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990112 『青猫の街』 涼元悠一 新潮社

 第10回日本ファンタジーノベル大賞優秀賞受賞作品である。小説にしては変わった体裁で、左開き、横書きである。

 1996年の10月、物語は始まる。システムエンジニア(SE)の神野は、高校時代からの友人Aが、アパートに古いパソコン1台のみを残して失踪した事を知り、その行方を追い始める。
 残されたマシン、PC-9801VMの画面にはただ1行、How many files (0-15) ? とだけ(うわあ、なつかしい!)

 神野は偶然知り合った探偵・佐伯の助力を得て、ホームレスのあいだを探しまわるが、一方Aの元同僚から彼らが開発しながら計画が頓挫したゲームソフト「Bluecat」の存在を知らされる。刑事がふと漏らしたことば、「青猫」を手がかりに、彼はインターネットの世界へAを探しにゆきアンダーグラウンドBBSに行き当たる。

 ハッカーもどきの作業を経て「青猫」の謎に近づいたとき、彼の身の回りにはエンドレスファックス、脅迫的内容のe−mail、メイル爆弾などが届きはじめ、アパートの扉にも赤ペンキの痕が…アオネコニキヲツケロ

 意外な人物の手引きでいよいよ青猫に相対したとき神野の目の前に開けたのは、思いもかけない世界であった。

 以上が簡単なあらすじである。
 e-mailの画面、インターネットでの検索の模様、青猫暗号などが横書きに書かれるのは必然性を持つが、この横書きゴシック体が視覚的効果をもあらわしている。
 視覚的と言えば、どの場面でも映像を見ているかのような立体感のある書き方がなされており、視点の移動やズームの仕方が映画やTVドラマ、またゲームのような効果を持っているのが特徴である。

 後半にさしかかって、作品の中の現実(とネットの世界)、そして私自身の現実(とネットの世界)の境界が、ひどく曖昧に感じられるようになってきた。作中のネットの世界と、私自身のネットの世界が境界を接し、ついには融合してしまったかのようなのである。その融合を通り抜けて、私自身が作品中の「現実」に入り込んでしまったかのように思えるのだ。 

 あたかも、私がいつも読んでいる他人のWeb日記のむこう側に、その人の現実が実際にあるように、Webの向こう側のどこかに神野の住む世界が実際にあるかのような錯覚。錯覚を通り越して、実感と言ってもよいくらいに、この感覚はありありとしている。

 描かれているのは、Webの世界のみではない。SE・神野が生身の人間として、同じ人間相手に働いている日常であり、探偵・佐伯センセイに連れられて歩き回る都会の掃きだめであり、池袋のビルの屋上から眺める、行き詰まった都会の夜景である。ここには、どうしようもない閉塞感がある。神野がその夜景から得た洞察が、ずっしり心に残る。

 世界はもう、完成しているのだ。
 それはたぶん史上最低の製品だ。……(中略)
 ……レスポンスは悪く、至る所バグだらけで、インターフェイスも入出力も滅茶苦茶だ。取り残された構造部品たちは、格納記憶の片隅に吹きだまって、プログラム上あり得ないコールがかかるのを永久に待っている。… 
(p.155より引用)

 飲み屋で興じる同僚たちとの話題は、それぞれのゲーム体験であり、パソコン初体験であったりするが、その裏には、「そのころは、今のようなこんな現実に自分たちが張り付けられるとは予想もしなかった」という、「その頃」への憧憬が感じられる。こんな「現実」になるはずだったのだろうか。いつか変わるときが来るのではないだろうか。来るに違いない。しかしその時は、われわれの時ではないという、いわばアンチ・ビジョンのようなもの。

 ハッカーのようにアングラBBSに迫って「青猫」についにまみえたとき、彼が見たものは、記憶としてのA、ほんのちっぽけなディスクに収まるだけの一生の記憶に変容してしまったAであった。Aはなぜ、これきりの記憶だけを残して姿を消さねばならなかったのだろう。自らの記憶を変容させ断ち切りさえして。

 私はこの閉塞感に村上春樹をおもいだす。主人公は井戸の中や、別世界にこもっているが、その囲いの中には外から見るのと異なり入れ子のように違う世界が広がっている。「いつでも外より中が広い」(ナルニア)のだ。
 そして主人公はそこから脱出するかに見えるが、囲いの外は決して内からの解放とはなり得ないのだ。このイメージと共通するものを感じる。

 どう言ったらよいのだろう、暗い絶望とは違う、からっぽの絶望?

 1996年という、本当の世紀末にはほんの少し間のあるとき。その時点に、限りなく引き延ばされた時間のようなものを感じる。まるで、光速に近づいたロケットの中で、時間が限りなく引き延ばされるように。薄く、紙のように。またはいつまでも的に到達することのない矢?なんだか妙な連想がつぎつぎと起こってくる。
 読後も、というよりむしろ読後に静かなインパクトをもつ後引き小説だあ。

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