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とぜんそう98年2月分

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98/02/01
ああ、また一人……>石ノ森章太郎氏逝去

一頃私の中ではSF=石ノ森だったし、SF=星新一だった。どんどんSFとの接点がなくなっていくなあ。

お待たせしました。『本が好き、悪口言うのはもっと好き』(高島俊男著、大和書房刊)の話(承前……と言うほど大げさなもんかいな)。

ほとんどの内容は相変わらずとても面白く、なるほど講談社エッセイ賞なんてものを貰うだけのことはある。特に当用(常用)漢字による漢字制限と、それを使っているマスコミの中途半端さに対する文章にはただただうなずくばかり。

で、この本の中に「『支那』は悪い言葉か」という一文がある。「支那」が中東あたりのパキスタン・アフガニスタン・トルクメニスタンなどのような地域の名称としての「シナスタン」からできた言葉で、中国の古い辞書の類にも収録されていて、同じ語源から「チャイナ」や「シノワ」などになったこと、戦後中国政府から国名として「支那」を使用せず「中国」とするよう正式に要請があったこととその理由は在日中国人に対して差別的に「支那」を使ったからではないかという推察、問題なのは「支那」という言葉自体ではなく、それを使う人間の心持ちだということ、「支那」を中国人蔑視だと極めつける人には潜在的に中国人に対する差別意識があるという指摘、もっと大人になって考えよう、などということが書かれている。

まことにお説ごもっとも。世の中全体がそういう風になればほんとにいいと私も思う。しかし、人間そう簡単に割り切れるものではない。

例えば、昔教科書で読んだと記憶しているのだが、とある国で開かれた国際会議に出席した日本人が自分たちの席を探すと、「U.S.A.」とか今は亡き「U.S.S.R.」などの略称に混じって「JAP」の札。猛然と抗議して正式略称の「JPN」に変更して貰ってようやく席に着いたという。故意ではなく単なる勘違いだったらしいけど、やはりまあ、そういうことで。

また、10年以上前になるが『週刊少年サンデー』で連載の始まった新谷かおるの漫画のタイトルが「ジャップ」。随分と大胆なタイトルを付けたもんだと思っていたら、抗議を受けたとかで2週目か3週目で敢えなく謝罪文を掲載して打ち切り。覚悟の上でやったことではなかったらしい。

日本を「JAPAN」と呼ぶこと自体が歴史的に見て正しいのかどうか知らないけど、少なくとも「ジャップ」とか「ニップ」という言葉に手垢が付いてしまったことは事実で、またそれによって不快な思いをしてきた人が居ることも残念ながら否定できない。

となれば了見が狭いと言われてもやはり同じような思いをさせる言葉は使わないに越したことはないのではなかろうか。もちろん、過去にそういう言葉を使っていたという事実は事実だし、歴史的な記述の中のものまで改変することには賛成できないけど。

いやー、引っ張った割に単なる感情論だったりする。何かを期待していた人が居たらすみません。
98/02/05
このところテレビニュースやラジオ番組で石ノ森章太郎氏死去についての話を耳にする事が少なくなかったが、トキワ荘に触れる人が多い割に出てくるのは「手塚治虫、藤子・F・不二雄に続いて石ノ森さんが……」。ようやく朝日新聞の投書欄に「寺田ヒロオ」の名前を見つけてほっとしたものの、水野英子氏らの同居人としての扱い。

まあ現実問題として30年も前に筆を折って以来第一線に出てきていないのだからある程度やむを得ないとはいえ、「トキワ荘のメンバー」としての石ノ森氏死去を語るなら藤子・F・不二雄氏の前には寺田ヒロオ氏が入ってしかるべきだろう。寺田氏がいかにトキワ荘メンバーに大きな影響を与えているかについては藤子不二雄(A)著『まんが道』などが参考になる

残念ながら手元には『スポーツマン金太郎』の復刻版(草の根出版会刊、全3巻)しかないが、俗悪化の一途をたどる漫画界に嫌気がさしたのがよくわかる良心的な内容だ。それは裏を返せば今の目で見たら退屈で刺戟が少ないという評価になってしまうのかもしれないが。

例えば、確か『消えた魔球』(夏目房之介著)あたりでも触れていたと思うけど、この漫画では投手が投げると次のコマではボールは打者が打つか捕手のミットに収まっている。投手が振りかぶってからホームベースにボールが届くまでに100文字以上のせりふが入るような漫画に比べてこれがいかに自然であるか、一度でも野球を見たりやったりした人なら簡単に理解できるだろう。

まあ中にはそういうせりふが入って醸し出す胡散臭さが好みの人や、『炎の転校生』(島本和彦著)の二人バレーボールのようにそれを逆手にとって、ネットを挟んでしゃべりながらジャンプして、しゃべり終わったら着地するようなすてきな展開を楽しめるものもあるにはあるが、それこそが寺田氏が嫌った「俗悪化」の一部でもある。

10年以上前にNHKで解体前のトキワ荘に昔住んでいた漫画家たちが集まる番組があった。しかし寺田氏はそれに参加せずに一人でインタビューに答えて当時の漫画のあり方を批判しつつ再起のためにこつこつと作品を書きためていることを語っていた。それが発表されたとも聞かないまま寺田氏の訃報を新聞で読んだのが5年ほど前。

果たして彼の漫画が受け入れられるような世の中は訪れるのだろうか。

98/02/08
QXエディタと格闘中。二三の問題を解決してみると、なるほどこれは使いやすい。Wxあたりを使ってる人はとっとと乗り換えましょう(秀丸エディタは置換に問題があったので眼中になし)。

困ったときにはknowinglyの「QX初心者用掲示板」か、QXメーリングリストが役に立つかも。

htmlファイルの編集にはこちらのマクロがお薦め。リンクや画像の貼り付けなんて、感動的な便利さです。
98/02/09
朝食をとりながらテレビを見ると(地域のニュース)、東海地方は昨夜からの降雪で高速道路や有料道路が軒並み通行止めになっていた。特に痛いのが東名・名神の岡崎−小牧間不通。東名三好インターと小牧インターの間を通って出張に行く予定だったのだ。名古屋高速も使えないので、一般道路を通るしかない。

名古屋市内を縦断するのがいちばん近いが、大渋滞は火を見るより明らか。瀬戸から春日井を通って155号線伝いに行くことにした。路面も見えないシャーベット状態の瀬戸川沿いの道路や春日井の手前の山陰のアイスバーンをノーマルタイヤで乗り切り、主要交差点での渋滞に堪えて、高速を使う3倍の時間をかけてようやく到着。

なんだか今回は昨夜の降り始めに高速道路で自動車11台が絡む事故が起こり、明け方までに事故処理は終わったものの、処理の間に積もった雪と処理のときにできたアイスバーンのせいで昼過ぎまで不通になってしまったらしい。

雪に不慣れな地域はどこも困ったもんである。

このところ出張が重なっていたのだが、その間にラジオで聴いたコレクション。

●聴取者からのはがきを紹介するコーナーで。

「うちでは結婚8年目に長男出産しまして」

8年目ならハネムーンベビーとしても7歳。出産はちょっと早いかも(何か違う……)。

●少年のナイフを使った事件が頻発していることについての教育関係者団体の会合の報道で。

「生徒たちの出すサインやシグナルを見落とさないようにしなければならないと語っていました」
98/02/17
てなことで、出張中のホテルの中である。

話のタネに、出先のホテルからここを更新しようと目論んだものの、いつも使っているftpクライアントソフトがなぜか途中でエラーを出して止まってしまう。あるいはメインマシンから旅行用のLibretto70にファイル転送したときに何らかの不具合か手違いがあったのかもしれない。とまれftpサーバに接続はできるものの、正常に動いてくれない。

そこで苦しいときだけの神頼み、夜中にknowinglyの妖怪ポスト、じゃなくて「フリーボード」に「我は求め訴えたり」と書き込んだところ、あら不思議、翌朝には親切なこびとさんたちから「東方に偉大な光が出現するであろう」と啓示が(細かい内容はでたらめです、と書かなきゃならない人はいないと思うけど)。

で、無事これをアップロードできた次第。ffftpはほんと使いやすいです(その上フリー)。助かりました。みなさんに感謝。

熱海と広島での苦い経験を元に結局携帯電話も導入。先週泊まった部屋はPHSが使えなかったので、メールチェックなどに大いに役立ってくれた。

今の部屋だとPHSが使えるため(廊下を挟んだ反対側に来ただけだが)通信関係では携帯電話の出番なし。やはり電波の届くところならPHSの方が早い・安い・うまい(……かどうかは知らない)。とはいえ、使える場所が限定される、アンテナの少ないところだとすぐ回線がふさがるなどの弱点もある。しばらくは併用するしかないか。ああ、金が……(涙)。

ホテル内のビールの自販機に次のような注意書きが。

未成年者の飲酒
および飲酒運転は
法律で禁止されています

そりゃあ、未成年者の飲酒が禁止なら未成年者の飲酒運転も禁止であろうよ。
98/02/22
男子トイレ 出張で移動中に中国自動車道の西宮名塩サービスエリアで休憩した。

トイレをすましておこうとしてふと案内板を見ると、男子トイレの表示がこれ。→

男子がこういうふうだと女子はいったいどういうふうになってしまうんだろうかとどきどきしながら見てみたら……

『お言葉ですが…「それはさておき」の巻』(高島俊男著、文藝春秋刊)に「ごんぼを掘る」という言い回しのことが出てきた。

高島氏は意味をご存じなかったものの、山形県の読者からいくつか「だだをこねる」の意味だというお便りが届いたらしく、山形の方言だろうかと書かれていた。が、実は私の実家のある三重県鳥羽市の方でも「だだをこねる」という意味で「ごんぼを掘る」という言葉を使っている。

出典の文章を書かれたのは兵庫県新宮の方らしい。果たして兵庫県と山形県、そして三重県の間にどのような因縁があるのだろうか。もしかして○○○の陰謀?(笑)

夏原さんの薦めで中島敦の本を探してみた。新潮文庫と角川文庫クラシックから『李陵・山月記』が出ていたが、グラビアも附いた上「悟浄出世」「悟浄歎異」と収録作が2篇多いので角川に決定。

が……。地下鉄の中でぱらぱらと読んでみてなにやら胸騒ぎ。

もうひとつ、chicさんから「読んでないのでは話にならん」と言われて慌てて探してみたものの第1巻だけ見つからない『麻雀放浪記』(安佐田哲也著、角川文庫)を別の書店で探すついでに新潮版と読み比べてみた。(「李陵」冒頭部分より)

角川ちくま新潮
いかにも万里孤軍来たるの感が深い いかにも万里孤軍来るの感が深い 如何にも万里孤軍来るの感が深い
軍はようやく止営した 軍はようやく止営した 軍は漸く止営した
すでに敵匈奴の勢力圏に深く 既に敵匈奴の勢力圏に深く 既に敵匈奴の勢力圏に深く
容易に見つからないほどの、ただ砂と岩と磧と、 容易に見つからないほどの・ただ砂と岩と磧と、 容易に見つからない程の・唯砂と岩と磧と、
(ゐんばさんからのご指摘により一部訂正しました)

結局、新潮文庫版も買った(馬鹿)。

後で「原文を新字・新かなづかいにしたほか、漢字の一部をひらがなに改めた」なんて書いてあるのに気付いたけど、それって一歩間違うと作品の破壊でないか?特にこの場合は作者はとうの昔に他界してるんだし。もしかして霊界通信で許可取った?

ところで文庫の棚の名札を探してる途中で目に留まったんだけど、+ 〆文庫って何だよう>某書店

98/02/23
中島敦の著書についてゐんばさんからメールが届いた。ゐんばさんはちくま日本文学全集(文庫版)のものをお持ちで、そちらの表記とともに私の引用間違いも教えていただいた。感謝感謝。それらをあわせて表を書き直したので、興味のある方はどうぞ(というほど離れてもいないか)。

しかし、そのメールに対する自分の返辞たるや、まず言い訳(臆病な自尊心)、続いて木で鼻をくくったような感謝の辞(尊大な羞恥心)、そして、最後に取って付けたような相手のホームページへの期待の言葉(希薄な人情)。うーん、私が虎と化す日も近いぞ(笑)。

そういえば、所以をよく知らないけど酔っぱらいの別名は「虎」。まさかとは思うけど、「山月記」の以下の記述が出典だったりして。
最早、別れを告げねばならぬ。酔わねばならぬ時が、(虎に還らねばならぬ時が)近づいたから、と、李徴の声が言った。

で、この李徴と古い友人の再会で思い出すのが『変身忍者嵐・虎狩笛(もがりぶえ)の遠い夏』(石ノ森章太郎著)。

人間以外のものに姿形や能力を変化させる「化身の術」を身につけた化身忍者の集団・血車党と、化身の術を編み出した嵐鬼十の一子・ハヤテ(自らも化身忍者・嵐に変身する)の戦いを描いた漫画で、同名の特撮テレビ番組も制作されている(似たようなコンセプトの「怪傑ライオン丸」という番組に視聴率で惨敗)。

『週刊少年マガジン』に「仮面ライダー」の後を引き継ぐ形で連載された漫画版では、時代を反映してエロ・グロ・暗い雰囲気ばかりが目立ったが、中にハヤテの幼なじみが妻子を人質に取られてやむなくハヤテと戦う「虎刈笛の遠い夏」という話がある。

ここに登場するのが虎に化身する男で、名前は李徴子

中国人の子供が日本で迷子になって嵐鬼十に育てられたという設定で、なぜわざわざそんな、と疑問に思ってたが、今となっては何ともべたべたでんな。

ちなみに、幼なじみと妻子の板挟みにあった李徴子は、ハヤテに襲いかかる素振りだけ見せてわざと斬られて死ぬ道を選ぶ。冒頭ではご丁寧にも資金調達のためにか商家を襲った李徴子の虎に、帰る道すがら目の前に現れた犬に喰らいついて貪り食わせたりしている(「山月記」では目の前を兎が駆け過ぎる)

『変身忍者嵐』には他にも鍋島藩に猫の化身忍者が現れる「青い猫の夜」とか九尾の狐に化身するくノ一・葛の葉が狐の姿で我が子を訪れて障子に「恋しくば たずねきてみよ 和泉なる 信太の森の うらみ葛の葉」と書き残す「白狐、枯れ野を走る」なんてのもあって、「虎刈笛の遠い夏」も思えばその系列だったわけね。

98/02/27
やつがれ、いささか驚いた。

『週刊文春』今週号の高島俊男先生の「お言葉ですが……」によれば、とうとう「せがれ」の意味を知らない社会人が出現したらしい。北島三郎が昨年暮れにも「せがれその手が宝物」と歌っていたというのに。

経緯としては、母上の貯金のことで郵便局へ出かけた高島先生に貯金窓口の娘さんが続柄を尋ねたので「せがれです」と答えたところ、「では証書の裏にせがれと書いてあなたの名前を書いてください」という指示。はて、ほんとに公文書に「せがれ高島俊男」と書くのかと思っていると、「せがれというのはお孫さんのことですよね」とのたまうので慌てて訂正したそうな。

思うに、この場合は通帳の名義人との関係だから「孫」程度ですんだものの、この女性相手になになにしているとき「はあはあ、わしのせがれを(以下略)」などと頼んだやつが居たとしたら、高島先生との会話はさぞかし楽しいものになったであろうことだよ。

しかし、使われない言葉は廃れていくものとはいえ、まさか「せがれ」がねえ。

「せがれ」といえば最近は時代劇でも「やつがれ」は使われてないような。こうなると却って意固地になるやつがれ、しばらく(飽きるまで)ATOK11でも変換しない「やつがれ」を使ってみようかと思う。

「積ん読リスト」の今月分は、とうとう更新しないで終わりそう。

いや、本を買ってないわけではないけど、更新してる余裕がない。実際、ほかの月より買った数は多いのではないかと思うぐらいなのに、何を買ったのか大半を忘れてたりする(失笑)。

とりあえず、これまでサンコミックスや文芸春秋社の愛蔵版にも収録されなかった桑田次郎の「ウルトラセブン・闇に光る目」を期待して買った講談社コミックスP−KCシリーズの「ウルトラセブン」はその意味では外れだったことだけ書いておこう。
98/02/28
昨日の分、『週刊文春』の記事内容が入っていないととてもわかりにくいと後になって気付いたので修正。「李陵」の件といい、最近起きたまま頭が寝てるぞ。

桑田次郎の「ウルトラセブン」には「ノンマルトの使者」もあったと思ったが、記憶曖昧。

安佐田哲也の『麻雀放浪記(1)』(角川文庫)をわざわざ名古屋市内の書店まで行って買ってきたのに、今日行ってみたらこの前品切れだった近所の書店にちゃんと並んでいた。『哲也〜雀聖と呼ばれた男』(さいふうめい原案・星野泰視作画、講談社刊)恐るべし(憶測)。

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庵主:matsumu@mars.dti.ne.jp