午後から大学へ。 昨夜書いた、 自分としては決定版の序文を打ち出してみる。 夕方から教室会議。
一階の自販機にコカ成分を補給しに行くと、 ワイパーとスポンジを入れたバケツを片手に持って 講義に向かう T 山先生を目撃して、ドギモを抜かれる。 すっかりドイツ流儀に洗脳されたT山先生にとって、 黒板は水で拭くものなのである。 日本の軟弱な黒板がこの攻撃で傷まないかちょっと心配。
帰宅途中、山科のいつもの酒屋に入ると、 マルフォルシェのシャブリが半額になっていたので購入。 毎日飲んでいる580円のワインとは違うなあ、 と思いながら水炊きを肴に飲んでいたら、つい飲み過ぎてしまい、 今日の夜は仕事にならなかった。
午後から大学へ。 ゼミが一つ院生の体調不良でキャンセルされ、 打ち合わせを一つ。 その後、M1の解析ゼミをすべく天才Y君、 またの名を悪い方のY君、を院生室に探しに行くと、 以前に私の卒研からK大の院に進んだM森君が 何故か院生室でくつろいでいたので早速つかまえて、 昨日の教室会議の時に考えていた初等確率論の問題と、 そのマルコフ過程の一般論への落とし方を手近のホワイトボードを 使って五分で説明し、 「じゃ、続きは来週木曜午後」 と言い残して、解析ゼミに向かう。
ところで、院生室のホワイトボードに 「マージナル・ドリーマーの集い」と書かれていたが、 辺境に生きて、かつ、正しく自分の夢を見ていくのは、 すっごく大変で、ドン・キホーテ的に無惨かつ滑稽かも知れなくて、 その運命を引き受ける勇気と、自分を支えるための深い教養と、 生き抜く才能がいるんだよ。
解析ゼミは Malliavin et al. の "Integration and Probability" を読むことにする。 今日はシグマ集合族とか単調族とかの話。 一つだけ初学者にはかなりトリッキーな証明があったが、 Y君の理解は完璧なようだった。 あいかわらず、 「どうでもいいんです、ぼくなんて…言われたことをやっていきます」 的な退廃感を醸し出しているY君であるが、 いじけずに頑張っていこう。
「失われた時を求めて」、全篇読了。
午前中に起床。 ちょこっと論文の序文をプルーフリーディングして、 本文を書いたり。 しかし、やはり日中は調子が出ない。 日中どころか、真夜中にならないと調子が出ない。 リトルウッド先生によるとそれは数学者が陥りがちな錯覚で、 本当は午前中が一番冴えているそうだが、 学生時代からの習慣だからしょうがない。
昨夜、ようやくプルーストの「失われた時を求めて」 を読了した。 人それぞれにその人の古典があるのだろうが、 私はついに私にとっての古典を発見したようだ。
今は世の中の誰にも彼にも「失われた時を求めて」が、 空前絶後の大傑作であること、 全宇宙にも匹敵する様相を持つ大古典であることをふれて歩き、 無理矢理にでも読むように薦めたいのだが、 一方では自分だけのものにしておきたいような気もする。 しかし心配ない。 世の中の人は「失われた時を求めて」が大傑作であることは 既に知っており、 しかも、あまりに長いので余程の物好きで暇人以外には 誰も読まないのである。 その意味では理想的な古典と言えよう。
万が一にもこの本を読み通したい人向けのアドバイスとしては、 大事なのはある種の「過激さ」である。 自分の中の過激さを発掘すること。 篠田一士が二人の女の子のエピソードを紹介している。 マッサージパーラーで働いた給金全部をつぎこんで、 毎週末の二日間、 超高級ホテルの一室を借りてベッドでこの小説を読むことを続け、 ついに読了した無一文の女の子。 それから、 読み始めたら止まらなくなって三週間会社を無断欠勤し、 もちろんクビになった女の子がいたそうである。 前者は行動が過激であり、後者は精神的に過激である。 いや、逆かな。まあ兎に角過激である。 ちなみに後の女の子は読了の五年後、幸いにも職を得た。 「心は淋しき猟人」を書いて小説家になったのである。
午前遅く起きると頭痛がする。 目覚めの悪さといい、これは低血圧の症状だな、と思ったが、 気圧が急に変わったせいだろうか。 若い頃は思いもしなかったが、 気候の変化は確実に体調に影響を及ぼすようである。
午後も昼寝。最近はいくらでも眠れる。 病気だろうか。イギリスに半年いたせいで、 政府から献血を禁止されているくらいだから、 かなり脳軟化が進んでいるのかも知れない。
夕方になって再び目覚めて、論文を書く。 ハルモスの言う所のスパイラル方式なので (第一章、第一章第二章、第一章第二章第三章、…)、 あまり進まない。
昼近くになって起き出す。あいかわらずよく眠れる。 午後は膳所でチェロのレッスン。 チューニング、スケール、 シュレーダーのエチュード本からドッツァウアのエチュード、 クライスラーの「美しきロスマリン」など。
今日も論文書き。実際、論文の形にしようとすると、 微妙な問題が生じてきて、鬱屈がたまる。 たとえば、 正確にはこの条件を入れなくてはいけないが、 そうすると誤解がいかにも生じそうな書き方しか出来ない、 またはぱっとしない弱い主張に見える、 だからと言ってそこをサボると良く読むとナンセンス、 じゃあ困難をくぐり抜けてうまい条件の組み込み方を見つけると、 今度はその条件の下では定理2の所で成立しない場合が 含まれてしまう、 それではということで条件を最強にすると、 ほとんどの定理が自明になる、とか(笑)
昨夜の寝台での読書。連休中の読書計画の準備工作として、 ホメロス「オデュッセイア」(松平千秋訳、岩波文庫上下巻) を読むことにする。 第一歌、第二歌、第三歌読了(全二十四歌)。
午後から大学へ。 「数理計画法」は今日も線型代数の復習。 内積の意味、超平面、行列など。 その後、「確率・統計」。 ラプラスによる確率の考え方、 サイコロ投げ、確率変数、期待値、分散など、 古典的確率論の基礎。
帰宅。書き書き… 余計な所を削って、どんどんコンパクトになっていく。 最終的には20ページ以内に納まるかも。
ホメロス「オデュッセイア」。第五、六、七、八歌。
午後から大学へ。書いたものをプリントアウトして、 プルーフリーディングなど。
二時過ぎから、 W先生の確率解析入門の講義を院生に交じって聴講する。 W先生らしい明解かつ親切な講義であった。 来週からも聴講するようにしよう。 卒業してから講義を受けるということを一度もしていなかったので、 非常に新鮮で、楽しいような気持ちになった。
その後、フォレスト(理工系科目の講義が行なわれる建物)の 階段のあたりで御自分の講義を終えたK川先生に出会った。 私がノートを持っていたので、「そんなもの持ってどうしたんですか」 と聞かれたので、「講義を聴講しておりました」 と答えたことでした ;-)
初体験続きで、 夕食に炊き込み御飯を作ってみる。 最近、春らしいかなと思って竹の子を買ったものの、 どう料理したものやらと考えていたのだが、 他の具も入れて竹の子御飯にすることで決定。 作り方も知らないし、レシピも持っていないのだが、 きっとダシと具を入れて炊けばいいんだろうなあ、 なんか昆布入れてたような気もするなあ、 などと適当に作ってみたら、出来ました(笑) 美味しかったです。
午後から大学へ。プリントアウトして、 アクロス1Fのカフェ「プログレッソ」 でプルーフリーディング。
夕方は教室会議。 議題には深刻な問題もあったが、定刻で終了。
今日の読書。「ファインマンさんベストエッセイ」(岩波書店)。 今日、生協の本屋で買ったのだが、 面白くて帰宅途中の間に読んでしまった。 時々はあまりに素朴なのではないか、 あまりにクレバーであるに過ぎないのではないか、 と思うことはあるが、この明晰性、卒直さは心を打つ。 フリーマン・ダイソンによる序文も感動的で、 M.カッツ自伝の中だったか「天才の隣りにいた秀才ダイソン」の話 を思い出して、さらに感慨深かった。
願わくば我等科学者がファインマンの天才と精神を、 少しでも受け継いでいますように。 こちらは 「われらの朋、ファインマン」 のページ。
午後から大学へ。
午後一は修論ゼミのはずだったが学生の体調不良のためキャンセル。
続いて、卒研ゼミ。
ランダムウォーク、スターリングの公式の証明など。
続いて、M1解析ゼミをやろうと院生室に「天才」Y君を
捕まえにいくと、置き手紙があって、
「一生に三回いや十回
のチャンスが巡ってきたので今日のゼミ休みます」
とのことであった。今の私なら、
一生に十回しかないチャンスは数学のためにとっておくが、
若者には色々あるのだろう。
さて、どうしたものかと思ってたら、 先週の約束通りK大の院生のM森君が来ていたので、ゼミをする。 数値実験の結果、なかなか面白い予想を立てていた。 その証明の仕方について、 僕は母関数に行列を代入する華麗な(標準的な?)解法を 「これは、こうで、こうでしょう!」 などと黒板で説明したのだが、 後で考えると素朴に計算した方がずっと早道のようであった。 テクニックをひけらかすのは地力のない証拠。 6時半くらいまでやっていたので、生協で食事して帰宅。
午後から新快速で大阪に行き、 ホテルのロビーで共同研究者と打ち合わせ。 大量の珈琲を消費しながら四時間ほどあれこれ議論する。
ホメロス「オデュッセイア」。 現在、第十九歌を読み終わったところ。
この日記は、GNSを使用して作成されています。