道楽者の成り行き | |
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1.じょにーは演奏しなかった
2月15日 ドレスデン その2
2月15日晴れ
今、これを書いているのは2001年4月21日である。ジュゼッペ・シノーポリは現地時間の4月20日にベルリンでオペラを指揮中に倒れ、そのまま亡くなった。まさか、この日が彼の指揮で聴く最後のコンサートになるとは思ってもいなかった。
往々にして最後に聴いた演奏会は美化されやすい。例えばバーンスタインの最後の日本公演(ベートーヴェンの交響曲第7番<オーチャード・ホール>)について評論家の故三浦淳史は「音楽の友」におけるその年のベスト・コンサートに挙げていたが、私の耳には、もはや飛べなくなっていたバーンスタインは音響バランスも整えられず、テンポもだれていて演奏の体をなしていなかった。
だが、当夜のシノーポリの指揮は違っていた。一時期日本では過去の人扱いになっていた彼が、まさに今後のザルツブルク、バイロイトそしてここゼンパーでの総監督の活躍を十二分に期待させる出来であった。その矢先の急逝である、ファンとしてはただただ残念だとしか言いようがない。
Richard Strauss
Die Frau ohne Schatten
Musikalische Leitung | Giuseppe Sinopoli |
Inszenierung | Hans Hollmann |
Buhnenbild und kostume | rozalie |
Choreinstuierung | Matthias Brauer |
CAST
Kaiser | Johan Botha |
Kaiserin | Cherly Studer |
Amme | Hannna Schwarz |
Barak | Alan Titus |
Sein Weib | Luana DeVol |
Geisterbote | Hans-Joachim Ketelsen |
Hunter der Schwelle | Christiane Hossfeld |
Erscheinung des Junglings | Werner Gura Thomas Winter |
Stimme des Falken | Sabine Brohm |
どうにもやりきれない気持ちで一杯で筆が進まない上に、上記のように最後の演奏会は例えどれほど注意しても美化してしまうので、とりあえずは海外旅行中に記した簡単なメモを文末や表現や誤字・脱字などの体裁のみを整えて転記することとしたい。
10日のリーム「メキシコ征服」と並んでこの公演は感銘深いものであった。曲自体が私の好きなR.Straussであったこと、あるいは逆にステューダの皇后の歌唱にはちと問題があったとしてもである。
シノーポリという指揮者はいまだに良くわからない。CDと実演では違うということもあるが、それにしても、これほどアグレッシヴにオケを鳴らしてくるとは予想だにしていなかった。序曲からしてオケのテンションは高く馬力全開で、そのまま最後まで行ってしまったし、歌手も負けじと歌っていて、シンフォニックというかドラマティックな演奏であった。
歌手では、ハンナ・シュヴァルツ(今年で何歳?)のAmme役が何といっても印象深かった。普通の劇でもそうだが、脇役の細かな演技や表情付け次第で劇は生き死にする。そしてバラクとその妻、特に妻は、これが演技も歌も堂に入っていて、1,2幕の何というか生活に疲れた所も、誘惑に惑わされるところも、第3幕のバラクと呼びかけ合う部分も実に素晴らしく、シュヴァルツと並んで雄弁なオケに十分に対抗して今回の公演を支えていた。
一方、皇帝夫妻は、まあ皇帝は曲的にもどうでも良い存在なのだが、皇后役のスチューダは、第1幕では高域の声が出ない、音量コントロールが上手くいかない(弱音からのクレッシェンドがp→ffのデジタル的な変化になってしまう)。もっとも、第3幕では、ここが肝要だということかかなりがんばっていて、昨年のヴィーン国立歌劇場来日公演での「ナクソス島」の時同様に、こちら側の慣れもあるのだが、劇の進行につれて声が出るようになっていき、まあ聴くに堪えるというかオペラを台無しにしないような出来となった。
しかし、今回の公演での驚きはなんといってもシノーポリとドレスデン州立歌劇場管弦楽団であって、席の位置もあるのだが、5列22番というシノーポリの真後ろで手に届くほど近い所で座って聴いたが、場面転換の音楽をはじめとして物凄い音圧というか、音の壁が出来上がるような感じであった。私はCDで聴いている限りは、この曲はものすごく精妙な曲だとばかり思っていて、昨年1月の来日公演時でのヴァーグナーの「黄昏」ような音も来るが精妙で幻想的な演奏を予想して出かけたものだから、カウンター・パンチを食らったような衝撃を受けた。実に、3時間以上の巨大なシンフォニーを聞いているかのような錯覚に陥いった。その上、崩して演奏しているわけでも楽器間のバランスが著しくおかしいこともなかったのも驚きだ。CDと実演は別物とはいえ、シノーポリ場合はその落差も大きい上に、当たり外れもあるのだが、本日は大当たりの日だと私は思った、ファンとしての贔屓目を割り引いても。
客の入りは、それでも満席ではなかった。やはりハンブルクなんかに比べて高いからだろうか。盛装した人も多かった。
以上がメモである。なお、翌日ミュンヘン経由でヴィーンに向かうべくドレスデン空港で飛行機を待っていると、シノーポリが同じ待合室にやってきた。椅子に座るとおもむろに考古学らしい本を読み始めた。サインや一緒に写真を取ってもらうことをお願いする間もなく搭乗時間となり、彼の姿は見えなくなった。それが生きているシノーポリを私がみた最後の機会であった。