遠いコンサート・ホールの彼方へ
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Giuseppe Verdi

Macbeth


指揮:Michael Gielen

演出:Peter Mussbach

美術:Erich Wonder

衣装:Andrea Schmidt-Futterer

照明:Franz Peter David

演奏:ベルリン州立歌劇場管弦楽団

Macbeth : Lucio Gallo

Banquo : Kwangchul Youn

Lady Macbeth : Sylvie Valayre

Kammerfrau : Magdalena Hajossyova

Macduff : Peter-Jurgen Schmidt

2003年10月26日(日) 午後7時 ベルリン州立歌劇場 ウンター・デン・リンデン



伴奏さえ無ければ良い舞台

州立歌劇場の自分の席を探しに行くと、2階正面1列にずらっと日本人のおば様たちが並んで座っていて一瞬ギョッとする。オペラ・ツアーかと思いきやそうではなく普通の観光のついでに旅行会社が手配してくれたもので、オペラ自体を初めてみるとのこと。旅行会社も解説書の一つぐらいあげればよいのにと思いつつ、オペラの舞台も普通の演劇の舞台のように換わるのかとか、聴き所はどこかとか聞かれたので、一応回答。もっとも、本日の演出は舞台転換はしようがないようになっていたし、聴き所については私に回答の仕様がないのが実情。お気づきの通り、私はヴェルディは全くといって良いほど聞かない。今日の演目にしても、シノーポリが振っているので聴いた記憶が遥か彼方にある程度で、指揮がギーレン、演出がムスバッハで、この日に他によい演目が無かったという理由だけで来た次第。

ムスバッハの演出。2000年11月がプレミエで、今回が18回目。今日が今シーズンでの初日ということで最後に登場。さて、その舞台。横の壁まで含めてすべてを暗赤紫色の絨毯や色紙で完全に覆い、舞台右手、オケ・ピットの端にアーチ型の橋を作り、パルケットを1列分つぶしてオケ・ピットグルッと囲むように花道を作る。これが、実際に歌舞伎の花道にインスピレーションを得たであろうことは、マクベス夫人の歌舞伎の見栄を切るような所作ともども明らか。さらに舞台中央に丘のような部分を作り、奥に向かって緩やかに坂が上がる格好。舞台は回らず、左から右にも流れず、当然上下にも動かない。大道具もなし。人の動きと表情、声と音楽だけで勝負。そのためのお立ち台の設定。

ギーレンの指揮振り。予想された通り、速めのテンポではきはきと進行。ただし、歌手が歌うところではかなり自由にテンポや間を取らせ、それに棒を合わせており、現代音楽の守護神ギーレンも丸くなったもんだと感慨深かった。もっとも、マクダフ役のシュミットだけ一人だけ全然ギーレンとタイミングやテンポが合っておらず、ここが見せ場とばかりに好きに歌おうとしたばっかりに、2回目の歌唱の入りでオケとタイミングがずれ、途中でオケが1拍はしょって帳尻を合わせざるを得ず、さらに、最後で思いっきり伸ばしたのはよいが、最後に声がひっくり返ったというか変な音を交えてしまい、おざなりな拍手を受けていた。

ただし、それ以外の歌手、特に主役の二人、これは堂に入っていた。純白の着物を着て歌舞伎の見栄を切り、あるいは太極拳のような腕のアクションで、舞台中央から花道を移動しながら歌うマクベス夫人役のValayre、「トゥーランドット」は降板したものの、今月は立派に復帰し、満場の拍手喝采を幾度も幾度も浴びており、最後のシーンは、丘に穴が開きそこから体を乗り出して仰け反りながら歌い、暗い穴の中に消えていく迫真の演技と歌唱。少し暗めながら輝かしく余裕のある声でもあり、トゥーランドットも彼女で聞きたかったなあと思う。そしてもう一人の主役であるマクベス役のGallo、大体真ん中の丘の上で苦悩しつつ権力に目がくらみ、バンコーの亡霊に怯え、最後の強がりも無残に打ち砕かれる様を白塗りの顔と強烈な光の効果とも相俟って、その歌に引き込れた。

舞台を進める点では重要な合唱は、3人の魔女にしても群臣たちにしても、「音楽の動きに合わせた」コミカルな所作をしつつ迫力ある歌であった。

演奏も、歌も、演技も、演出も良い、しかし救いようの無いものが一つだけあった。何を隠そうヴェルディの伴奏である。どこまでいっても「ズンチャッチャー、ズンチャッチャー」を繰り返し、何故に、何処をどう読んだらマクベスの、マクベス夫人のその台詞でそんな能天気で明るいメロディーを附けられるのか?という始末には、やはり来なければ良かったかと思いつつ、ギーレンがこんな曲を振るのは二度と聴けまいと我慢して最後まで聞いてしまった。それにしても、ギーレンが例の如く明晰にすべての音を衒いもなく聴かしてくれるので、作品の救いようの無さがさらに深まり、こうして聴くと昨年12月に見たシャリーノの「マクベス」(まだHPには感想をアップしていなかった!)がいかに原作を読み込み、その世界を作曲したのかが良く分かり、昨日聞いたドビュッシーの「ペレアスとメリザンド」も、ドビュッシーが好きではないとはいえ、物凄く作り込まれた作品であることは認めざるを得まいと思うのであった。まあ、ヴェルディがこれを作曲した頃のイタリアには、柄谷もイーグルトンもハイナー・ミュラーもいなかったし、歌手の声さえ立派に聞こえるメロディーを幾つか作っておけば、台詞も演劇的な運びもどうでも良かったのであろう(もっとも、翌日のロッシーニの「セヴィリアの理髪師」を見て「そんなことはない」と思い直す)。それにしても、もう少し作り様があったのでは?という感想は、才人ムスバッハの演出と「巨匠」ギーレンの棒をもってしてもいや増すばかりであり、この作品を劇場で聞くことは、そうブーレーズが振るようなことでもなければないだろうと思いつつ劇場を後にしたのであった。


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