2000年10月1日、新しい電話会社 KDDI (ディーディーアイ) が誕生した。 『KDD と DDI と IDO が一つになって KDDI ? ‥‥‥IDO はどこに入っているの?』 という変なコマーシャルが9月頃に流れたが、KDDI の実態を自ら皮肉っているようだ。
旧 IDO (日本移動通信) は、1987年3月の設立。親会社はトヨタ自動車、「ケータイ」という言葉が生まれるはるか以前、自動車電話を主体に誕生した、日本初の民間携帯電話会社であった。時が経ち、デジタル式携帯電話の会社が雨後のタケノコのごとく設立された頃、設備の古いアナログ式が主体の IDO は、かなり苦戦を強いられたようだ。
そんな IDO が起死回生策として取り組んだのが、世界標準に準拠した 「cdma-One」 だったように思う。1999年7月の暑い日、江の島海岸で体験キャンペーンが行われていた。水着が当り前のビーチではあるが、白にグリーンのシンボルカラーの IDO ロゴをあしらった水着で、携帯電話を配って回るキャンペーン隊は、ちょっとばかり目立つ存在だった。
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KDDI の構成は複雑である。旧 KDD (国際電信電話) は 1953 年設立、長期にわたって日本の国際電話を一手に引き受けた、特別な会社だ。旧 DDI (第二電電) はずっと下って1985年の設立だが、今回存続会社となった。KDDI の「K」は、合併で社名が消える名門に対する配慮だそうだ。かつて DDI とともに「新電電」の一角をなし、0070 のアクセス番号を持っていた 1984 年設立の 日本高速通信 は、1998 年に KDD に吸収合併されている。
KDDI グループには、傘下に地域別の携帯電話会社がある。これも複雑で、ツーカーグループ (3社) と セルラーグループ (8社) があるが、関西では、両グループが競合している。それぞれ、元は トヨタ とは別の自動車会社が出資していたらしいが、経営的事情により、旧DDI の傘下に入ったようだ。他にも、旧DDI傘下の DDIポケット (PHS) がある。かつてのIDO のライバルが関係会社になる。社員はどんな思いだろう。
合併を前に、 IDO は セルラー各社 と共に、商標を au (エーユー) に変更した。シンボルカラーも、緑から赤に変わった。私は ツーカー各社 も au に統一されるとばかり思っていたが、それはなかった。現時点で、両者の共通点は EZWeb と名づけた情報サービスだけのようだ。合併直後に幕張メッセで開催された CEATEC JAPAN のブースでは、2種類のユニフォームのコンパニオンが並んでいた。
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合併にあたって、旧KDD は 001 国内通話を、旧DDI は 0078 国際通話を、相手のサービスに統合した。インターネット接続サービスも、 旧KDD の NEWEB を、旧DDI の DION に統合した。しかし、携帯電話の au と ツーカーの統合は見送られ、KDDI は、親会社と子会社が携帯電話で競合するという、不思議な組織になった。
私は、一社で携帯もPHSも扱う巨大な NTTドコモ や、旧 デジタルホングループ を J-フォン 3社に統合した 日本テレコムグループ を見れば、KDDI が競争に勝つためには、いつか ツーカー を統合せざるを得ないと思う。しかしその時のブランドは au であって、もはや IDO ではない。 ‥‥‥ IDO はどこへ?
Original pictures were exposured on July 24, 1999, May 25, 2000, and October 7, 2000 by Konica Q-M100V.
This page was updated on Sunday, October 15, 2000
Copyright©2000Toshiyuki Kato