やまいもの雑記

ビッグX


とぜんそうで話題が出たついでだから書きとめておこう。1965年頃の作品で、作者は手塚治虫。白黒でアニメ化もされた。テーマ曲は富田勲。結構頭にこびりつくメロディである。

第二次世界大戦中、ナチスドイツが開発していたV2号ロケット・殺人光線と並ぶ新型兵器・ビッグXを巡る攻防戦で物語の幕が開く。完成すれば無敵の軍隊をもたらすといわれるビッグXの正体は、人間を鋼鉄のからだにし、使用する量によっては鋼鉄のからだのまま巨大化する薬だった。しかし、ナチスの残虐なヨーロッパ侵略に反感を抱くエンゲル博士と共同研究者の日本人・朝雲博士は協力してビッグXの開発を遅らせ、ついにその完成を見ないままベルリン陥落に至った。

ナチスは報復としてエンゲル博士と朝雲博士を射殺し、ビッグXの資料を全て燃やしてしまうが、難を逃れた朝雲博士の息子・しげるの体内には朝雲博士の手によってビッグXの秘密を記した金属製のカードが埋め込まれていた。偶然取り出されたカードを奪ったナチスの残党・ナチス同盟は処方通りにビッグXを作り、しげるの息子・昭に注射する。見る間に巨大化する昭のからだ。

カードを取り戻した昭はその後あれやこれやでナチス同盟に撃たれた父からビッグXを使ってナチス同盟を根絶やしにするよう遺言され、花丸博士にビッグXの薬を目盛りに応じて注射できるシャープとからだの大きさが変わってもフィットして破れない特殊ゴムの服を開発してもらう。変身巨大ヒーロー・ビッグXの誕生である。

当時は幼かったこともあって、ピンチになったヒーローが巨大化して敵をやっつける脳天気な活躍に快哉を叫んだものだ。それに、ペンシル型の器具を使って主人公が巨人に変身するという魅力的な設定は、円谷プロの「ウルトラマン」がしっかりとぱくっている。

しかし、今現在単行本(秋田書店版全4巻)を読み返してみると、上のあらすじでもかいま見えるとおり、全編これご都合主義の塊だなあ。まあ時代が時代だったんだけど。

まずいきなり朝雲しげるがナチスの侵略行為に対して「ひ、ひどい。まるであくまだ」といってみたり「こ、このあくまめ。死神めーっ」と殴りかかったり。自分の祖国のやってることにはいっさい目をつぶってナチスの蛮行を責める責める。ナチス同盟を絶対的悪と設定して主人公の正義を際だたせようという意図なのだけど、大戦中同盟国だった日本人にこんな話を書かれたらドイツ人は心中穏やかではなかろう。

次にビッグXの設定。これを否定してしまうと話そのものが成立しないのであれだけど、ちょっと医学博士の考えたものとしてはお粗末過ぎはしないだろうか。生物が巨大化するのはまあそういう話だから追求しないが、目盛り1から2あたりで鋼鉄のからだになって弾丸さえ通さない状態でもう一度注射を打って巨大化するとか、宇宙空間を飛ぶロケットの上で質量を増やしながら巨大化するとか、からだの大きさの変化に応じて元の形を保ったまま大きさを変えるヘルメットとマントとか、これだから手塚治虫の描くのはSFじゃなくてファンタジーだといわれる要素満載である。

それに漫画版ではビッグXの薬が途中で注射から経口薬になるのだが、「ほんのひとしずくのんだだけで細胞にきいて、みるみるものすごい威力をはっきする」のだそうだ。薬の成分が消化されるのを待つぐらいなら、いっそ座薬にした方が吸収が早いと思うが。ピンチに陥るたびにパンツの中に手を入れる昭少年。テレパシー少女・ニーナもさすがに軽々しくビッグXの薬を手にしなくなるかもしれない。

経口薬で変身するヒーローといえば、「キャプテン・ナイス」というアメリカものがあったけど(中部地区では「じゃじゃ馬億万長者」の後番組だった)、あまりうわさを聞いたことがない。やはりドーピング・ヒーローは冷遇される運命なのか。

テレビ版では、記憶に残っているのは「前転すると世界一重くなり、後転すると世界一軽くなる男」の話。結局宇宙空間に連れ出し、無重力だから体重が変化しても関係ないぞ、と重力がほとんど働かなくても質量は存在することを無視した無理矢理な理屈で退治する。

あとテレビ版で覚えているのは宇宙から巨大な虎がやってくる話で、昭がビッグXに変身したあとの野次馬の会話。

「おう、巨人×阪神戦だ」
「俺はタイガースファンだけど、今日は巨人を応援するぞ」

こういうくすぐりは大好きだった。

漫画版ではビッグXの他にもからだが小さくなる薬・ミクロXが登場していたが、秋田書店版の単行本では割愛されていた。
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