このかたちにしたとき、『ノスタルギガンテス』の散文詩としての特質が浮かんでくる。破壊と絶望の、切れ切れのイメージ。小説『ノスタルギガンテス』のもうひとつのかたち。小説が一般論なら、RPはごく個人的な、直接的な心の叫び。順序よく説明されていないだけに、余計、イメージが理不尽なほど突き刺さってくる。

 このような形は演劇にも近いし、また私にとって身近な形でたとえるなら室内楽だ。支え合いぶつかり合い、絡み合い突き放す。その時だけの一回的なイベント。ふたたびビデオで見てももうそれは違ったもの、なぜなら「場」の共有がないからだ。

 溝口さんヒラノさんはRP経験2度目。溝口さんはそう言うわけで視覚に頼らないで耳からの情報だけに集中したいと、一見気おつけお昼寝状態。私も、横から差し込む西日が邪魔だったせいもあって、目をつぶったり開いたり、両方してみたが、上に述べたような演劇的性格もあるので、とりあえず目を開けている方が多かった。ただし場所としてはこれに堪えるほどの場所ではなかったが仕方ない。むしろ今度予定されているラジオのような初めから音のみとして企画されたイベントであれば、聴覚から入ってくるこの言葉と音楽は、視覚効果を伴う場合とまた違った強いインパクトを持ちうるに違いない。RPの(視覚的効果を考えないバージョンね)CD版なんて企画されないだろうか!(夜中起き出して真っ暗な中でなにかを捜す、と言うシチュエーションを考えてみるがよい。なまじ目を開いていると、たとえ真っ暗闇で目からはいる情報はない(と感じている)としても、いったん目を閉じると同時に、視覚以外の感覚が一斉に暗闇に広がるのを実感できるだろう。実際、暗闇では目を閉じている方が感覚はとぎすまされ、ずっと空間把握しやすいのである。脳波を見ても目を開いているときと閉じているときでは大きな違いがあるのだから。<<ちょっと脱線)

★ ★ ★

 パフォーマンス終了後、寮さん、明石さん、ゼミの4年生、教授(上野氏)、の4人が演壇に座り、司会の教授(酒寄氏)がいまのパフォーマンスについてフロアから意見をきく、という「模擬授業」が行われた。ここで発言した3人の女子高生がほんとに素晴らしい感受性の持ち主で、原作をまったく読んだことがないのにも関わらず、原作のイメージ、核心を誤ることなくまっすぐに捉え、さらに問題点まで指摘していたのには舌を巻く。話を振られて一斉に伏せるネット系にせ学生の一団は、ひたすら拍手を送るのみ。

 内輪で本の販売など。布教本のノギガにサインを頂く。トルコの日蝕、とおっしゃって黒い太陽に金のコロナ、というかフレアを描いてくださった。
 MLで良く拝見している寮さんファンのかた(たきさん)や、私の夜歩きボードに時々お見えの生簀真美子さんにお会いできて嬉しい。

 カワカミさんの御利益か、関係者の方々と一緒に食事と言うことになり、我々は中秋の名月のもと、てくてく坂道を降りて駅近くのスエヒロ5へ向かう。途中小さい古本屋を見つけ、皆の足(溝口さんの足)がつい早まるのは、業(ごう)。このせいか、あとに出たはずの寮さんらは先に到着して待っておられたのであった。
 ここでは上の方から下の方までいろいろな話が出たようだが、私としては中でひとつ、ふたつの疑問を寮さんに伺うことが出来たのは収穫。

 ヒラノさんが掲示板で言っていらした「『ラジオスターレストラン』でどうしてイオの存在が必要なのかわからない」に対し、わたしは反射的に「イオがいるからユーリは戻って来るんです」と答えたことがある。また、同じくヒラノさんの、「どうしてノギガはユーリが主人公じゃないのだろう」に対しては、「ノギガは破壊の物語で、ユーリはいのちのつながりの旗手だから」と答えた。これらは、深く考えた、と言うのではなくて、さも当たり前のように私の中から反射的に出てきた返答だった。で、このことをお話する。後刻寮さんがMLにて、「そのとおり、書いた者が分からないことを読者は知っている」と言う投稿をされる。
 同じく『ラジオスター・レストラン』の、『銀河鉄道の夜』との設定の類似性やエンデの『はてしない物語』を想起させる部分などについて。ここのところは、類似性や影響の善し悪しを問いたかったのではなくて、なぜどういうふうに「抜きがたく」アーキタイプとしての宮沢賢治に影響を受けたかが訊きたかったのだが、そこまでは踏み込めずじまい。

 激しくパワフルに落ち込んでいる(どこがだ)寮さんを囲んで、場はえらく盛り上がったのであった。あれで落ち込みなら、好調のときって一体。
 そんなこんなしているうちに10時半、もういい加減帰らないと終電になりそうな時間だ。ほとんど深夜にも関わらず、1時間15分ほどで帰宅できたのでびっくり。それにしても予定よりずっと遅い帰宅だったが、所用で9時か10時に帰ると言っていた連れ合いは幸いまだ帰っていず、胸をなで下ろすのであった〜。(疲)

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