とぜんそう2002年8月分

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02/08/15

夕立が来たと思ったら、夜には蝉ではなくて蟋蟀の声。そういえば昼間はつくつく法師の声も聞こえるようになりました。

季節は着実に動いているようです。


きょうの朝日新聞「天声人語」より。

 自分が生まれる前のことだから責任はない。戦争責任について問われたら、テレビはそう答えるだろうか。(略)
 新聞は、本紙も含めて日本の新聞の多くは、過ちを犯した。厳しい情報統制下とはいえ、戦争推進の政府方針に追随し、戦意高揚を図った。その責任は大きいが、貴重な教訓も得た。毎日の紙面で誓うわけではないが「あの失敗を繰り返してはならない」と多くの新聞人が思っているはずだ。
(略)
テレビにはそれを経験しないですんだ幸運とともに、一種の弱さもありはしないか。僣越(せんえつ)かもしれないが「戦争を知らない」世代である後輩メディアへの危惧(きぐ)である。


うーん、あの当時は申し訳ありませんでした、のひとこともなしに他メディアに注文をつけるなんて、自分が生まれる前のことだから責任はない、と思っているのはほかならぬこのコラムニスト自身ではなかろうか。

自分たちはこういう態度でありながら、政府には謝罪せよ謝罪せよと繰り返す。まず自分が範を示してほしいものです。

ついでに、関東大震災の時に自分たちが何をどう報道したか、そしてその後その報道をどうしたのか、についてもきちんと説明した上でとるべき態度をとってくださいね。

02/08/16

しつこくきょうの「天声人語」より。つーか、最近新聞以外のものを読んでる時間があまりありません。

 新しい版が出たので『暗黒日記』(清沢洌(きよし)・ちくま学芸文庫)を読み返してみた。外交評論家の清沢が戦時下につづった日記で、当時の政治や社会を鋭く批判した文章はいまも色あせていない。
(略)
 たとえば「不思議なのは『空気』であり、『勢い』である」といい、この「勢い」が危険である、と。世の中の「空気」に左右される。社会の「勢い」に流される。そんな気質はいまもそう変わっていないのではないか。その気質を彼は「日本人は感情を食っている人間だ」と表現した。


なるほど、その「世の中の『空気』」というやつがいわゆる「民の声」ですね。「天声人語」の由来であるところの。いやあ剣呑剣呑。


朝日新聞といえば、なんか有名人の故郷についてのインタビューが連載されています。先週見たのは作詞家・阿久悠の話で、彼にとって故郷は戻るところではなく出て行くところだ、みたいな内容。

中に「転石苔むさず」ということわざは洋の東西にあるが解釈が違うのはそれぞれの文化を表している、といったことが書かれていました。

私の知るかぎりではこのことわざは西洋のもののはずなのですが、東洋にもありましたっけ?

もしかして、解釈が違うというのは、イギリスでは「苔むして威厳をつけるためにはあまり転がらない方がいい」、アメリカでは「苔むしてしまうのはまずいから転がった方がいい」というつかわれ方のことで、「洋の東西」は大西洋の西と東のことなのかも。


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