26.江ノ電100周年(1)

江ノ島電氣鐵道(当時)が、藤沢から江ノ島まで開通したのが1902(明治35)年9月。電気鉄道としての開業は、日本で2番目に古いそうだ。1番目は川崎大師への大師電氣鐵道(現京浜急行電鉄大師線)だが、人気では江ノ電の圧勝。テレビドラマで話題になったという面もあるが、単なる懐古趣味ではなく、車両たちの持つ《愛らしさ》に大きな魅力がある事は、否定できないだろう。

長谷駅で交換する300型と500型

さようなら500型

藤沢〜鎌倉間を47年間走り続けた500型(502/552)。『戦後』から『高度成長』への変化期である1957(昭和32)年に、1年先輩である501/552と同様、旧車両の部品を利用し、ボディだけを新造して作られたそうだ。501/551は既に引退し、502/552も間もなく引退する。


峰ヶ原信号場〜鎌倉高校前、鎌倉プリンスホテル方面への踏切を、後輩の1000型とともに進行する500型。最新鋭20型の登場に伴い、2003(平成15)年1月5日のさよなら運転で引退することになった。

冷房なし。窓を開けても夏の車内は辛いだろう。鎌倉高校前駅にて、同期の300型(304/354)と。

シール広告は貼られているが、塗色はオリジナルになっている。薄暮の湘南海岸公園駅にて。

交換設備のある長谷駅に進入する500型。前窓が跳ね上げ式に開くのも特徴の一つ。この愛嬌のある丸顔も、間もなく見られなくなる。

江ノ電の顔、300型

「単コロ」と呼ばれ親しまれた1929(昭和4)年新造の100型を、2車体3台車の連接車に改造したのが300型だ。6編成のうち2編成は既に引退したが、昭和初期の面影を残す姿は、現在も江ノ電の代表車と言っていいだろう。


1957(昭和32)年に100型(103/104)から改造された303/353。先輩車両の引退で最古参となったが、1992(平成4)年に台車交換と冷房化が施され寿命が延びた。腰越〜江ノ島間の道路併用区間にて。

腰越駅を出て道路併用区間に入る、1958(昭和33)年改造の304/354。おでこから雨樋が消えのっぺりした。

観光シーズンで大渋滞の国道を横目に、300型が走る。七里が浜海岸に面した鎌倉高校前駅にて。

極楽寺〜長谷間、沿線唯一の隧道を抜ける304/354。レンガの褐色、野草の緑色。のんびりとした風景には、やはり大人しい雰囲気の300型が一番似合うと思う。

生活に溶け込んで‥‥‥


ホームの先端からいきなり道路へ出られる。合理化で無人駅となった七里ヶ浜駅にて。

道路と平行して走る七里ヶ浜〜峰ヶ原信号所間。ガードレールが切れている部分は個人住宅の「マイ踏切」。

警報機はあるが、道路併用区間に遮断機はない。子供達も江ノ電はきっと大好きだろう。腰越駅にて。

海岸沿いの国道に対し、こちらは旧道。観光シーズンには溢れた車で電車も遅延する。江ノ島〜腰越間。

BACKINDEXNEXT

Original pictures were exposured on May 5-6, June 1, 2002 by Kodak DC4800

This page was updated on Saturday, December 28, 2002

Copyright©2001 Toshiyuki Kato