道楽者の成り行き
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5.放蕩者の道行


2004年3月5日 コンサート

200435日 午後8時 ゼンパー・オーパー

2004年3月7日 午前11時 ゼンパー・オーパー

ドレスデン・シュターツカペレ 2003-04年シーズン 第9回コンサート

曲目

        ヤニス・クセナキス:メタスタシス 61人の奏者のための(1953/54)

  ジュゼッペ・シノーポリ:チェロ協奏曲 「愛の墓III(1977)

        ジェルジ・リゲティ:ロンターノ 大オーケストラのための(1967年)

ジェルジ・クルターク:メッセージ op.34 (1991-96)

演奏:ドレスデン・シュターツカペレ

独奏:ペーター・ブルンス(チェロ)

指揮:シルヴィアン・カンブルラン

ドレスデン・シュターツカペレのコンサートである、アンサンブル・アンテルコンタンポランやベルリンpo.のコンサートではない。昔からのシュターツカペレ・ファンには眉間に皺を寄せてしまうようなプログラムであろうが、450年の歴史、昔の名前や名指揮者の録音だけを売り物にしていては先行きやっていけないというオケ、オペラ・ハウスの危機感の現れかもしれない。また、2月末から3月第1週は非常に寒く、クリスマス・新年も過ぎて、白アスパラガスのシーズンにはまだ早く、マイセンを含め当地行きの観光客も少ないので、少し冒険を試みたのかも知れない。だが、実はこの時期はゼンパー・オーパーは「ドレスデン音楽祭 20世紀劇場音楽」と銘打ち、


    ベルク:ヴォツェック

ストラヴィンスキー:放蕩者の成り行き

ライマン:リア王

 ルジツカ:ツェラン


をそれぞれ数回ずつ取り上げている。言うまでもないが、「ヴォツェック」以外はすべて戦後の作品である。また、昨年10月にはペンデレツキのオペラ「ルドンの悪魔」も2回取り上げている。日本では想像できないほど、ここのオペラハウスは20世紀の作品を劇場で取り上げているのだ。

その点から言えば、こうした上記のプログラムもありえようが、それにしてもすべて戦後作品を3日連続で取り上げるというのは、このオケの普段の活動をほとんど知らない身にはちょっと驚きである(もっとも、他の回のコンサートはN響顔負けの泰西名曲プロが並ぶ)。例えば、ブーレーズが指揮するときのヴィーンpo.だって、あるいはアバドが指揮していた頃のベルリンpo.もこんなプログラムは組まず、もう少し聴衆に媚びた作品、バルトークの「オーケストラのための協奏曲」やシェーンベルクの「清められた夜」程度は含める。因みに、2004年〜5年のプログラムでもこうした試みは外されているので、今年限りなのであろうか、ちょっと残念だが、まあ聴きに来れないので関係ないかという気もしている。

もっとも、このコンサートのプログラムを仔細にみると、このオケの特色あるいは限界、会場(ゼンパー・オーパー)を実に良く考えたものだと思う。

どなたかこのオケを振った「春の祭典」が存在するかどうか教えていただけないだろうか?あるいはバルトークでも構わない、リズムが饗宴し、鋭い垂直の音の打ち込みが乱舞する作品の録音がこのオケに存在したろうか?そして存在したとして、それは作品の姿をどのように伝えているであろうか?私のこれまで聴いた範囲では、このオケの特色は深く美しく鳴り響く弦でありホルンといった音響であって、決して機能性を売り物にしているわけではない。また、ゼンパー・オーパーはオペラハウスというよりコンサート・ホールかと思うほど非常に良く響く。そしてプログラムの作品は、聴いた事がないシノーポリ作品を除くと、その特性・限界に沿ったあるいは演奏に違和感を感じさせないであろうと想像し得る作品ばかりである。

指揮のカンブルランを実演で聴くのは2回目。前回は、2002年9月のラッヘンマンの歌劇「マッチ売りの少女」ベルリン初演(コンサート形式)であり、また色々と彼の振ったCDを聞くが、今もってこういうスタイルだと言える自信はない。因みに、来る直前に予習を兼ねて見たオペラ「放蕩者の成り行き」のDVD1996年ザルツブルク音楽祭の講演記録)では、黒い髪に普通の髪型であったが、前回・今回は白髪になり、茶筌まげをしていた。


1曲目クセナキス「メタスタシス」と3曲目リゲティ「ロンターノ」。彼の出世作であり傑作である。Booseyから出ている楽譜を眺めると目が痛くなってくる。各奏者ごとに微妙に演奏する譜面が異なり、どうやって指揮者は聴いて把握するのだろうかと思わせる。この点は、後半の1曲目リゲティの傑作の一つ「ロンターノ」も同様であり、マイクロ・ポリフォニーと呼ばれる、細かい旋律が密集して音響の塊り─群─となって聞こえるように設計された作品である。総音列主義の作品が、理念はともかく実際には聞き分けることが不可能であることを例示する意図もあったと聞くが、そういった音楽史上の知識から離れても、十分に美しく胸に迫る作品である。ただし、傾向は若干異なる、メタスタシスは厳しい響きの音楽である一方、ロンターノはマーラーの交響曲第1番第1楽章冒頭と同様の美しさを持つ音楽である。演奏もオケの特徴と作品の違いが見事に反映された。

メタスタシスは、普段聞いている即物的で放送オケ特有のギスギスした響きによって倍加された重苦しく身が攀じ切られるような音楽からは程遠い、各楽器の入りの甘い鈍らな演奏に感じられた。一方、リゲティは、期待通り、オケの美さがフルに活用された光り輝く音の布が登場した。ベルリンpo.の演奏、レクイエムの実演では、糸の一本一本が美しく見えていたが、こちらはブレンドされた響きの美しさを提供してくれた、特に後半1/3の当り、木管・金管が改めて入ってくる部分(リゲティ作品集第2巻トラックI813秒以降)は、円やかな響きでゼンパー・オーパーが満たされ、20世紀作品であっても機能だけでなく美しい響きのするオケで聴くべきことを実感させてくれた。この実感を強めたのが、プログラム最後の作品、クルタークの「メッセージ」である。

クルタークの他の作品同様に、短く無駄のない音で書かれた楽章が連なり、最後の2つの楽章で合唱が、そして最後の楽章でようやくオケ全体が演奏に参加するこの作品を、私はペシュコ指揮BBC交響楽団@バービカン・センターのコンサートで聞いており、実は、同じ曲?と思ったほど違う印象を受けた。当夜の演奏は、クルタークにしては柔らかい響きであると思うが、いつもこの手の作品を演奏しているBBCとは気合の入れ方や楽器が違うこともあってか、遥かに、密やかに美しく、凝集度を高く感じた。

さて、最後の最後であるがゼンパーオーパーの総監督に就任する予定でありながら急逝してしまったシノーポリの作品。ブルーノ・マデルナの作曲の弟子であり、彼の名を関したアンサンブルの指揮者から始まり、ヴィーンでのアッチラ、ベルリンでのマクベス(いずれもヴェルディ)の成功でスターダムにのし上がった彼の作品は指揮ほどに知られていない。私も歌劇「ルー・ザロメ」組曲ぐらいしか聴いた事がなく、その印象は「いつの時代の作品だろう?」と思う程ベルクに似た響きの作品であった。また、幾つかの楽譜を見る限り、ゆったりとしたテンポの中、ドローンとした音が流れていく、彼の幾つかのCDの録音を彷彿とさせる作風であった。では、当夜演奏されるチェロ協奏曲はいかなるものであったか?

木管と金管による茫洋とした暗くくぐもった静かな響きが垂れこめる中中、独奏チェロが痛切なメロディを奏ではじめる。痛切なメロディといっても調性を薄っすらと感じることが出来る程度。基本的には全編この調子である。オーケストラは協奏というよりは音響的背景を形づくるだけで、基本的にチェロ独奏曲にしてもおかしくない。カデンツァと思しきところでは、種々様々なチェロの演奏技巧を長々と聞かせてくれた。その辺りの知識に乏しい私には、どれがどれということは言えないが、ペンデレツキの弦楽四重奏曲第1番のように楽器をぶっ叩くとか、弦の螺子を緩めて弾くといったこと以外の大概のことはしていた(あzつラッヘンマン・ピチカートもなかった)。中間部より後ろで若干オケはリズムを刻むが殆どそれ以外は、ルー・ザロメよりも硬派とはいえ、どんよりとした響きに終始している。しかしながら用いる楽器は非常に多彩である。チェレスタ、シンバル(釣りも含む)、ドラ、ピアノ、タムタム、グロッケンシュピール、鐘、グランカッサ、シロフォンetc、私は思わずオンド・マルトノ、オルガン、ギター、マンドリンそして混声合唱団がどこかに隠れているのではないかと探してしまうほど、楽器の種類は多いが、それらの使い方は節約気味で、まとまった音響のためでなく、ある部分部分でのアクセント付けのみである、チェレスタが最初に使われてから次に使われるのはいつかと思ってずっと観察していたのだが、最後の方で少しばかりひく程度で、退屈そうであった。近い音響としては、ベルクではなく、シノーポリの友人でもあるペーター・ルジツカの幾つかの作品。個人的には面白く聴けたので、機会があればまた聴きたいとは思ったものの、楽器編成の問題、独奏の難しさ、聴いた時のブラームスよりも重ッ苦しい響き、「愛」はともかく「墓」、あるいは「葬送」という標題も分かる響きなので、これは取り上げられる機会はもう殆どなく、ライヴで聴く機会は一生ないだろうと思ってゼンパーを後にした。

なお、当日の模様(5日、6日分)は中部ドイツ放送が録音していた。CDになるか放送されるか不明だが、音源を入手したいものだ。

それにしても、いささか軽い驚きがあったのはゼンパー・オーパーの客層である。プログラム的には、ロンドンでも東京でもベルリンでもパリでも、カジュアルな格好をする若者中心でガラガラだろうと予測していたのだが、中年以上の我こそ地元の名士とばかりに着飾った人々だらけなのである。7日は日曜日の午前中にもかかわらず、タキシードに蝶ネクタイ、あるいはドレスを着た人が非常に多く、中には子供にも正装させていたりしていた。従来からこの劇場の聴衆層のドレス・コードは他の劇場と違うと思っていたが、ここまで徹底しているとは!ジーパンの人を探す方が困難であった(私はスラックスにセーターでした)。さらに途中で帰る人が少なかった。未だに教養としての、そしてなによりも社交の場としてのオペラ・ハウスの意識が残っているのだろうか?

なお、昨年はゼンパー・オーパーの設計者であるゴトフリートゼンパー生誕200年ということで、中ではその展示や、記念切手・コイン等が売られていたので、コイン付の切手セットを購入して部屋の飾りにしております。

  ゼンパー生誕200年記念コイン&切手セット


  切手の拡大図。美しい。


  コイン拡大図、ゼンパーの横顔とゼンパー・オーパーの見取り図。


  コイン&切手セットの赤い背景の正体。サラザールじゃないのは何故なんだ?


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