ファイルを整理していたら、こんなのを見つけた(ファイル更新の日付は97年5月12日)。今更続きは書けない(というより、どう書こうとしていたか思い出せない)のでこのまま掲載してしまおう。
以前ここで紹介した『お言葉ですが…』の著者がちょっと前に出した本。『お言葉ですが…』も面白かったがこの本も面白い。 とりわけ興味深かったのが当用漢字・常用漢字やそれに伴う漢語のかな漢字まぜ書き(ほら、「ら致」とか「すい星」とか)への批判と、「支那」・「震旦」という言葉の成立と禁止に至る過程と禁止への批判。 当用漢字(や常用漢字)の成立についてもこの本であるていどわかるけど、たまたまマイクロソフト・エンカルタに以下のようなわかりやすく要約された成立や運用の過程の記述があったので引用(うむ、案外使えるぞ>エンカルタ)。 漢字の制限まあこういったいきさつでできた常用漢字だが、単にそれ以外の漢字を使わないという表面的運用はともかく、その精神がきちんと運用されているかというとはなはだ心許ない、とこの本は説く。 (略)狼狽という一語のために他に使い道のない狽という字をおぼえ、熾烈という一語のために他に使い道のない熾という字をおぼえ……というのはまったく愚かしい精力の浪費だ、その精力をたとえば科学知識の獲得といったふうなもっと生産的な方面に振り向けるべきだ、というのが制定者たちの考えだったのである。(略) であるから、当用漢字(ないし常用漢字)を支持し遵守するのであれば、その土台にあるこの考え方ごと、トータルに受け入れねばならぬはずなのだ。 (略) それを、土台から出てきた規制だけを受け入れて、漢字は使えないからかなで書いておきましょう、というのが第一のまちがいである。確かに「狼狽」や「熾烈」を使わないようにすれば「狽」や「熾」という字を覚える必要はないが、そのかわりといって「ろうばい」「し烈」「安ど」「えい航」「完ぺき」「こう配」「こん身」「同せい」「はく離」「復しゅう」「僧りょ」「花き栽培」「は種」「ら致」「すい星」「けん引」などと書かれたのでは、音読みなのか訓読みなのか、文章の前と後ろ、どっちにつながっているのかすぐさま判断しづらい場合もある。慣れてしまえば表音文字の何倍も認識が早いのが表意文字の利点なのだが、その特徴を殺してしまったのでは本末転倒ではなかろうか。 さらには少し前に話題になった新聞・雑誌などでの人名の扱われ方にも問題は広がっていく。たとえば「龍平」「龍彦」などの名前は一部の新聞では「竜平」「竜彦」と表記されるし、当初「假谷」と書かれていた名字が途中で「仮谷」に変わったため、私みたいなまぬけが別の事件と勘違いしてしまったという笑い話もある。 特に地名や人名は、文字が変わったら別の名前と思ってしまうこともあるから絶対にいじってほしくないものだが、ここにJIS漢字コード、わかりやすくするために乱暴な表現を使うと「ワープロ文字」という厄介な問題がある。 漢字の方は、たとえば今年のはじめにJIS漢字コードの改訂があったと聞いているし、BTRONの方では扱える漢字がJIS漢字の5〜10倍の数になるという話で、インターネットなどの電子媒体での漢字の不自由さも次第に解消されていくかもしれない。もっとも、使われだしたら使われだしたでまたぞろ使用環境によって見えたり見えなかったりする「機種依存文字」問題が拡大するおそれもある。 (中断) |