ESSAY: NEON GENESIS EVANGELION

1997.7.27
Nao


「新世紀エヴァンゲリオン」というアニメーション作品がヒットしています。
あれほど「一般受けしない」と思われた作品に、多くの方々が夢中になっています。

ちなみに、私も、今日現在、どっぷりはまっていま〜す(笑)
もっともこういう文章って、半年くらい後に読むと、凄く恥ずかしいものなのですが・・・(^^;

この作品は、様々なテキストからの豊穣な引用によって構成されています。

それほど読書が好きではない私でも、見ているだけで、すぐにライアル・ワトソンの「生命潮流」、アーサー・C・クラークの「2001年宇宙の旅」「幼年期の終り」、大友克洋の「AKIRA」など、様々なテキストが頭に浮かびます。

SFマニア、アニメマニアの方は、きっとすぐに、もっと膨大な数のテキストからの引用を発見されることでしょうね。

ところで、私が特に興味深く感じたのは、この作品と、哲学の文脈における諸問題との「並行関係」です。あるいは、これも、広義の引用と言ってもよいかもしれません。

以下、この作品と関連があると思われる哲学の文脈について、それぞれの哲学者のオリジナルの文脈から多少逸脱するのを覚悟で、私の言葉で強引にまとめてみたいと思います。

とはいえ、いちおう、実際の哲学史上論じられた問題を、ある程度忠実になぞっているつもりです。
ただし、私は専門の哲学研究者ではありませんので、いろいろボロがあると思います。このあたりは厳しいご批判をお待ちしておりま〜す。

ちなみに、できるだけ「ネタバレ」を避ける工夫はしているのですが、やはり限界があります。
まだ劇場版とかを見ていなくて、まっさらな気持ちで見たい方は、以下の文章を、その後にでもお読みいただければ幸いです。




I.「碇シンジ」をめぐって


■鏡像段階もしくは懐疑論

■独我論もしくは現象学

■実存主義

II.「人類補完計画」をめぐって


■三つのシナリオ

■シナリオその1

■シナリオその2

■シナリオその3



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