道楽者の成り行き
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4.ROTER OKTOBERに捧げる






 2003年10月26日

ベルリン 雨時々曇り

朝11時起床

ウーラント通りから歩いてオイローパー・センターへ。昨日の帰りがけにバスの中から見たカイザー・ヴィルヘルム教会周辺のマーケットが気になったので向かう。もっとも、お昼前で殆どの店は開いておらず、幾つか食い物やアクセサリー・ショップらしきところがあった程度。結局そのまま無視してオイローパー・センター内の「大都会」で昼食を取ろうと再出発。

この「大都会」はキッコーマンが経営しており、10年前のベルリン旅行の時にも一度利用してみて、その値段の高さに辟易して、以後ベルリンに来ても利用しなかったが、今回は久しぶりにあるかないかの確認も兼ねて行ってみた。日曜日の昼間、さらに悪天候ということもあり、お客さんは私を含めて片手で数えられるほど。それに対して従業員は見える範囲で4名、うち一人がその場で調理するコックであった(ここに限らず、目の前の鉄板で調理する日本料理店はそれなりに海外ではまだ受けている)。

さて、肝心のお値段だが、お昼のメニューに「ヒレ・ステーキ 16ユーロ」と書かれていて、安い、とばかりに頼んでみた。目の前でレアに焼き、きちんとしたサラダもついており、味も良く、ロンドンが如何に物価が高いくてサービスが杜撰な所かという事を新たに発見してしまった。

食い終わってから今日はどこに行こうかと考え、まだ行っていないベルリンの新名所「ユダヤ博物館」に向かうことにした。今は閉鎖されてしまった閑古鳥氏のHPでもちょこっと書かれていた所である

この博物館の設計者は、ポーランド系ユダヤ人ダニエル・リーベスキント、そうNYの「グラウンド・ゼロ」の跡地の設計者に選ばれた人物である。入り口は新しく建てられた稲妻型の建物に隣接する建物にあり、バスから降り立つと列が出来ていた。これは、国会議事堂のドーム同様に、入館するに当たって荷物検査を行なっているためである。最近はイスラム原理主義者のテロのためにあちこちでこうした不自由な目に合っている。中に入ったら入ったで、荷物を預けるように指示され、これまた列に並ぶことになり、結局、入り口の列に並び始めてから展示を見ることが出来るまで30分以上掛かった。この間立ちっぱなしなのだが、さらに、展示が極めて長距離を歩かせるように出来ていた。階段で地下に降り、強制収容所送りにされた人々個々人の「その時」までの日常生活が展示された長い幾つかに分岐したトンネルを彷徨い、コンクリートで出来た壁に囲まれ、遥かな天井近くに少しだけ隙間があるだけで、照明も空調も何もされていない寒々とした「ホロコースト・タワー」にしばし佇み、49本の柱からなる「亡命の森」で迷い、さらに地下から地上3階まで歩いて昇って、うねうねとした展示の間を歩くだけで2時間以上。正直歩き疲れた。展示にはメンデルスゾーンの爺さんと父親、ワルターやシェーンベルク、ヴァイル等も登場するが、基本的にユダヤ人、ユダヤ教、ヘブライ語とは何か、どのような迫害を長年にわたって受けたかという展示を淡々と、しかし工夫を凝らしながら見せるようにしている。表記はドイツ語と英語なので、何が書かれているかは分かる。一回は見てもよいであろう。ユダヤ人陰謀説で右往左往しなくてすむようにはなる。なお、パレスチナでユダヤ人が何を行っているかは展示されていない。それについてはユダヤ人自身が行うべきことだということであろうか。

さて、並行してダニエル・リーベスキント自身の建築展も行われていたので、現代建築に興味があるので見に行く。これもまた面白いものであった。不採用となったポツダム広場設計コンペ案(勝利者は、日本では関西国際空港で御馴染み?のレンゾ・ピアノ)、チャールズが絶対反対したであろうヴィクトリア・アルバート美術館西ファサード設計案、そしてもちろんNYの設計コンペ案(これは実現される)などいくつもの設計案や模型があった。しかし、それ以上に興味を惹かれたのが、リーベスキント考案?の電子的な音響設計ソフト。画面上に、ヘブライ文字のような記号とそれに対応した音(2音の時もある)が書かれており、その記号を画面上で指である位置に置いていき、すべて置き終わって、視聴の上、スタートボタンを押すと、その隣の白い板にそれが順セリー、逆行セリー、転地セリー、逆転地セリーとして投影されて、その順番に鳴り響き、続いて同時に、あるいは圧縮された形で鳴るようになっている。一種の「自動セリー作曲マシーン」版みたいなものである。そこの解説によるとリーベスキントは、このユダヤ博物館の設計に当たって、シェーンベルクのオペラ「モーゼとアロン」からインスピレーションを受けたと書いてあった。ただし、未完の第3幕によってであるのが意味深い。この「自動セリー作曲マシーン」は、音の高さ、音の長さ、音色の選択まではできず、耳をつんざくような不協和音的は生み出されない。出てくるのはメシアン調の響き。色々な人が不思議な記号を組み合わせて、一枚の絵を作り、そこから音を生み出していくのを眺めて、最後の展示にたどり着くと、昨年9月7日にベルリン・ドイツ・オペラでみたメシアンの歌劇「アッシジの聖フランシスコ」の衣装と舞台装置、そしてモニターで「天使役」が自分でピアノを弾きながら歌っていた。舞台装置やそのコンセプトを書いたパンフレットと同マシーンに表示された記号が似たような感じだと思っていたのだが、同一人物だったとは。さらに、驚いたのは、2004年秋のコヴェント・ガーデンにおける「リング」の演出をリーベスキントが行うと説明されていたことだった。キース・ウォーナーじゃなかったのか?2004年の秋までがんばってロンドンに居なくては、と思いつつ博物館を後にしたのだった(何を見に行ったんだか)。

いったんホテルに戻って着替えてからウンター・デン・リンデンヘ。今日はヴェルディの「マクベス」

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