女と男のアフォリズム3


 
「世界に色をつけること、それはいつも世界を否定するひとつの手段である」(ロラン・バルト)

 「どんなに慎重に考えてからの行動でも、結果として「軽はずみな行為」になってしまう可能性がある(と思っていた方がよい)」(山下晴代)

 「今日的意味での文化と芸術は、同義語ではなく、重なり合ってもいない。だから両者は完全に別物とみなすべきである。要するに、文化は芸術が終わるところに始まり、芸術が始まるところで終るのだ、と」(ギルバート・アデア『ポストモダニストは二度ベルを鳴らす』池田栄一訳 白水社 より)

 「人人はもうけるために、けなすのである」(テオドール・W・アドルノ 『プリズメン』 渡辺祐邦/三原弟平訳 「ちくま学芸文庫」より)

 「古典をわかるうえで必要なのは、『教養をつけるために本を読む』じゃなくて、『いきあたりばったりで ”へー”と言って感心してる』の方なんです。ちなみに、この私は、『夜中に ”へー”と言って空を見上げてる人間』でもありますけど」(橋本治 『ハシモト式 古典入門』ごま書房より)

 
「科学上の発見で、研究室の机に向かってギリギリ考えていて生み出されたものは少ない。・・・重要なのは、ずっと考えていること、仕事に『現役』になっていることです。あることを考え続けている人は、異質な人との対話や意外な場面で刺激を受け、新しい発想をします」(野口悠紀雄、「読売新聞」97年11月25日夕刊(西部版)のインタビューより)

「服をデザインするにあたって女性を思い描くとき、その体形はそれほど問題にはしません。むしろ問いたいのは彼女が『自分』をきちんと把握し、服の着こなし方を知っているかどうかです」
 「たとえば先日ニューヨークで見かけた八十代の女性。ごく普通のスカートに、私の作品をさりげなく組み合わせて着こなしていた。ああいう人に魅力を感じる」
 「まず『自分の目』で選び、どう着こなすかをじっくり考えて。服を着るという行為は決して手足だけの表面的な問題ではなく、脳を使うことなのですから」(十五年ぶりに来日したジョルジオ・アルマーニの言葉。12月5日付『読売新聞』夕刊(西部版)より)

「教養は一日にしてならず」(山下晴代・・・アホらしいと思われるかもしれないけど、もー、ほんと、この頃の実感なんですから)

「ネズミにクッキーを与えると、次はミルクを要求する」(「ことわざ」かもしれないけど、『エアフォース・ワン』の中の台詞。・・・だからテロリストの要求には答えるな、と。なんかフツーの生活にも応用できそう)

「Webは私の鑑である」(山下晴代)

「私の電子メールのアドレスは一つしかありません」(ビル・ゲイツ__立花隆『インターネットはグローバル・ブレイン』で、立花が「電子メールのアドレスはいくつお持ちですか?」と尋ねたのに対して

「『夫』という男は一人前の人格であるくせに、平気で『妻』というもののサポートを必要とする。『夫のサポートを求める妻』は、『だらしない』って言われるくせにな」(橋本治『絶滅女類図鑑』文春文庫P319 より)

「神話は、犠牲者なしに崩れることはない」(クリストフ・ランスマイアー『氷と闇の恐怖』樋口倫子訳 中央公論社 P109 より)

「自由は、存在するものの抵抗にあってはじめて展開される」(テオドール・W・アドルノ『プリズメン』渡辺祐邦/三原弟平訳 「ちくま学芸文庫」P91より)


「小説というのは既成の小説の持つ視点や価値観にのって書く方がずっと簡単なのだ(しかし、それはすでに小説ではない、ただの流儀に則った作文でしかないのだが)」

 (保坂和志「そうでなければ小説はノイズでしかない」『アウトブリード』(朝日出版社)より)

 


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