とぜんそう2003年5月分

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03/05/05

大学時代の悪友たちと会合。

参加者のひとりがホンダの S2000 を買ったというのでさっそく峠道で試乗会。いえ、私は助手席に座っただけなんですけど。

ところが運転席に座ったやつの運転が(自粛)で、コーナーのたびに(自粛)。ナガシマスパーランドのホワイトサイクロンというジェットコースターのほうがよほど安心して(自粛)。


解散後、丸山さん夫妻とミニオフ。

ウナギ、おいしうございました。アイスレモンティ、おいしうございました。スーパードラマーのエピソード、おいしうございました。おみやげの CD おいしうございました。

すてきな奥さん、大事にしてあげてください>丸山さん

03/05/13

最近は日本語ブームだとかで、新聞の記事や投書にもそのたぐいのものが目立ってきています。

最近見た例では朝日新聞のオピニオン欄に識者が意見を寄せている中に、朝日新聞はルビにも小文字があって大変よろしい、というのがありました。具体例は忘れましたが、たとえば「骨折」に振ってあるルビがほかの新聞や書籍では「こつせつ」だけど朝日では「こっせつ」になっているのだとか。

しかし、これってほんとにいいことなんでしょうか。「骨折」を「こっせつ」と読むのは単なる音便で、声に出すときに発音しやすいからという理由、ルビは書き言葉だから本来の「こつせつ」でいいと主張している人もいます。

たしかに本を読んで言葉を覚えた人には音便は却って不便なときもないではありません。いまでこそ ATOK は「的確」を「てっかく」でも「てきかく」でも変換しますが、以前は「てっかく」でしか変換できず、「てきかく」で覚えてしまったためにこんな言葉も変換できないのかと腹を立てている人もいました。「接近」は今も「せつきん」では変換しませんけど。

以前にも『日帝時代の何とか』とかいう本の書評を書くときにパソコンの仮名漢字変換が「にってい」で「日帝」を変換しないのはおかしいなどとわけのわからない文句を言い立ててる人がいましたが、これも「にちてい」なら一字ずつ変換できるわけで、さて、どちらがいいんでしょうね。

まあ「荒らげる」を「あらげる」と読んでしまう人も多いそうだから(しかもそれが「荒げる」で定着してるし)ルビ自体はあったほうがいいと思うのですが。


次は昨日の朝日新聞オピニオン欄。

(以前ある首相が「日本はインテリジェントなソサエティである」といったことに対して)これは日本語ではない。もし日本語だというなら、「ミーはスクールにゴーする」も、立派な日本語になってしまう。


「インテリジェントなソサエティである」も「ミーはスクールにゴーする」も外国でそうそう通用するとは思えないんですけどね。でも日本人ならほとんどの人が理解できる。というか日本語以外の言語とは思えません。その証拠に ATOK16 では一発変換です(おい)。

外来語が日本語でないというなら「立派」も「語」ももともと日本にはなかった言葉だし、日本語の範囲は相当狭くなります。徒らに外国語をカタカナにして使うことにはもちろん反対ですけど、だからといってそれが日本語ではないと断じるのにも抵抗を覚えてしまう初夏の日。


もひとつ、これは土曜日の中日新聞投書欄。

私たちが日本人であるのは日本語を話しているからである。(略)


投書の趣旨には文句ありませんけど、冒頭のこの部分でちょっと引いてしまったのは確かです。

03/05/21

そうそう、先日書き忘れたけど、漢字制限論者は現在のカタカナ外来語氾濫を歓迎しているんでしょうか。


平井堅、中島みゆきをあの巨匠がカバー リチャード・クレイダーマン、日本デビュー25周年という記事が zakzak に。

でも、ビクターの制作関係者が「中島みゆきの『地上の星』、平井堅の『大きな古時計』、サザンオールスターズの『TSUNAMI』など、日本のヒットポップス15曲を収録(略)」なんていってますが、「大きな古時計」って日本の曲だったっけ。

いっそのこと「大きな古時計(ZuZu バージョン)」をピアノでやってくれないかしらん。


仕事で床上3メートルの架台へ鉄パイプ製の垂直梯子で登ったり降りたりを何度も繰り返しました。

腕にずしりとくる感触で自分が未だ成長途中であることを再認識。とくに下腹と脇腹のあたり。


妖怪土ころび?およそひと月ぶりにヌートリアと再会。といっても相手はむこうを向いてじっとしていただけですが。

今日は一匹だけでしたけど二匹以上いるのは確かなので、便宜上からだの大きいほうを「ミッキー」、小柄なほうを「ミミー」と呼ぶことにしました。

ちなみにミッキーは「ミッキーバード」、ミミーは「ミミー星人」が由来です。信じる信じないは自由ですが。

03/05/25

お笑いパソコン日誌の情報で「勝谷vs大石」を見物にいったのですが、言葉を遣って思想信条を表現するのが仕事とかおっしゃる大石氏の日記に「箸にも棒にもならん」という意味不明の表現が。

で、さっそくぐーぐるしてみたら「箸にも棒にもならない」で39件ヒット。

さらに「箸にも棒にもかからない」での検索結果をざっと読み流すかぎり、どうもこの言葉は最近「とるにたらない」とか「たいしたものではない」とかいった意味合いでつかわれているみたいな印象を受けます。

この言い回し、もともとは箸を使おうが棒を使おうが引っかけることができないということから「すくいようがない」というしゃれなんですね。

言葉で思想信条を伝えようとなさってるかたが「箸にも棒にもならん」なんていってるのでは救いようが以下略。いわんとしてることはわりあいまともですけどね。


きょうの朝日新聞投書欄は先週に続いて「あの山」がテーマ。中に山の上で飲む酒のおいしさを謳いあげた68歳のかたのこんな文章が。

(略)至る所に素晴らしき場所がある。「女性のための山」「2時間で登れる山」「東京近郊の山」等々、身近な山のガイドブックでも、至る所に青山はある。(略)


いや、たしかに気圧の関係、運動後、見事な景観、達成感などがあいまって山の上で飲むお酒は格別なんですが、なにも骨を埋める場所探して命がけで飲まなくても。


で、きょうの朝日新聞には先日の曽我ひとみさんの家族の住所を詳細に報道した件について「報道と人権委員会」の臨時委員会で論議された内容が掲載されてました。

要約すると「こんなことやっちゃいけない、今後は気をつけなさい」。

この委員会、去年の暮れの定例会でも拉致被害者関連では「メディアスクラムにならなくてよかったね」としかいわず、キム・ヘギョンさんへの共同インタビューには全く触れなかったし、なんのためにあるのかよくわからない。

まー朝日新聞から金もらってるのだろうからこんなもんだろうけど、蘇我さんサイドの再度の問い合わせにはいっさい言及せずに朝日の言い分をすべて事実として議論してるんだから意義ある結論が出るわけがない。

それにしても、先週の調査結果にしても今回の委員会の内容にしても、どうして日曜日にばかり載せるんだろう。朝日新聞をとってない人に平日、役所や会社や学校や病院などで読まれると困る理由でもあるのかしらん。

このぶんでいくと曽我さんへの次の回答は今度の日曜日かな。

03/05/26

ひねもすライン監視。

なにごともなければ退屈なだけなので、昨日の「箸にも棒にもならない」について考えるともなく考えていました。エラーのたびに中断したけど。

結局「箸にも棒にもかからない」がなぜか語感だけで「たいして役に立たない」とか「ほんのつまらないもの」みたいに解釈されていき、さらにそういう意味の言葉「毒にも薬にもならない」とごっちゃになって「箸にも棒にもならない」というよくわからない表現一丁上がり、となったのではなかろうか、と。

なんかほかにも似たような例があったと思ったけど思い出せません。

03/05/29

東京編集局長ら処分 曽我さん家族住所報道で 本社
曽我さん家族住所報道で朝日新聞社が編集局長ら処分

はあ、処分は減給と譴責だけですか。気分は驚愕。

朝日新聞がいかにこの件を軽く考えてるかわる気がします。まあわざとやった可能性も否定できないから(あんな記事が何重にもチェックしていても通ってしまうなんて考えられない。もし本当なら別の意味で非常に危険な報道機関です)裏では報償与えてるかもしれないし実質処分なしかも(あくまで憶測)。

あれだけのことやってもこれですむなら要するにやりたい放題ということか。曽我さんからの再質問にはいっさい回答しないつもりのようだし(どこかの国が「すでに解決済みで議論する価値すらない」とかいってるのにそっくり)、あとは世間が忘れるのを待つだけ、と。

朝日新聞にだけはメディア規制法適用してください。

03/05/30

朝日編集局長、曽我さん住所暴露で左遷

減給と譴責だけじゃなかったと朝日新聞の「良識」を少し見直しつつ記事を読んでみたら、「大朝日」が間違っていたと謝罪したことへの報復人事らしい。箸にも棒にもかからないとはまさにこのこと。

しかし「家族会」や「救う会」はそんなメディアですら利用せざるを得ないらしい。

曽我ひとみさん:朝日新聞の取材拒否を解除 家族会が発表

胸に沁みる空の輝き、今日も遠く眺め……。


「エビアン」って商品名じゃなくて地名だったのね。


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庵主:matsumu@mars.dti.ne.jp