やまいもの雑記

鉄人28号

横山光輝・著
そんなわけで、当時正しい楽しみ方をしていたのは「鉄腕アトム」よりもアニメ版「鉄人28号」の方だったと思う。原作漫画の方は例によってほとんど読んでいなかった。また、アニメの方も放送時間が遅かったため(夜8時からだったと思う。田舎の農家は夜が早いのだ)本放送ではあまり見ていない。ついでに、一話完結ではなかったので、ストーリー自体もよく覚えていない。

すでに言い古されているとは思うが、アトムが自分の「意志」を持っているのに対して、鉄人の方は操縦者の言いなり。つい最近読んだ光文社文庫版の「鉄人28号(全12巻)」で見る限りは、障害物や戦闘相手をある程度認識する機能はあるみたいだが、基本的に「自分の判断」はない。相手を殴るように操縦されれば、認識した相手を攻撃する。拒否はない。

従って、当時は操縦機を奪われて、鉄人が悪の手先になるたびにストレスに悩まされたものだった。その辺がまた物語の魅力ではあったのだが、ようやく自我が目覚め始めたばかりの子供にとって、鉄人が正太郎や大塚署長を襲うシーンにはものすごく抵抗があった。

ただ救いだったのは、その放送回数の多さからかあまり再放送された記憶のない「鉄腕アトム」に比べると、「鉄人28号」は「夏休み漫画大会」などでよく再放送していて、小学生時代に見ることができたことだ。やはり見る時期によって作品の印象は変わってしまうもので、少しはものがわかってきたころだから、アクションシーンには興奮したし、操縦機の奪い合いではスリルを楽しむこともできた。

この「操縦機の奪い合い」というやつもけっこう黄金パターンで、「ウルトラマン」や「ウルトラセブン」でもベータカプセルやウルトラ=アイを取り上げられて変身(超人力の操縦)ができなくなる話があるし、同じ横山光輝原作の「ジャイアントロボ」でも、操縦機である腕時計を大作少年のプラモデルに奪われる話があった。そういえば、「水戸黄門」でも偽黄門に印籠を盗まれる話があったような。

で、操縦機によって操縦者の言いなりになるでくの坊というか、二本足のパワーショベルたる鉄人型ロボットも、時代が移ると操縦機が操縦席に変わり、操縦者がロボットの中に乗り込むようになる。この手のロボットがメジャーになった最初の作品はやはり「マジンガーZ」(原作・永井豪)だろうか。

実は1970年頃に小学館の学習雑誌(例の『小学n年生』)に「ジャンボーグA」が連載されていて(特撮番組としての「ジャンボーグA」はこの数年あと。小学館の学習雑誌では「ミラーマン」も別デザインでテレビ放送数年前に連載されていた)、私の記憶の中ではロボットの中に操縦者が乗り込むのはこれが最初になる。操縦方式も、操縦者の体にケーブルが繋がって操縦者の動きを模倣するシステムになっていて、後の特撮版と同じだった。同じシステムは「勇者ライディーン」や「闘将ダイモス」に受け継がれている。

しかし、それでも横山光輝のロボットたちは操縦者がロボットの中に入らなかった。「ジャイアントロボ」しかり、「バビル2世」のロプロス・ポセイドンしかり、「マーズ」のガイアーしかり(テレビアニメ版の「六神合体ゴッドマーズ」ではしっかりロボットの中で操縦していたが)。鉄人28号式にこだわっていたのか、他の理由かはわからない。

ただ、個人的な好みをいえば私は操縦者が中に入ったロボットが擬人的な動きをするのは基本的に好きではない。特に「マジンガーZ」のミネルバXとの絡みに代表される「ロボットの演技」には鳥肌が立つような嫌悪を覚えたりする。なんでパートナーロボットとして設計されたとはいえ、マジンガーZがミネルバXを横抱きにして渚で夕日を見つめにゃならんのだ。兜甲二が何を考えてマジンガーZをそんな風に動かしたのか考えると、あまりのナルシシズムにこの辺がかゆくなるぞ。

そういう意味でも横山光輝の鉄人型操縦法には好感が持てるし、たんなる乗り物・兵器としてのモビルスーツ(「機動戦士ガンダム」)の概念は歓迎なのだった。

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