やまいもの雑記

マグマ大使


そっち方面の話題は適当でもいいから具体的な表題を付けてほしいという声もあり、また自分でも何が何だかわからなくなるおそれが絶大なので、いきなり形式を元に戻して前段の表題を「W3」に変更、「とぜんそう」は不定(日記と言えるほど頻繁には書けないので)の表題に回すことにした。混乱した方がいたらごめんね。

ということで、落ち着いてだらだら書くことにしよう。

『月刊少年画報』連載の「黄金バット」といえば、確か手塚治虫のゴーストライターとして有名な人が描いていたんじゃなかったっけ。井上智かもう一人の人(名前忘れた)。けっこうスマートな絵で、『週刊少年キング』の一峰大二の「黄金バット」の不気味さよりはるかに気に入っていた(でも、一峰大二の方が印象には残っている)。

で、同じ『少年画報』に連載していた手塚治虫の「マグマ大使」は、実は後半部分をほとんどこのゴーストライターの人たちが描いていた。これは手塚治虫自身が著書の中で明かしている。『少年画報』の連載が終わってもこの作品はなかなか単行本化されず、約10年ほど後にようやく秋田書店のサンデーコミックスに収録された(私が知らないだけで、すでに単行本になってたりして)。ちょうど第一次石油ショックまっただ中で、第2巻の紙の質が雑誌のそれより少しまし程度だったのを覚えている。

このときには、物語はゴアの正体が明らかになる後半部分で面白くなるのに原稿散逸で第3巻以降が出版できないと作者のコメントで書かれていたが、のちの講談社の手塚治虫全集では第3巻の分(ブラックガロン編)まで収録されていたうえ、あとがきには、実は第3巻以降はくだんのゴーストライター氏たちの筆になるものが多く、「ブラックガロン編」以降にはほとんど手塚本人の絵が出てこないので手塚治虫の名前では出版できないようなことを語っている。

となると、『週刊少年サンデー』に連載された「ジャイアントロボ」が、横山光輝の多忙のために一部小沢さとるの代筆となったので単行本にしないのと同じ理由から「マグマ大使」も長らく単行本にならなかったのかもしれない(根拠無し)。

「鉄腕アトム」でも代筆が入ってるという話も聞くし(桑田二郎の「電光人間」など)、完全な想像ではあるが、手塚治虫自身はあまり優等生の主人公は好きではなかったのではなかろうか。たとえば講談社の手塚治虫全集の『ロストワールド』だったと思うが、人間そっくりに動いて話もできる人間植物(若い女性の姿)を、空腹のあまり悪役の一人が食べてしまうくだりがある。そのあとがきだか解説だかに作者の話として、この場面を最初に描いたときはもっと残酷だったがあとで描き直した、フラストレーションがたまっている方が漫画が描ける、みたいな話が紹介されていた(詳細忘却)。

のちに同全集に収録された『私家版ロストワールド』では問題の場面は原稿消失を理由に白紙のままだったが、作者がすでに鬼籍に入っている関係から名誉のために削除したのかもしれない(憶測)。

それはさておき、サンデーコミックス版『マグマ大使』で読めなかった「ブラックガロン編」にお目にかかれた喜びとは裏腹に、作者のコメントがまったく違う内容になっていることに驚いた。ひょっとするとサンデーコミックスを出版した後で原稿が見つかった可能性もある。あるいは元の雑誌から復刻したのかもしれない(絵がそう汚れていないからこの線は薄いが)。しかしそのことにはまったく触れずに、代筆部分が多いので入れないでおこうと思ったが全集だから自分の絵の部分だけを集めて収録した、と書いてあるのでは、原稿が散逸したから出版できないという事情と明らかに食い違ってしまう。

私の頭をまずよぎったのは、「神様」が嘘を吐いていいのか、という思いだった。今から思えば、いかに「漫画の神様」と呼ばれようとしょせん生身の人間なのだが、当時の私にとって手塚治虫は特別の、そう、まさに神のごとき存在だったのだ。幼い私に正義を教え愛を説いた神様が読者を騙した、という認識は、それまでの手塚治虫とその漫画への信頼と尊敬をいともたやすく打ち砕いてしまった(まあつまり若かったのよ、私も)。
(続く)
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庵主:matsumu@mars.dtinet.or.jp