「私のように美しい女」第2部

私のように美しい女──あるいは、いかにして私は『オデュッセイア』を書いたか


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 私は二次元の世界に生きる「水蛇」(←サイトへ行ったら、loadmodelのプルダウンメニューから、「watersnake」を選んでください)である。けれど私は悟性を持った生物である。だから私は、自分がどんなものであるか理解している。私はJavaアプレットというプログラミング言語で作られ、インターネットに接続された、ある種の条件を持った閲覧ソフトで、動いているところさえ見ることができるようになっている。

 「毛虫」とか「芋虫」とか「三角形」とか「アメーバ」とか「背高のっぽ」とか、私にはほかにもたくさん仲間がいる。私の生きる環境は、パネルキーで、「重力」「摩擦」「バネ」などが制御可能である。もちろん、私自身の力ではどうにもならないが、それは、今、コンピューター画面で私を見ている「あなた」によって、どうとでも変えられる。マウスのポイントで、私の体の任意の一点をつつき、「上」に持ち上げて放り投げたり、引っ張って苛めたり、することができる。

 私は点と線でできていて、ほかの仲間も同じ素材でできている。また、「あなた」は、これらの材料を使って、「あなた」のマウスで、「あなた」自身の創造物を形作ることもできる──。

 だが、今は、そんなことより、私の「思い出」について話そう。そうだ、私だって、記憶というものを持っている。あれは……いつのことだったか……。3000年ほど昔だったか。私がこのようなコンピューター画面の平面に住んでいず、エーゲ海はクリューセー島の、女神アテネを祀る岩場の神殿に棲んでいた時のことだ。アテネの神殿は水の中にあって、訪れる人もなく崩れかけていた。あれは、トロイア戦争へ行く途中だったか。戦争に勝つために、その神殿に犠牲を捧げよとの予言が下った。その神殿の場所を知っていたのは、ピロクテテスだけだった。彼は弓の名手であった。彼はオデュッセウスの一行を案内して、その神殿にやってきた。そのとき、私はその男の足を咬んだのだ。やがてその男の足は腫れ上がり、毒がまわり、歩くこともままならなくなった。オデュッセウスの一行は、傷が化膿した苦しさにうめき声を上げるピロクテテスがいては、戦士たちの士気を低下させると、途中のレムノス島に置き去りにしていった──。

 彼はその島で、激しい腫れ物の痛みに悩まされながらも、生き延びた。何年も。

 そしてふたたび、オデュッセウスがやってきた。かつてのピロクテテスと同じような、純真無垢な青年を連れて。トロイア軍との闘いのためには、ぜひとも、ピロクテテスの持つ弓がいる。その弓は、ヘラクレスから彼が賜った特別な弓なのだ。オデュッセウスは、お供の純真な青年ネオプトレモスを使って、ピロクテテスを騙し、彼の弓を手に入れた。哀れ蛇の毒に苦しむ青年は……。結局のところ、ネオプトレモスが故郷まで送っていくことになった。

 3000年も昔のこの話を、約500年後、ソフォクレスは劇に仕立てた。

 私が今、こんな古い思い出話を持ち出して語りたいのは、ほかならぬ「毒」のメタファー。「毒」こそはきらめき、「毒」こそは青春。また「毒」こそは、時間を越えて生き延びるなにか。「毒」こそはプログラミング言語であり、「毒」こそは、「あなた」が、constructしうるもの。


 私は休暇中であったが、どういう方法でか当局は私を見つけ、指令を送ってよこした。なんたってコンピューターのない時代である。指令は、真っ白な伝書鳩の脚に結びつけられていた。それにしても当局は、どうやってこの私を見つけたのだろう? 私はオーストラリア大陸で、フリー・ロック・クライミングに精を出していたというのに……。

 しかし今はそんなことを考えている場合ではない。

 「Sorry, Ms Hunt...休暇の邪魔をして、きみは行く先を告げずに出発したから、われわれは探すのに苦労したよ。……さて、今回のきみの使命だが、オリンポス山より盗まれた魔法の薬を取り戻すことにある。その際、キマイラ退治で名を馳せた英雄、ベレロポンテスと組んでくれたまえ。彼の居所はきみが探してくれ」

 当局はいつだって、最小限の情報しか与えず、最大限の仕事を依頼する。普通の人間ならお手上げだが、そこをなんとかするのが、スパイというものなのだ。

 いわばスパイとは、「お題」だけを与えられて、思いもよらぬ豊かな物語を作っていく作家のようなものなのだ。事件はなにで、敵は誰で、方法はなにで、相棒はどこか、すべて彼あるいは彼女自身が明確にしていく。あるいは、当局は、難題だけを与えて涼しい顔をしている数学の試験官のようなものだ。しかも、私の生きる時代は、ありとあらゆるハイテク機器はまだ、思いつきさえもされていない。

 なんという時代だ、実際……。

 相棒の居所を知るのに、神託にお伺いをたて、敵を探して馬を駆る。そして武器は、青銅の槍ということになる。まあ、人口も情報も極度に少ない時代ではあったが。

 そんな時代にスパイなど存在したのか? したんだよ、それが。

 うーん……なんていうか、すべてが抜け落ちていく。通信衛星を利用した位置確認も、デジカメを利用した情報の読み取りも、赤外線を利用した情報のやりとりも……。

 で、今回の「事件」とは、どんなことだったの? 「オリンポス山より盗まれた魔法の薬」、それは、ペガサスという名の天を駆ける馬であった。盗んだものは、ベレロポンテス、つまり、私の相棒になるはずだった男で、盗んだ目的は、なんと!

 なんと! その馬を競売にかけてがっぽり儲けるつもりであった!

 「いやはや、Ms Hunt、お手柄であった。しかしよく、この事件の謎を解いたね」
「歴史がすべて教えてくれますわ」
「休暇の邪魔をしてすまなかった。さあ、どこへなりとも行ってくれたまえ」
「今度は行き先をちゃんと言ってから出かけます」
「いや、行き先を言ってしまったら、休暇ではないよ」

 ……てな会話があったとしても、ハイテク機器のない時代には、心ときめかすアクションなし、芸術品を思わせるスピード感なし、おまけにいい男とのロマンスなし。嗚呼……。


 私は自分で言うのもなんだが、「いい年」して、まだ、「プレイガール」を気取っていた。この「プレイガール」って言葉、気に入って使っているわけでないし、すでにダサい響きのあるのは承知のうえだが、この私の現状をひとことでもって表現するのに、ほかに適当な言葉を思いつかない。
 実際私は、四十代も後半なのに、もてていたんだ。オカマたちがやっかみ半分で、「あのルックスならしかたないわ」と囁きあっているのを耳にしたものだ。
 当然のことながら(なぜ、「当然のことながら」なのだ?)、私は、少年のような若い男と出会い、恋に落ちた。当然のことながら(なぜ、「当然のことながら」なのだ?)、彼は、不治の病で、あと1年の命だった──。

 このハナシの教訓は?___イイトシヲシテ、オノレノスガタヲカエリミヨ、だった。

 容赦なくも温かく、「現実」を映し出す鏡に向かって私は言った。「なぜ? なぜなんだ? なぜ、まったく同じ年齢、同じシチュエーション、同じケツマツで、リチャード・ギアだと、『許される』のか?」
 すると鏡は答えた。「べつに、『許して』なんかいませんよ、あっちが勝手にやってるだけで」

 たったひとつだけ、「同じ」とは言えない、「シチュエーション」があったな。それは、若き日のアバンチュールで作った子供が訪ねて来るところ。この場合、「プレイガール」は、そ知らぬ顔して、「リサ(娘の名)だね?」とは言えない。うーーーん……。

 かくして、クリスマスの日だったか、若き恋人は息を引き取って、私は、公園の池に浮かんだボートのうえで、その娘と、娘の産んだばかりの孫を抱き、孫にミルク(瓶から)をやっている、よき「オバーチャン」なのだった。(彼との愛は、自分の身の程を顧みさせ、年貢を納めるよいチャンスとなった)。

 それにしても、この「娘」、いったいどこからやってきたのだろう?


 それはきみたちの物指しで言えば、「古代」の終わり、「中世」の始まる前。私はアフリカに生まれた。私の生まれた北アフリカは、ローマ帝国の版図に含まれ、灼熱にして豊かな街だった。ショコラ色のこの体は、きみたちが想像するように、情熱的で弾けるものを求めた。十六歳にして一人の女を愛し、十七歳にして父になった。……ああ、それから、どのような逡巡が待っていただろうか? 誰が、サルサのリズムで踊る思想家を想像できるだろうか? しかし私の中では、サルサのリズムに合わせて体をくねらせる欲望も、神への畏敬の念も同じものなのだ。___

 バスの中で、「アウグスティヌス」を読む中年女、それが、この私である。私は、この年の暮れに、ほかならぬ、ショコラ色のローマ教会司教、アウグスティヌスについて考えている。テキストは、彼が、北アフリカのタガステ出身であることは告げていても、なんら肌の色については言及していない。キリスト教の思想そのものを形作った、この偉大な思想家を描いた画家は多いが、なかでもよく見られるボッティチェリの描くアウグスティヌスの肌は、やや赤みを帯びてはいるものの、ショコラ色ではない。北アフリカ人に知り合いがいないのでなんとも言えないが、もともと北アフリカの人間の肌は黒くはないのか?

 しかし、私の肌がなに色であろうと、私がアフリカ人であることに変わりはない。私の心はショコラ色だ。サルサは、私の生まれた時代より、1700年近くも後に生まれた音楽だ。それも、発祥の地はキューバ、アフリカとはなんの関係もない。しかし、ショコラ色のその情熱は同じ種類のものだ。私は青春の日に知り合った女と添い遂げ、もうけた息子も大切にした。しかし私がローマで勉学を終え、故郷に戻ると、息子はまもなく死んだ。十九歳だった。私は人々に請われて司教になった。

 このショコラ色の司教は、ただでさえ忙しい司教の仕事に加えて、夜は執筆に励んだ。彼の思想はこんなふうだ。なぜ、私のうちに「熱」はあるのか? その「熱」はいかに癒されるのか? 神は答えられた。深く深く、おのれのなかに沈潜せよ。___それでも「熱」は消えない。その燃えるような……欲望というよりは、悔恨……。何への? おそらくは、その「熱さ」ゆえ、論争に巻き込まれ、それに答えるために執筆した。彼の思想はこうして形成された。思想とは、いつも、現実に誠実に対処することから生まれる。

 東の荒野で起こった思想は、西へ広まりポピュラーになった。こんにち誰もが、「西洋の思想」と言っている。その礎は、ショコラ色の司教が作り上げた。

 アフリカでは雪が降るだろうか? メリー・クリスマス! 長い長い「キリスト教」の歴史。人はそのどれを取って、「キリスト教は……」と言うのだろう?

 それは、北アフリカはタガステの現実だった。彼にとっては「今」を生きることだった。降るのは、悔恨、ノスタルジー……。人を許そう。あらゆる人を。せめて今宵は。

 いや、私自身が、かつて私が、言うなればサルサの熱さで、罵り憎んだ人々すべてに許しを乞うのだ。メリー・クリスマス!



 


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