カミングスは作曲家である CUMMINGS IST
DER KOMPONIST
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Artur  Schnabel (1882リプニック-1951モルシャハ)

    


いやあ、ぶっ飛んだ、伝説的な大ピアニストの一人、シュナーベルの自伝"My Life and Music"を読んでみて。彼は、シカゴ大学に招かれて、1945年に何回かの講演に分けて自伝を語り、そして聴衆から質問を受け付けた、その際の記録が本書なんだが、本の構成上まず自伝が先に来て、それだけで120ページ、そしてそこから質問コーナーである第2部(これも120ページ程)が始まるんだけど、その最初の質問が、




       「チャイコフスキーのピアノ協奏曲第2番を何故普段聴けないんでしょうか」





というやつで、おいおい、お前さんは講演で、シュナーベルがヴィルトーゾ的なピアニズムとは一線を画していることが分かっていないのか
、とか、それにどういう脈絡なんだ、と思わず突っ込みたくなるものであった。因みに、この質問に対する回答は、

                  「私は1番すら弾いたことが無いんですよ」

お見事。

この質問コーナー、これだけで120ページはあって、当時のアメリカのクラシック音楽の聴衆のレベルがどの程度「とほほ」レベルなのか、あるいはいかにヨーロッパの事情に疎いかというのが良く分かる。面白いというか、情けないというか、素朴というか、よくもこうくだらない質問が出来て、それにシュナーベルが丁寧に答えているんだなあという感想が先に立つ代物。もっとも、副次的に「そうか!」、という情報を得られる質問も時々ある。例えば

<質問者>
「ショスタコーヴィチが交響曲第9番をベートーヴェンの第9番と比較されるのを恐れていると雑誌に書かれていました。(中略)何故、人は過去の作品と比較されるのを恐れるのでしょう」

<シュナーベル>
「ショスタコーヴィチがベートーヴェン並に偉大かどうかという質問でしたら、それには100年後には答えられる質問ですとしか言えません。あなたはショスタコーヴィチは、ベートーヴェンと同じくらい偉大だと言うのですか」

<質問者>
「(私の質問は)何故、人は、交響曲の番号にこだわるのでしょうか」

これに対する回答は記さないが、シュナーベルは丁寧に答えつつ、ショスタコーヴィチは彼のベストを尽くしているでしょうと述べている。質問は下らないのだが、少なくともこの時点においてアメリカでも「ソヴィエト・ロシア政府」の期待というものに困惑するショスタコーヴィチの姿が知られていることは分かっただけ良い質問であった。

まあ、こんな感じの質問や、演奏家シュナーベルに関する質問が多い。作曲家シュナーベルについては、自伝部分でも殆ど語らず、質問コーナーでもちょこっと触れているだけ。その中に、作曲は一種のHobbyですよ、と謙遜して述べたら、お間抜けなアメリカ人が、以下のような質問をした(感じを出すために英語のまま書いておく)。

Voice "You felt you were cheating, then when you composed?"

Schnabel " Cheating?"

Voice "Yes"

Schnabel "No, not exactly. I am very happycomposing, am not even interested in the value
        of my compositions, just interested in the activity."

全然分かっていない、こういう時は、どんな作品ですか、ピアノ・ソナタを演奏してください、とか作曲家としては無名のシュナーベルについて問いただすのが礼儀・社交辞令だと思うのだが、歴史も文化もないけど穀物の先物取引には長けた野蛮なシカゴの民にはシュナーベルの言い回しは高級すぎたようだ。

さて、何故ラヴェルやドビュッシーを弾かないのか、とか最近の作品を何故弾かないのか、とか質問された中で、皆が同じタイプのピアニストで、同じ作品ばかり弾く必要はない、例えば、プロコフィエフの「三つのオレンジへの恋」のピアノ版を弾くヴィルトーゾは、ベートーヴェンのハ長調のポロネーズを知らないだろうけど、私にとってはベートーヴェンのポロネーズの方が良いね、と答えているので、ピンときたのが、以下の作品。



交響曲第1番
作曲:1938年
初演データ:1946年12月
             (多分) ミネアポリス
       指揮:ディミトリ・ミトロプーロス
       演奏:ミネアポリス管弦楽団

CD:CP2 109
   指揮:ポール・ズーコフスキー
   演奏:BBC交響楽団
   1楽章:Molto Moderato,un poco grave
        (15分07秒)
   2楽章:Vivace (6分10秒)
   3楽章:Largo con devozione e
        solennita (11分36秒)
   4楽章:Allegro Molto e con brio
        (10分25秒)


交響曲第2番については、折に触れて片山氏が触れているが、2番がある以上、1番もあるのだ(因みに交響曲はCDのジャケットにも書かれている通り3番まである)。全部で44分の堂々たる大交響曲。

その作風は、上記の本でとある聴衆が、「無調で書かれているんですよね」と質問したのに対して、「単に無調で作っている訳ではないのですけど」と答えているように、無調的な色彩が濃い、ゴツゴツとした作品。この交響曲第1番に限らず、これまで聞くことが出来た彼の他の作品も似た様な、歯ごたえというか耳に堪える作品で、本当に、あのベートーヴェン弾きとして知られ(楽譜の校訂も行なった)、シューベルトのピアノ・ソナタの普及に努め、ブラームスの若き知り合いであったとは信じられない作風。しかし若き頃、シェーンベルクの指導の下「ピエロ・リュネール」の演奏を行い、米国時代もシェーンベルクと親しいことを隠さない(「彼はからかうと面白いんですよ」)ことからも、無調に心惹かれているのは確か。作風的にはより穏便なエゴン・ヴェレスや、エルンスト・トッホの交響曲が聴けるならば十分聞けると思う。それにしても次々と曲想が変わるので追いかけるのが大変である。

ところで、話戻って、何でピンと来たのかというと、この曲の最終楽章の終わりの部分で、プロコフィエフの傑作オペラ「三つのオレンジへの恋」に出てくる旋律をよりグロテスクに模倣しているんだな(まあ、常套句的旋律とと言えばそれまでだけど)。お手元に楽譜があるならばp.615、練習番号519から始まる上行・下行する音、ヴァイオリンがやっています。組曲ならば一番最後に出てくる旋律。もっとも、よく考えるとバルトークの「中国の不思議な役人」の1曲目でも可だな、いずれにせよ両曲のように心地よく、あるいは整って不気味に響かず、もっと異形というか阿鼻叫喚の響きの果てに、あっけに取られるエンデイングを迎る作品。1910、20年代の無調、モダニズムにシュナーベルが大きく影響されていたことは確かで、この点ではほぼ同じ年生まれのクレンペラーと同様。そうした趣味・嗜好があるので、次のような評価を1945年当時のストラヴィンスキーに対して下してしまうんだなあ、シュナーベルは。

Voice " Some of Stravinky's music seems to me greatly inferior to other works of his. As
      you said a while ago, a composer composes as he has to compose. I feel that in his
      case many times he has composed as a pose."

Schnabel " I would not say so. He experiments, like Picasso in the field of painting. Maybe it
        is a kind of parallel case - Stravinsky with his many styles, and Piccaso with his.
        I am, however, convinced that in every case he did his best."

Voice " You think it was a compulsion?"

Schnabel " Yes, He could not do better. But I agree with you that some of his works are
        very disappointing. Thinking of the sparkle and freshness of his Petouchka, its
        great vitality, energy and temperament - and thinking of some of his later works
        of which I am very fond, I was deeply depressed and saddened when I heard a
        concert last year with works which were below the expected level."

今年2003年が生誕100年のアドルノによる「新音楽の哲学」(1949年出版)を彷彿とさせる発言ではないか!!

なお、この本の英語は、ドイツ語が母国語のシュナーベルが英語で行なった講演なので、単語・文法ともに平易、それでいてブルックナー、ブラームスとの出会いや、トランスクリプションやオペラで歌われ言語の問題(戦前、原語主義はコヴェント・ガーデンだけだったとか)、アインシュタインのモーツァルト伝、1920年代と30年代のロシアの音楽事情など、シュナーベルの考えや19世紀末から戦間期の音楽界の状況が知れるのでお勧め(ちょっと文章が単調なので、時々読むというのが良いかも)。