道楽者の成り行き
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1.じょにーは演奏しなかった

2月13日 ハンブルク その3

2月13日晴れ
疲労がたまりに溜まったので、午後1時過ぎまで寝てしまいました。コンサートに来て寝てしまうのも本末転倒ですから。
午後2時過ぎに昨日は閉館していたハンブルク市立美術館に向かいました。収蔵作品では私の目を引いたのは、クラシックCDのジャケットに良く使われるフリードリヒの絵(例えば、ギレリスの弾くベートーヴェンのハンマークラヴィーアや、ポリーニの弾くシューベルトの「さすらい人幻想曲。いずれもDG)ぐらいでした。ただ、建物自体が迷宮のようでして、現代美術の展示を全部見切れなかったことは割り引かなくてはなりませんし、そもそも私の住む練馬区立美術館の貧弱な収蔵作品からみれば、雲泥の差がある程立派な収蔵作品群でした。
 続いて、せっかくの港町なんだから「海」を見に行こうとU3号線で港に向かいましたが、考えてみれば「海」ではなく巨大な「河口」なんですよね、カモメが飛んでいようとも。私は、横浜的な雰囲気を期待したのですが、どこぞのさびしい感じの港町で、あらためて東京・横浜が巨大な常に「ハレ」の都市だと思うのでした(NYは知らないけど)。
 遅い昼食をラート・ケラーで取りました。ラート・ケラーというのは、市庁舎の地下にあるレストランで、大概の町にあるようです(少なくとも、ドレスデンにはありました<後述>)。時間が中途半端なこともあって、客も殆どおらず、老人と孫がショコラーテを飲んでいたり、町の老人会めいた人々が昼からビール飲んで、語り合っていました。勿論私も昼からビールを飲みましたけど。さて、ハンブルクというとドイツには珍しく実は魚料理が名物でして、....勿論注文しました。本当はウナギが食べたかったのですが、ウナギという単語がどうしてもドイツ語でも英語でも出てこず、魚のプレートというを頼みましたが、これがまたねえ、ジャガイモとソーセージとあわせた魚の細かいフライと言ったら良いのでしょうか、美味しくも何ともない、ビールで流し込みました。食後にアール・グレイのミルク・ティーを注文して口直ししました。ビール腹になるわけです。

 さて、ラート・ケラーから州立歌劇場に向かって歩いていくと、途中でスタンウェイの本店にぶち当たりました(探して行った訳ではないので)。1階はピアノ売場で、私には無縁(御茶ノ水の松尾商会にすらはいったことないし)、地下はお目当ての楽譜売場でしたので勇んで乗り込んだのですが、規模的にも品揃え的にも銀座ヤマハ店の方がはるかに大きいく良いのでした。結局、何も購入せず撤退。
 そのあとオペラ・ハウスを探すと、これが大通りに面した古ぼけた雑居ビルという感じで、裏から見ると倒産まじかな売れないデパートという風情で、壁に掲げられたマーラーの胸像も、ヴィーンのコンツェルト・ハウスのそれと比較すると心持暗い感じでした(あくまで気分の問題)。

ようやく中に入ると、地下1階にCDショップがあったので観に行きましたが、メジャー・レーベルばかりで面白くありませんでした。


BORIS GODUNOW

Oper invier Akten mit Prolog

Originale Instrumentation unter Verwendung der Fassungen von 1869 und 1872/74

Musikalische Leitung:Ingo Metzmacher
Instzenierung:Travis Preston
Buhenbild:Nina Flagstad
Licht Christopher Akerlind
Choreografische:Rica Blunck

BORIS GODUNOW:Paata Burchuladze
FEODOR:Antigone Papulkas
XENIA:Inga Kalna
FURST SCHUISKIJ:Jan Blinkhof
SCHTSCHELKALOW:Oliver Zwarg
PIMEN:Harald Stamm
GRIGORIJ/DIMITRIJ:Albert Bonnema
MARINA:Yvonne Naef
RANGONI:Egils Silins
WARLAAM:Simon Yang
MISSAIL:Martin Homrich
Gottesnarr:Jurgen Sacher


「鐘」を!


オーケストラは、ゲルギエフ盤程ではないのですが、かなり荒々しい剥き出しの音を響かせていましたが、ここぞと言うときにはちょっと迫力不足。一方歌手ですが、ボリス役、東京での「オネーギン」にも出ていたBurchuladzeが、相変わらず凄い低声を響かせていましたけど、苦悩するツァーという感じよりは、不作で苦しむ農家の旦那の嘆きという感じでしたね。まだシュイスキー公爵の方が性格的な部分を上手く出していたと思います。一方、グレゴリ/ドミトリの方は、若々しい演技と歌声でしたけどねえ、今ひとつ野心を秘めた部分が無くて平板に感じられまして、その点でもランゴーニが怪僧ラスプーチンめいていて視覚的に上回っていました。
演出は、安易かつどこかキッチュな線を狙っているようでした。しょせん茶番劇だと割り切っているんでしょうねえ、解説書の写真もステレオタイプ的な混迷するロシア的なものが多かったです。出だしはいかにもシュイスキー公爵が大衆動員をかけているかのように椅子にふんぞり返っていろいろ指示を出していて、それをソヴィエトの軍服姿の官憲が受けて、民衆にサーチライトを照らしたり,警棒で威嚇したりしていて、まあこんな感じかなと思ってみていたのですが、戴冠の場面では、押し合いへ試合している群集の真ん中に「娘道成寺」かと思うような巨大な釣鐘があって、それが吊り上げられるとさらに巨大なイコンを描いた台形の箱があり、その中からボリスが出てくる、それもボリスは白のワイシャツに紺のズボンというどこかの田舎の農夫にしかみえない出で立ちなので(シュイスキー公爵他がいかにも大貴族の風なんでよけいにそう見える)、思わず笑ってしまいそうになりました。まあ農夫っぽい出で立ちも民衆の総意からでたツァーという演出をしているシュイスキー公爵、という演出なのかもしれませんがねえ。国境線はいかにも「チェック・ポイント・チャーリー」でして、向こう側に流線型のオープンカー、アメリカと自由、が待っているという分かりやすいというか安易な演出でしたし、最後の幕でドミトリがその車に背広を着てどうみても米兵の護衛に守られて入国する様は、政治的な読みをする演出への嘲笑を狙ったのだろうかと思わせるものでした。

しかし、なによりも私が不満だったのは「鐘」です。戴冠式の場面、ボリスの死の場面、重要なシーンにことごとく出てくる「鐘」の音が録音で、天井に吊るされたスピーカーが安デパートに相応しく、音が極めて悪いので興ざめもいいところでした。私はこの部分でとてもがっかりしてしまい、聴く気力が大分そがれてしまいましたよ。

終演後は歌手陣、中でもボリスにブラヴォーが飛んでいましたけど、メッツマッヒャーで登場すると場内のボルテージがさらに上がり、あちこちの列のおばさんたちが揃って立ち上がって嬌声を上げて拍手していました、うーむ、おば様キラーだったのかメッツマッヒャーは。

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