白龍亭・毛野と道節は仲が悪い

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[ 八犬伝邪読 - 01 ]

● 似た者同士だが…
 智の玉を持つ犬士・犬阪毛野と、忠の玉を持つ犬士・犬山道節。
 この二人の境遇は似ている。
 毛野は名門「千葉家」の血筋で、千葉自胤の家老・粟飯原胤度の子。道節は名門「豊島家」の血筋で、練馬倍盛の家老・犬山道策の子。違いは毛野が庶子で道節が嫡子だという点。
 さらに、毛野も道節も父親を殺されて仇討ちに生きる。毛野の父粟飯原胤度は馬加大記の陰謀により籠山縁連に殺され、道節の父犬山道策は関東管領扇谷定正に攻められて討死。
 ちなみに千葉家はこの豊島攻めに参加している。血筋的には毛野と道節は敵同士といえなくもない。

● 仇討ちの成功と失敗
 問題は仇討ちだ。
 毛野は、馬加大記も籠山縁連も討ち果たした。
 道節は、直接父親を斬った竈門五行は討ったが、扇谷定正を討つことは出来ず終い。
 仇討ちという視点で見ると、毛野は成功し、道節は失敗した。道節にしてみりゃ面白い話ではない。

● 毛野の信用を失墜させた道節
 毛野には道節を嫌う理由がある。
 毛野が籠山縁連を討てたのは、扇谷定正の忠臣・河鯉守如のおかげである。毛野を勇士と見込んだ河鯉守如は「扇谷家の奸臣・龍山縁連(実は籠山縁連)を御家のために討ってくれ」と依頼。これゆえに仇を見つけることができたわけだ。
 ところが、この仇討ちに道節ら他犬士が勝手に助太刀。
 この騒ぎを聞きつけて出陣してきた定正を、道節は狙う。河鯉守如は奸臣を取り除こうとしてかえって主君を危険にさらしてしまう。その結果「毛野を信用したばっかりに……」という悔いを残して自害。それどころか、この件に関わった扇谷定正夫人・蟹目前まで自害するはめに。
 毛野は定正を狙う気なんかなかったのに信用(あるいは面目というべきか)を失墜させられてしまったわけだ。
 後に道節は守如の子・河鯉孝嗣に「毛野に罪はない」と言うけれども、守如も蟹目前も死んでしまっているわけで「今さら言っても遅いんだよ!」って感じ。

● 道節の仇討ちを邪魔した毛野
 後の対関東管領戦。
 軍師となった犬阪毛野は作戦に関して謎かけをする。この謎を解けなかった犬山道節(他にも小文吾と現八が解けなかったが、謎かけに文句を言うのは道節だけ)。道節にしてみりゃ「馬鹿にしやがって」ということになるし、毛野にしてみりゃ「この馬鹿めが」という思いを抱くだろう。それが自然の成り行きというものだ。
 皮肉なことにこの二人は同じ戦場で戦う。洲崎沖水戦。扇谷定正と里見義成がそれぞれの総大将をつとめる対関東管領戦の主戦場である。
 水戦に敗北して逃亡する定正を追う道節。川崎の多摩川沿いで追いつくが、定正の忠臣・巨田助友(道節の仇討ちをことごとく失敗に追い込んだのはこの男である)に邪魔されて定正を取り逃がす。
 ところがこの後、定正は先回りしていた里見の武将・小湊堅宗に捕らえられる。しかし意外にも堅宗は定正の命を助けるのだ。この小湊堅宗を道節より先回りさせたのは誰か? なんと毛野だ。
 当然後で道節はこのことを知る。面白かろうはずはない。

● 離れた領地
 対関東管領戦後に八犬士は城持ちになる。
 毛野の犬懸城と道節の朝夷城の位置が気になる。なんと、主君・里見義成の稲村城、ご隠居・里見義実の滝田城、あるいは他犬士の城に行くのにお互いの領地を通らずにすむのだ。唯一道節が伏姫ゆかりの富山に行く時だけは毛野の領地をかすめることになるが……。

● 二人とも嫌われ者!?
 毛野と道節。この二人が仲良くなれる要素は何一つない。
 だがそれだけではなく、この二人は他の犬士とも仲が悪いのかもしれない。
 智略の人である毛野。どちらかというと悪謀の人とすらいえる軍師。うかつに接近するとどんな罠にはめられるか分からない恐怖がある。一方、荒々しくて粗野な道節。犬塚信乃が彼をなだめるシーンが何回か出てくるが、考えてみりゃ手のかかる面倒な奴である。
 犬士の息子や娘たちは互いに婚姻関係を結んでいる。ところが、毛野と道節だけは他犬士との婚姻関係がないのだ。
 犬士の仲間に入るのが最後になる毛野は仕方ないかもしれない。しかし早いうちから犬士の仲間入りしていた道節に婚姻関係がないというのは問題である。あるいは、出自の低い他犬士たちが名門の出であるこの二人には嫉妬心を抱いていたのか。


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