「紺屋の白袴」では済まされぬ

Sunday, April 2, 2000


   2000 年 3 月 24 日、藤沢市内の大手企業の工場で、 高濃度ダイオキシンの河川への垂れ流しが発覚した。 新聞報道によれば、ダイオキシン濃度は基準濃度の 8100 倍の 8100pg (ピコグラム、ピコは 1 兆分の 1 )。 河川への汚染としては、1998 年に三重県津市の岩田川で検出された 25pg が過去最高と言うから、まさに史上最悪だ。

   原因は、同工場にある 2 基の自家用焼却炉 (スクラバー) の廃水が、 本来なら浄化装置を経由する汚水系統の配管に接続すべきところを、 誤って雨水を流す配管に接続してしまったためという。 設置工事のミスでこうなったと言うが、あまりにもずさんである。

   皮肉なのは、問題を起こした 荏原製作所 が世界有数のポンプメーカーであり、 自ら環境対策に深く関わる製品群を擁する企業だということである。 同社の 「ダイオキシン類除去用特殊反応剤」 という製品の説明では、 『近年、ゴミ焼却場におけるダイオキシン類の発生が、大きな社会問題となっている。』 と言及している。 まさに「紺屋の白袴」、あるいは「医者の不養生」という故事成語を地で行った感があるが、 社会的責任を考えれば、それでは済まないだろう。 早急に汚染した河川を、同社得意の製品を駆使し、元通りに戻してもらいたいものだ。


   問題が発覚したのは、藤沢市の河川調査の結果によるという。 調査は 1999 年秋から毎月行っているとの事だが、2000 年 1 月下旬の調査で 3200pg、 2 月下旬の調査で 8100pg という数値が、 引地川 (ひきちがわ) の同工場付近から検出された。

   騒ぎの大きさに驚いた …としか思えないのだが… 環境庁は、週明け27 日になって急遽、1999 年 9 月から 2000 年 2 月まで 5 か月分の、 現場周辺のダイオキシン類調査結果を公表した。 2.5 キロ下流の富士見橋付近では、1999 年 11 月に 16pg、12 月に 13pg など、 調査した 5 回のいずれもが、環境基準を超過しているという。 但し、河口である鵠沼海岸では基準値以下との事で、 相模湾の近海漁業には影響ないという話だ。

   だが、鵠沼海岸で 3 月 26 日に行われる予定だった プロサーフィン大会は、 選手の健康管理を理由に中止になってしまった。 『企業と行政は詳しく調査をした上で、早く安全宣言を出して欲しい。』 と言いつつ決定されたのは、3 月 25 日だったそうだ。


   ここで疑問がいくつか湧いてくる。

  1. 焼却炉の設置は 1992 年と 1997 年であり、 8 年もの間、なぜ工事ミスが発覚しなかったのか。
  2. 「所沢のお茶」事件で大騒ぎしたマスコミは、 「過去最高の汚染」の報道に、なぜ消極的なのか。

   荏原製作所藤沢工場は、環境保護の国際的な規格である ISO14001 を取得していたそうだ。 ISO14001 は、企業活動が環境に与える影響を把握し、 計画的に改善してゆくシステムを構築する。 記者会見の配布資料 によれば、問題の個所は『環境管理ならびに監視のコントロールから外れた系統』だという。 すなわち、焼却炉に至るまでの廃棄物の流れは把握しているが、 その先は関知していなかった、だからミスが発覚しなかった、という風に受け取れる。 これでは納得が行かない。焼却炉こそ環境保護の要なのではないだろうか。 今回の件で ISO14001 の認定を返上したそうだが、再度認定を受けるまでに、 焼却炉の廃水までコントロールの対象に考えて欲しいものだ。

   マスコミに関しては、所沢の場合は農産物そのものから ダイオキシンが検出されたのに対し、 直接口にする可能性が少ない都市河川の汚染であるから、 報道する価値は少ないのかも知れない。 しかし仮に「単なる過失」だとしても、史上最悪のダイオキシン汚染であり、 企業が社会的責任を果たすのを継続的に監視するのは、 マスコミの大切な役割ではないだろうか。 その割には、全国紙である読売新聞を見ると、3 月 25 日付朝刊一面の中程の記事を除き、 その後はローカル面の小さな記事が 3 回ほど出たのみである。 センセーショナルに不安を煽る必要はないが、事の重大さを考えれば、 もう少し大きく取り上げてもよいと思う。


補足事項

   2000 年 3 月 31 日付で、荏原製作所では 「藤沢工場ダイオキシン問題対策本部」を設置した。 過去の過ちはともかく、ぜひとも積極的な活動を期待したい。


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