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1.じょにーは演奏しなかった

2月14日 ドレスデン その1

2月14日曇り
いつも通り朝7時に起床。ホテルのビュッフェでハム・卵類主体の朝食を食べました。いつものことですけど、海外旅行をしている方が家にいるよりは朝食の充実度ははるかに高いです。
8時前にはチェック・アウトしました。ハンブルクは、空港までの道がかなり混む、特に朝方はと聞いていたので、早めに出るためでした。市内(ハンブルク中央駅)から空港まで約30分、38マルク弱で到着。チェックイン時刻は8時50分までということでしたので、正しい決断でした。しかし、ハンブルクに限らずドイツの大方の町は市内と空港がとても近いです(ミュンヘンはちょっと遠いですけど、成田・東京間に比べれば安いし近い)。
ハンブルク空港は4つの建物からなっているようでして、ルフトハンザはその中の第4ターミナルをほぼ独占しているようでしたが、ミュンヘン・フランクフルト同様に鉄の骨組みとガラスの壁で出来ている巨大な空港です。そう離発着があるとは思ないんですがとても横長で登場口がとても多いのです。本日はドレスデン行きの飛行機に乗るために、62番搭乗口に向かいました。

登場時間になりゲートのところにバスが着たのでどこに行くのかと思ったら、なんと飛行場のはずれの方のプロペラ機に案内されました。ちなみに、私の乗った飛行機の機体番号はD-BACH、マニフィカトですな。

ハンブルクからドレスデンまでは切れ目無く雲の海が続く1時間程の飛行の後、ドレスデンに到着しました。この空港も他のドイツの空港と同じく鉄とガラスで作られていまして、徐々にデザインではなく規格なんでは?と思うのでした。
空港から市内へはいつもの通りタクシーにしました。タクシーの運転手は若い女性でしたが、それ以上にタクシーが新車のベンツC200でして、一度乗ってみたかったのでラッキー0でしたが、日本人かとわかると、何故か仲間のタクシー運ちゃんにちょっとしかめっ面をしていました、また英語もドイツ語もできない貧乏旅行者が郊外のホテルに宿を取るつもり(つまりあまりタクシー代が取れない)とでも思ったのでしょうが、ヒルトンへとオーダーすると対応が変わりました、何てこった。

タクシーから見る市内は、郊外の再開発がかなり遅れているようで、殺風景な状態でした。市内に向かう道路も拡張工事の真っ最中で、路面は凸凹していまして、さすがの新車のベンツでも乗り心地は最悪でしたが、旧市街に入ると大規模な再建現場が次々と現れてきまして、何よりも93年には崩れ落ちていたままのフラウエン・キルヘが巨大な足場を組んで徐々に往時の姿を取り戻しつつありまして、前回訪れた93年に泊まった新市街の個人営業のホテルの老主人とお互いたどたどしい英語でした会話の中で、ドレスデンの印象を尋ねられ、とても美しい町だと答えたら、戦前はもっときれいだった、また数年すれば元通りの美しさにもどるからその時に再度訪問して欲しい、と言われた事を思い出しました。
ヒルトンにチェック・インすると、今日・明日のチケットがすでに届けられていて、その場で渡されました。こうした当たり前のサービスが素晴らしいことを二日後に思い知らされるとは思ってもいませんでしたけど。

とりあえず市内観光に出発。「王の行進」の前を通ってカソリック教会に向かいました。落成250周年コンサートのオープニングをドレスデン宮廷のカソリック音楽家であったヤン・ディスマス・ゼレンカの「ミサ・プレヴィス」が飾るようです。その後、ゼンパーの前を通り過ぎて宮殿内の美術館に行き、フェルメールの「手紙を読む女」やラファエロの「聖母子」などを久しぶりに鑑賞しましたが、困ったのがフェルメールの前で絵を熱心に写生をしている女学生でして、これが邪魔で邪魔でしょうがない。どの、観光客の迷惑そうに横から彼女とカンヴァスを避けるようにしてみていました。もしかして未来のフェルメールになるかもしれないし、許可を得て行っているので、しょうがないんですけどねえ、もうちと別の絵にして欲しかったです。因みに、彼女の絵なんですが、どうみてもフェルメールではなくて失敗した陰影のないセザンヌが関の山というところでした。

市内観光をしていて前回との差で気が付いたのは、フラウエン・キルヘに限らず、ゼンパー、ツヴィンガウ宮殿、シナゴーグも含めて、市内の建物の多くに、1945年2月13日以前、翌日、そしてその後の再建の過程をしめした展示が至る所にあることでした。昔の姿に戻すには膨大なお金がかかるので、その理解を市民から得るために過日の美しい姿を示し、また進捗具合を明らかにする必要もあるのでしょうけど、同時に「過去に目を瞑るものは、現在に対しても盲目となる」ことのないように、「水晶の夜」に破壊されたシナゴーグ(元はゼンパーの設計ですが、再建中のはモダンな建物)の再建も含めて、こうした展示を行っているのでしょう。ところで、トウキョウの3月10日に何かありましたっけ?

美術館を後にしてシュッツゆかりの聖十字架教会に行きまして、止めればよかったのに鐘楼に登りました、私のような老体には大変な難行で、疲れて気が遠くなり、どこからかアカペラのマタイ受難曲が聞こえてきました(ウソ)。

さて、本日のコンサートは下記のとおり
ヴェルディ:レクイエム
指揮:ジュゼッペ・シノーポリ
歌手:ダニエラ・デッセイ(ソプラノ)
   エリザベッタ・フィオリーロ(メゾ)
   ヨハン・ボタ(テノール)←ヴィンセント・ラ・スコラの代役
   ロベルト・スカンディウッツィ(バス)
管弦楽:シュターツカペレ・ドレスデン
会場:ゼンパー・オーパー

コンサート会場にはいって一瞬異様だったのは、老人が妙に多く、幾らドレスデンが大して刺激のない町であるにしても若者の姿が少ないことでした。そして入場する合唱団、シュターツカペレの面々は黒い背広に黒いネクタイ、そしてシノーポリと4人の独唱者が入ってきても、誰も拍手せず、シノーポリ以下神妙な面持ちで挨拶をすると、曲が始まりました。そうです、昨日13日、本日14日に開かれるこのコンサートはケンペが1950年から始めたドレスデン大空襲(1945年2月13日夜から14日未明)へ追悼コンサートなのでした。

シノーポリの指揮するヴェルディを生で聞くのは初めての上に、そもそもヴェルディのレクイエムは好きでも何でもない曲でしたので、どのような指揮をするのかということにばかり注目してしまいました。
1曲目は指揮棒なしで極めてやわらかく、来日公演でも聞かせた羽のような軽さを持つとご本人は言っているシュターツカペレの音でしんみりと聞かせてくれましたが、この曲というともっぱら有名な2曲目に入ると煽りに煽って鳴らしていまして、金管もティンパニもグランカッサもこれでもかという勢いで鳴り響き、ヴェルディの指定には多分ないと思うんですが、歌劇場の3階か4階席の左右と中央に配置された金管群に対して、客席サイドを向いたシノーポリが、目の玉剥いて猛烈な勢いで指示を出していまして、劇場全体が激烈な響きに満たされました。
熱演だったのでしょう、ただ、先にも書きましたけど、私はこの曲は好きではないので、一応オッターが歌ったCDくらいは持っていますけど、まったくもって興味も共感も湧かず、もっぱら演奏中はフランクフルトに戻って「メキシコ征服」をみればよかったなあとか、メゾ・ソプラノの声に伸びがないなあというのが気にはなったり、デッセイの声もあまり張りがないなあとか思って聞いていました、つまり正直退屈していたのです。
終演後も拍手がなく、シノーポリがオケを立たせると同時に聴衆も席を立って、しばし黙祷をささげ、そのまま無言で演奏者も聴衆も劇場を去りました。

なお、当夜の公演はCD化され、その収益金をフラウエン・キルヘの再建に用いるそうです。まあ、シノーポリの指揮なんで、出来栄え如何にかかわらずとりあえず買ってみようかと思います。


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