やまいもの雑記

SF原体験シリーズ・鉄腕アトム

手塚治虫・著
自分とSFとのつきあいを語ろうとすると、どうしてもいわゆる「ロボット御三家」(「鉄腕アトム」(手塚治虫)、「鉄人28号」(横山光輝)、「8マン」(平井和正・桑田次郎)。後年の命名であり、当時こう呼ばれていたわけではない)と「スーパージェッター」をさけて通るわけにはいかない。すべてリアルタイムだというと年がわかってしまうが、事実は事実だわさ。しかたがない。

時あたかも東京オリンピック開催で世の中浮かれまくり。「神武景気」だの「夢の超特急」(東海道新幹線は当時こう呼ばれていた)だの、ようやく「復興」が終わり「戦後」を脱出しつつあった日本は、故意か無意識か、明るい話題に沸き返っていた。高度成長時代の始まり、ほとんどの日本人が「明るい未来」を信じることのできた時期にテレビ漫画「鉄腕アトム」の放送が開始された。「アニメ」という言葉すらほとんど知られていなかったころである。

ご存じの向きもあろうが、「鉄腕アトム」は『少年』(光文社・刊)に連載されていた人気漫画だった。しかし、田舎の町(私の生まれる数年前までは町ですらなく、郡部の村の中の大字のひとつだった)のこととて本屋の一軒もなく、たまに町に行く人が「おみやげ」として雑誌を買ってきていた当時、ごくたまに裕福な友人宅で見せてもらう程度だったので、雑誌掲載版の「鉄腕アトム」はほとんど読んでいなかった。後年単行本(朝日ソノラマ・サンコミックス版)を読んで、記憶に残るアニメ版のイメージとの落差にくらくらしたものだ。

私の生家はお世辞にも裕福ではなかったが、あれやこれやでなぜか町で2軒目のテレビ保有家庭だった。うちにテレビがやってきた日、接続を終わってスイッチを入れると「てなもんや三度笠」が映っていたことを覚えている(たぶん記憶の混乱だと思う)。

「鉄腕アトム」の放送が始まったころまだ小学生にもなっていなかった私は、当然のことながらアトムが敵の「悪人」や「悪いロボット」をやっつけるのを見ては快哉を叫び、お茶の水博士やヒゲオヤジがおかしな顔をするのを見ては笑うという、ほとんどなにも考えてない状態だった。タワシ警部がなぜアトムを嫌うのかなんてことも、アトムの優れた力へのやっかみだ、ぐらいにしか思っていなかった。

そう、当時の私にとってロボットは「優れた存在」であり、人間は「ロボットより劣るもの」だったのだ。だって人間は空も飛べなければ、十万馬力で車を持ち上げることもできず、優れた聴力も夜間サーチライトになる目もお尻のマシンガンも持っていない。「超人」アトムに比べれば、カスみたいなもんだった。

そして、アトムこそ「万能の科学」が生んだスーパーマン、アトムへのあこがれは科学へのあこがれ、アトムへの希望は明るい未来への希望、アトムこそ「来るべき理想的未来」の象徴だった。アトム誕生のエピソードだって、そそっかしい跳ねっ返りの下らない人間・トビオが消え、万能の優等生たるアトムが取って代わったとしか理解しなかった。

アトム誕生で、アトムがロボットサーカスへ売られるくだりが「ピノキオ」からの引用であると知ったのはずいぶん後になってからで、おそらくそのあたりで暗にアトムの人間へのあこがれを表していたのだろう。しかし、それでも当時の私にそれを理解することは困難だった。

たぶん、小学生中学年から高学年ぐらいに「鉄腕アトム」を読む機会があれば、評価は変わっていたことだろう。しかし、私はアトムより先に「カムイ伝」(白戸三平)を読んでしまっていた。人間とロボットの軋轢より先に、人と人の軋轢を描いた漫画を読んだのでは、どんなに優れた内容でも見劣りしてしまう。

まして、まともに「鉄腕アトム」を読んだころは、機械人形としてのロボットの裏側をほぼ理解していたので、「電子頭脳」が感情を持ち得ないという常識に縛られていた。もはや自分にとって「人形」にすぎないロボットが感情たっぷりの物語を展開しても、猿芝居よりも笑えない「喜劇」でしかない。それでも物語世界に引きずり込まれそうだったのは、作者が天才・手塚治虫だったからか。

結局私はアニメ版「鉄腕アトム」に出会うのが早すぎ、漫画版「鉄腕アトム」に出会うのが遅すぎたのだ。
前に戻る目次へ戻る次に進む
最初の画面に戻る
庵主:matsumu@mars.dtinet.or.jp