とぜんそう2003年10月分

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03/10/05

油断していたらいつのまにか9月も終わってしまってました。

ということで、9月に拾っておいたネタも並べておきます。


ブラックホールが音波を発しているそうです。ただし、ブラックホールの「音」が聞けるのはこの銀河団のガスの中だけ。耳を澄ましてみても星の彼方からは何も聞こえません。

でも、なんか唐突に「星降る夜は部屋の明かり消して 静かに静かに星のささやき聞こうよ」(by かぐや姫)などと口ずさんでみたり。


朝日新聞夕刊連載の「素粒子」9月16日分にこんなことが書いてありました。

今65歳以上が人口の19%。次に阪神が優勝するころには、もっと増えて30%近くになりそうだ。


この人は来年にも65歳以上の人口が30%近くになる可能性があると考えているようです。


こちらは「素粒子」9月22日分。衆議院解散・選挙に関連してこんなことを書いています。

試されるのは有権者よ、あなたですぞ。


自分も有権者だという自覚がないみたいですね。あるいは選挙権持ってないのかも。


最近見た JT の雑誌広告に、たばこの煙にはいい香りの成分と不快なにおいの成分が含まれていることがわかったので、自分たちはこれからいい香りの成分だけが煙に含まれるようなたばこを作っていきたい、というのがありました。

いい香りにして、からだに有害であることは煙に巻くつもりらしい。


田中真紀子の秘書給与疑惑が不起訴になった翌日の朝日新聞3面の世相漫画に「じゃじゃ馬復活」と題して田中真紀子が馬に乗っている姿が描かれておりました。

じゃじゃ馬というのが騎手のことを指す言葉だったとは知りませんでした。


昨日の朝日新聞投書欄に、飼っていたカブトムシが死んだので庭に埋めようとしたら、4歳になる子供たちに「なんで埋めるの?」とか「かわいそうだ」とかいって大泣きされてしまい、説明に窮した、みたいな話が載っていました。

どうやらこのご家庭では子供たちをお墓参りに連れて行ったことがないようですね。自分の先祖も大切にしないでおいてカブトムシだけ丁寧に葬ろうとするあたりが以下略。


きょうの朝日新聞オピニオン欄に、新聞週間が近いということでマスメディアとネットについて大学の教授が意見を寄せておりました。

この教授によると、インターネットの一部の人間の起こした不祥事ばかりをマスメディアが取り上げてネットを危険視するからネット側でもそれに反撥してマスメディアをこき下ろすのだそうです。

さすがに新聞が載せるだけあってすごくマスメディア寄りの解釈ですね。私としては、個人レベルでのマスメディアへの疑問がインターネットを通じてようやく世間の共通認識になってきつつあるのだと思っていたのですが。

03/10/07

これは、先日書いたマスメディアと世間の乖離の一例でしょうか。

拉致家族と朝日新聞&筑紫哲也の深すぎる溝

ネタ元はお笑いパソコン日誌2003/10/5 PM 7:40の分。


今日の爆笑

ネタ元は島国大和のど畜生10月6日分でした。

03/10/10

ほら貝Oct09分に1,000換算と1,024換算が混在するコンピュータの世界なる記事が紹介されていました。

これ、一部のアンチマイクロソフトな人たちのあいだで「マイクロソフトの陰謀」といわれていた問題ですが、訴えられた中にマイクロソフトは入っていないようです。

マイクロソフトにもいろいろ問題があるのは知ってますが、なんでもかんでも「マイクロソフトが悪い」ではユダヤ=フリーメーソン陰謀史観とたいして変わらないような。


今日の朝日新聞投書欄に、以前掲載された「小さな自治体なぜいけない」という意見に対する名古屋市民の反論が載っておりました。

それによると、大きな自治体では文化施設などの住民一人あたりの建設費が小さな自治体に比べて少ない、いわゆる一票の格差によって大きな自治体のほうが民意が反映されにくい、などの理由が並び、だから小さな自治体は合併し、大きな自治体も適宜分割されなくてはならない、と結論づけています。

だったらとりあえずそういう状態が解消されるまで今住んでいる便利な都会を捨ててその有利な「小さな自治体」に引っ越せばよかろうに。それができない人が多いから自治体の大小格差が大きくなるのでは。

たとえば名古屋市の敬老パスなんてのはそもそもバスや地下鉄が整備されてない土地には望んでも存在し得ないんだし、そういうことには目をつぶって自分の不利益だけ並べられても説得力が以下略。

03/10/11

衆議院議員選挙を前にしていろいろ動きがあるようです。

総選挙ネット投票、妨害の疑いで中止 ヤフー、共同通信社実施

これに対してこういうサイトが。

ヤフー&共同通信&民主党 組織ぐるみのプロパガンダ疑惑。

さて、真相やいかに。

さらにはこんな動きも。

民主党が土井社民党党首を推薦

菅+小沢ってなかなかおもしろい組み合わせだと思ったんですけどね。年齢以前に捨民党党首を推薦するようでは以下略。


朝日新聞の元記者という人が書いた新書で、現在の新聞のありように批判を加えてるものがありました(タイトルと著者・出版社失念)。

何を訴えているのかと思ったら、新聞は権力批判と反戦平和を推し進める方向に世間を導かなければならない、新聞がもっとも輝いていた時代に戻らなければならない、と今の生ぬるい取材態度・報道態度の改善を求めているようです。

で、権力批判と反戦平和の根拠として、現在の新聞は戦時中のミスリードへの反省と謝罪に基づいて戦前の日本みたいにしないような報道姿勢を持たなければならないと謳い、新聞がもっとも輝いていた時代の例としてベトナム戦争の現地取材やロッキード事件の調査報道などをあげています。

私の少ない知識によれば、新聞は戦時報道などおくびにも出さずに終戦の日の翌日から謝罪も反省もなく報道態度を変えたそうです。現在に至るも戦時報道について国民への謝罪を明確に示した例を知りません。もしあるのでしたら教えてください。認識を改めます。

ベトナム戦争では、現地特派員が共産政権への批判を書いても取り上げないのでやむなく共産政権への賛辞やアメリカへの批判ばかり書いて送ったのだとか。ロッキード事件に至っては立花隆氏が新聞以外のメディアで疑惑をすっぱ抜いたのに対して新聞記者が「そんなこと誰でも知っている」とうそぶいたそうで、まことにごりっぱな報道姿勢です。

要は、自分が現役のころの新聞はよかったが今はだめだ、というだけの内容のようです。人は往々にして都合のいいことは誇張して都合の悪いことは隠す傾向にあるようですが(むろん私も例外ではありませんことよ。をほほ)、それに「昔はよかった」幻想が加わるのだから無敵かも。

03/10/12

朝日、毎日、読売、産経の中で唯一トップページから直接リンクされていない一面コラム「天声人語」の本日分にこんな部分が。

 戦争の年に、平和を誰に託すか。今年のノーベル平和賞の選考は難しかったに違いない。


長く平和が続いているときのほうが銓衡は難しいのでは。「家貧しくして孝子出づ 国乱れて忠臣出づ」とかいいますし。

それはそれとして、どうもノーベル平和賞って政治的意図が見え隠れして好きになれないんですよね。


ちょっと前の中日新聞投書欄に、高校生から概ねこんな意見が寄せられていました。

人間は誰でも仮面をかぶっている。子供の頃には皆純真なのに、大人になると嘘や偽りの仮面をかぶり、いつしかそれが本当の自分の顔のように思ってしまう。自分も大人になると仮面をかぶるようになってしまうのだろうか。

たしか人間の記憶に関する遺伝情報は脳の記憶容量に比べてずっと少なくて、そのことは人間が遺伝的に身につけていることよりも生まれた後に身につけていくことの方が遙かに大きい、というか、育っていく中でいろいろなことを身につけるやり方だけを遺伝的に与えられてこの世に生まれるということを意味するのだそうで。

また、人が人の中で生きていく限りは自分の思うとおりに振る舞えばたちまち齟齬や摩擦が生じてしまいます。それをさけるために自分をある程度殺すことも覚えなければならないこともあるでしょう。それをすら「仮面」と呼ぶのはどうでしょうね。

で、人の表皮というのは実は死んだ皮膚で、これがあるおかげで外部の刺激がワンクッションおいて真皮に伝わるようにできてます。むき出しの真皮のままだとたとえばホットの缶コーヒーを素手で持てる人はたぶんいない。

だから人は大人になると仮面をかぶると考えるのではなく、子供の頃にはむき出しの真皮しかないのが、成長するにつれて心に表皮をかぶせて心を保護すると考えるってのはどうでしょう。むろん仮面と呼びたくなるぐらいツラの皮の厚い人もいますが。

ちなみにどんな美人も美男子もその顔の皮は死んだ皮膚です。ほんとの生きた皮だったらたぶん以下略。

03/13/

仲間はずれの痛みと体の痛み、脳では同じ反応 米で研究てな記事を読んで、ちょっと前の朝日新聞のこんな記事を思い出しました。最近の投書欄の傾向をまとめたものです。

(北朝鮮に優秀な万景峰号を建造する能力があるなら拉致や麻薬などに頼らない産業で経済を立て直せばよいのに、という意見に対して)抗議文が届きました。「万景峰号はわが国で建造した。これでは(朝日新聞が)攻撃されても自業自得だ」との趣旨でした。抗議内容は思い違いに基づくものです。しかし、後半部分は、「朝日の論調が気にくわない」と名古屋本社に刃物を持った男が押しかけてきた直後でもあり、そのような行動を容認する論旨として到底受け入れられるものではなく、理解に苦しむものでした。


抗議文のいう「攻撃」が言論によるものか暴力によるものかわからないのであれですが、言葉による暴力に対して腹が立つ人がいることも理解できないのでしょうかね。そのまま暴力に走るのは論外ですが、人がそのような思いを抱いてしまうことに対して自分の側に何ら原因がないと思えることが不思議です。

さらに、冒頭の記事が示すように精神的な痛みが肉体的な痛みと等価であるなら、言論による攻撃も直接的暴力による攻撃も似たようなものということになったりして。もっともその場合でもあの新聞の場合は12日分で書いた「心の表皮」が分厚そうだという噂なので、直接的暴力だけを非難したほうが好都合なのかな。

それはそれとしてもう一歩妄想を深めると、将来的には新聞記事による「傷害罪」が適用されることにだってなるかもしれません。そうなったときに「報道の自由」や「表現の自由」はどうなるんでしょうね。

あと、この記事の結論部分は以下の通り。

テロは国是や人権と相いれません。わが国を破滅に導いた戦前の歴史的事実が、そのことを証明していると思います。


私としてはここがいちばん「理解に苦しむものでした」。「わが国を破滅に導いた戦前の歴史的事実」とはいったいどのような出来事を示しているのでしょう。ひょっとして朝日新聞では、戦前の日本はテロリストが指導者となったために破滅に導かれたと考えていて、いわゆる東京裁判の「A 級戦犯」を「テロリスト」と見なしているということなのでしょうか。

もしそうなら「総理の靖国参拝」=「テロリスト信奉」なのだから朝日新聞があれだけ騒ぐのも理解しやすいのですが、当然そんな考えは「思い違いに基づくものです」。

そうそう、朝日新聞にはこの抗議文のような意見が届いていて、それがそのまま掲載されることがないとわかったのも収穫かも。

03/10/14

テレビやラジオで「お知らせ」というとき、NHK と民放では意味が違うということに最近気がつきました。かたやニュース、こなた CM。


昨日書いた分を後から読んでみたら冒頭の記事とその後の部分とのつながりがわかりにくかったので手直しました。


げ、今日の朝日夕刊「素粒子」もあの記事を材料にしてら。

03/10/15

漫画家の横山まさみちさんが亡くなったそうです

初めて読んだのはたしか小学生の頃で、熱血主人公の登場する作品を描いていたと記憶しています。最終的に覚えているのがトドだかオットセイというのがやや寂しいかも。

ご冥福をお祈りします。


「天声人語」よりもトップページからアクセスしにくい朝日新聞サイトの社説欄本日分

どうやら朝日新聞では去年までの、いや、さらに去年以後の拉致被害者たちへの嫌がらせとも思える自分たちの報道態度を棚に上げて、自分たちはこんなに北朝鮮のやり方を批判している、拉致問題が前進しないのは全部政府が悪い、と主張することにしたようです。

またしても国民への反省や謝罪をすっ飛ばして掌を返すのでしょうか。

03/10/16

NHK ラジオ第1放送で、ローカルニュース特集みたいな感じで各地の放送局からその地方の話題を集めた番組があるのですが、今日たまたま聞いていたら、九州だったかな、小学生が無理矢理連れて行かれる事件が相次いでいることを受けて小学生に笛を持たせることにした、みたいな話を伝えていました。。

笛を吹く前にはぜひ「まぐまたいしー」と叫んでほしいものです。

間違っても「まぐまらいざー」や「まぐまだいばー」などと以下略。

でも、特殊な超音波の笛だと犬が騒ぐだけであまり役に立たないかも(しつこい)。


「この道はいつか来た道……」というあの歌詞を戦前の軍国主義復活みたいな意味合いで使っているのを初めて意識したのは、20年ぐらい前に久米宏と横山やすしが出演していた報道バラエティみたいな番組でした(と某所にレスしてみるテスト)。

それ以前から使われてたかもしれないのでまあ参考ということで。


所沢ダイオキシン報道事件の最高裁の差し戻し判決を受けてのテレビ朝日の会見

「報道の自由」とは嘘でも何でも垂れ流していいということではないし、国民は事実と違う印象を含んだ情報を知る必要もないのだが。産廃問題の進展をけがの功名としてとっとと引き下がってほしい。

弁護士の発言にしても、事実をきちんと報道すれば所沢全体が汚染されてる証明なんかいらないということに全然気づいてないかわざと無視しているとしか思えない。あのテレビ局にしてこの弁護士あり、か。


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庵主:matsumu@mars.dti.ne.jp