積ん読書庫


お言葉ですが…

高島俊男・著
文藝春秋・刊
1996年11月22日初版発行
定価1600円
ISBN4-16-352110-0
『週刊文春』に連載中の同名コラムの単行本化。
ラーメン屋で朝日新聞の書評欄を読んでいたら、ふと「『大学生ら致される』なんて『大学生らイタされる』としか読めない」という文章が目に留まった。内容に目を通してみると、どうやらおかしな日本語を取り上げていろいろ批判した本のようだ。さっそく書店を回って、4日後に手に入れることができた。

いや面白い。字ばっかりの本を読みふけったのは久しぶりである。著者は中国文学を研究している大学の先生のようだ。著者紹介を見ると、第十一回講談社エッセイ賞とかいうのももらってるらしい。道理で。

でまあ、この本を読んで目から鱗が落ちること落ちること。「ごらんいただけますでしょうか」とか「(阪神大震災で)阪神高速神戸線はここで寸断されています」とか、別段何とも思っていなかった言葉がけっこういいかげんなことが判明したり、「氷雨」が季語としては夏の言葉だと知って「外は冬の雨まだやまぬ」の歌詞の立場はどうなるとか思ったり、「義援金」とか「満州」という表記は実は間違っていると知ったり、いやはや、世の中やはり自分の知らないことばかりだと再認識させられた。

そうかといって内容が難しいわけではなく、実に読みやすく親しみやすい文章。時に老いの繰り言と読めない部分もないわけではないが、全体におおらかな雰囲気を漂わせている。

とか言いつつもこの人けっこうな毒舌家で、島崎藤村をつかまえて「へたくそな小説で、あんなものを名作と言う人の気がしれない」とか、小説の実名を挙げておいて「こういう無知な人の書いた胡散なしろものが堂々と活字になって通用するのだから、日本はノンキな国だ」とか、古典文学の脚注を例に引いて「国文学者にもずいぶんトンマな人のいることがよくわかる」とか、なかなかに容赦がない。

そうそう、この本、出版が文藝春秋、連載が『週刊文春』の上、その毒舌で朝日新聞もけっこう槍玉に挙げられているのによく朝日新聞の書評欄に載ったもんだ。その点だけは朝日を評価。なにせあれを読まなければこの本に出会うこともなかったのだ。感謝感謝。

中で「さみだれ」とか「さつきばれ」が現在の五月のさわやかな季節の言葉ではないと言う部分でまたまた軽い衝撃。言われてみればもっともな話だけど、言われるまで気付かぬ情けなさ。しかしそうなると「うるさい」はどうなるのだろう?

で、「しぐれ」が寒い季節の言葉と知ってさっそく電子辞書「辞スパ」を引いてみた。「時雨[意]秋から冬にかけて降る雨。[例]時雨煮・せみ時雨」……。なんだかなあ。使用例のつもりなんだろうけど、天候の例でもなければ季節の例でもない。勘弁してよ。

あと、現在の日本語がなぜ分かりにくいかのおおよその理由と、辞書依存体質がいかに危険かを知ることができたのも収穫だった。ちなみに、この本で一番気に入ってるのが以下の部分。さすがよくわかってらっしゃる。

(略)ことばのことは、しろうとでセンスがよくて、思い切り保守的な爺さん婆さんにき
くことにすればよい。婆さんが「あたしゃそんなのはイヤでござんすよ。ぜったいに認め
ませんからね」と眉をつりあげる。それでもグズグズ言うややつがいたら、爺さんが「黙
れ青二才!」とどなりつける。
 それでもことばは変わってゆくだろう。それでちょうどいいのである。

ということで、触発された私はさっそく新企画を始めることにしたのだった。

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