やまいもの雑記

W3(ワンダースリー)


とりあえずSF原体験の続き。なんか、肝心のことを書き忘れていたような気がする。

昔は現在のようにさまざまな娯楽があったわけではない。なかったわけでもないが、先立つものもまたなかった。みんな貧乏だったし、それを恥と思う世の中でもなかった。日本が豊かになりすぎたための弊害は以外に大きいと思う。

てなことはさておいて、そんなわけで数少ない娯楽に対する集中力もまた半端ではなかった。ビデオ自体がとんでもなく高価な業務用しかなかったはずだ。まさに放送される一瞬が勝負。それに、昭和40年代初頭ごろまではけっこう裏番組で見たい番組がかち合うことも少なかったと記憶している(親が我慢してただけだったりして)。初めてチャンネル争いをしたのは、兄が「W3(ワンダースリー)」を、私が「ウルトラQ」を見たがったときであっただろうか。

後に知ったところでは、それまで20%以上だった「W3」の視聴率が、「ウルトラQ」が始まったとたんに三分の一以下になってしまったとか。当時テレビで怪獣の出る特撮番組がいかに歓迎されたかという証明だが、皮肉なことに「W3」の原作者・手塚治虫の家庭でも同じ現象が起こってしまった。つまり、手塚治虫の息子が「ウルトラQ」を見たいと言い出したのだ。しかしさすがは漫画の神様、「お父さんの番組を見なさい」とたしなめる奥さんを押しとどめて「子供の見たいものを見せなさい」とおっしゃったそうな。

後に「W3」の放映曜日をずらしたら視聴率も盛り返したそうだが、いかに怪獣ブームの走りとはいえ、やはり当時のテレビ漫画と円谷特撮映像では勝負にならなかったと言うことか。現在LDで見る限り、「ウルトラQ」はいまだに鑑賞に堪えるが、同時期のテレビ漫画はちょっとつらい。

ことのついでに「W3」についてのお噂をもう一題。当時『週刊少年マガジン』でも『週刊少年サンデー』でも「W3」を見かけたの覚えがあって、記憶の混乱であると思っていたのだが、そうではなかった。実は「W3」は最初『マガジン』に連載された。ところがわずか3回ほどで突然打ち切り。じきにライバル誌『サンデー』で新たに最初の部分から連載が始まった。

黄金バット』や『怪獣王子』が同じ少年画報社の『週刊少年キング』と『月刊少年画報』で別の漫画家で競作されたり(『キング』の「黄金バット」は「黒い秘密兵器」や「宇宙猿人ゴリ」でおなじみの一峰大二の絵で、数年前に大都社から出版されていた。ちなみに「宇宙猿人ゴリ」は『週刊少年チャンピオン』と『月刊冒険王』に同時連載。あ、梶原一騎・荘司としおの「夕焼け番長」も同じパターンか)、『週刊少年サンデー』に連載されていた「オバケのQ太郎」が同じ小学館の学習雑誌『月刊小学n年生』に掲載されることはあったが、当時違う出版社で同じ漫画を掲載する例はあまり見かけなかったと思う。

のちに「サイボーグ009」が『週刊少年キング』から『週刊少年マガジン』に移ったり(絵柄が違うから、少しは時間が経過していたのかも)、『マジンガーZ』『デビルマン』あたりになると、人気番組の漫画化と言うことで複数の出版社で同時に連載というのも見かけるようになった。この二つの場合、オリジナルは永井豪がそれぞれ『週刊少年ジャンプ』と『週刊少年マガジン』に、ダイナミックプロの別の漫画家が共に『月刊冒険王』に描いていた。「デビルマン」は他に同じ講談社の『月刊テレビマガジン』にも連載してたと記憶している。

そうそう、『冒険王』といえば秋田書店は1972年頃まで『月刊まんが王>』も出していて、週刊誌の月刊版以外の月刊漫画誌2本立てだったっけ。『月刊少年クラブ』や『月刊少年』がなくなり、『少年画報』が月2回刊になり、『ぼくら』が『ぼくらマガジン』に変わり、『少年ジャンプ』や『少年チャンピオン』が月2回刊から週刊化されるなど、漫画誌が月刊から週刊へ移行していく中で『まんが王』は『冒険王』に統合されて消滅した。

ちなみにとり・みきの「るんるんカンパニー」に登場する秋田冒険王・まんが王の兄弟は、この秋田書店の『冒険王』『まんが王』に由来している。

あだしことはさておき
閑話休題

原因は「W3」打ち切りの直前に『マガジン』に連載が開始された「宇宙少年ソラン」だそうだ。というのも、「ソラン」に登場した宇宙リス(名前はチャッピー)は、もともと手塚治虫の虫プロで使う予定だったキャラクターで、それを盗作されたのだ。犯人は当初SF作家の豊田有恒だと言われたが、後に誤解とわかった(この辺のことは豊田有恒の『あなたもSF作家になれるわけではない』を参照)。

それはともかく、自分のところのネタを盗作された相手が同じ雑誌に連載しては、いかに手塚治虫とて面白かろうはずもない。というより、故人のことを悪く言いたくはないが意外に手塚治虫は嫉妬深いという。おそらくはそういう感情も創作のエネルギーに変えていたのだろうけど。で、結局は手塚治虫が『マガジン』を飛び出したというのが真相だとか。確かこのあと「三つ目がとおる」まで『マガジン』に描いてなかったんじゃなかったかな(自信なし)。

あ、結局何を書き忘れたかまで話が進まなかった。

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