『青い花』

第6部「大きくなったら何になる?」(2)


 やがて私は死ぬ運命にある。もちろん、すべての人間が、生物が、死ぬ運命にあるのだが、それにもまして、「死ぬ運命にある」というのは、その死が次の瞬間に控えているということにほかならない。そこには、「運命」などという悠長なものは存在し得ないかもしれない。しかしほかに私は言葉を知らない。運命というのは、神々がそう定められた決定事項である。エーゲ海に突き出した小アジアの突端の国、トロイアのプリアモス王の長男として生まれた私は、その勇姿、神のごとくと称えられながら、ギリシア側はアキレウスの槍に喉を突かれてその人生を終えるのである。「大きくなったら何になる?」すでに遥かな過去未来からの無邪気な歌が聞こえる。「大きくなったら何になる?」そんな問いが私に意味があるのか? 王家に生まれたことも定めなら、こうして死んでいくことも定めの私に。千数百年後に、キリストとやらが生まれるであるらしい時代に生まれた子どもにとって、未来がなんらかの意味があるとしたら、それは、生まれる前の「選択肢」としてならあり得るかもしれない。すなわち、王家に生まれるか、それ以外の貴族に生まれるか、奴隷に生まれるか。あるいは、アカイアに生まれるか、トロイアに生まれるか、それとも、どこか見知らぬ国に生まれるか。あるいは、男に生まれるか、女に生まれるか。あるいは、どの時代に生まれるか、これがいちばん重要だ。そして私の運命はトロイアの王家の長男として生まれ、今ここで死ななかったら、親の跡を継いで、トロイア王となったはずだ。だが、それは可能だったのだろうか? 要するに、私が今ここで死なない、ということは、相手のアキレウスの死を意味するのだが、それは可能だったのだろうか? あるいは、可能だっただろう。神々が、そう決心したのなら。とりわけ、あのゼウスが、トロイアの味方を続けてくれていたら……。しかし彼は、最初は味方をしていても、最後までそうするつもりはなかった。味方であったはずのアポロンさえも、この場では、敵方に譲ってしまった。なぜだ? アポロンは、われわれアジアの神ではなかったのか? そしてなぜかトロイアを激しく憎むアテネの攻略にはまり、私は武器を失い、こうしてみすみす、アキレウスの槍で突かれることになるのである。ああ、なんという、神の決定事項か。
 ヘクトル、よく言うわ。あなただって、それまで、多くのギリシアの戦士の「未来」を奪って来たくせに。すべては、因果応報、われわれの気まぐれではないのよ。確かに、われわれはギリシアの神々、ギリシア側を贔屓にするのは当然よ。だけど、よく考えてごらん。おまえの最後を後世に知らしめた物語の作者は、アジアの人間ではなかったかえ? われわれだって、結局のところ、人間の頭のなかの産物よ。あなた方が、勝手に、「運命」とか、「神のしわざ」とか名づけて、ある自然現象を、そう呼んでいるだけよ。すべては、何も決まってはいない。宇宙はまだ「ティー・ゼロ」の段階にある。
「新劇的な、あまりに新劇的な」
、ジャン・ジロドゥー描くところの、トロイアの一日、トロイア戦争が始まる前の数時間。まるで、「トロイア戦争」が、近代的な戦争であるかのような描き方。この芝居のなかでは、トロイアのヘクトルと、ギリシアのオデュッセウスは、敵対する国の首脳のような話し合いをする。ヘクトルは確かにトロイア側の総大将と言えるだろうが、オデュッセウスは、ただの使いだ。ギリシア側の総大将はアガメムノンだし、ヘクトルを殺す男は、アキレウスだ。オデュッセウスは、「ユリッス」という間の抜けたフランス名で登場し、まるでヤルタ会談のスターリンのような口を聞く___。そうだ、つまり、もし私がアキレウスに殺されなかったら、トロイアはたぶん、滅びなかったであろうし、ジロドゥーが、『トロイ戦争は起らないだろう』を書くこともなかっただろう。未来という眼鏡で過去を省察した、近代の自意識に染め抜かれた、あのような作品を。とりわけ一番最後が嫌いだ。カッサンドルの、「トロイアの詩人は死にました……。次はギリシアの詩人の語る番です」一度下りかけた幕が、再び上がり始めるのは、次にはホメロスの『イリアス』が始まることのほのめかしだと、あるテキストの注にある。
ホメロスは、ギリシアの詩人ではない。
 私が殺されるということは、つまり大砲や銃で一瞬のうちにこの身がふっ飛ぶということではない。鈍い金属が肉の中に食い込み、ぬめぬめした血があふれ出し、痛みに耐え、徐々に衰弱していくということだ。そのような状態で、私の意識は何を映し出すのか? 大空を飛ぶハゲタカか、見たこともないような未来か、異国の女の閃きにも似た姿か。ケセラセラ、なるようになるがいい。私は自分が「ヘクトル」であることさえ知らない。それは「後世」の、詩人たちがつけた名。そしてこの戦いが、「トロイア戦争」であることも知らず、この時間が、キリストと言う名の男が生まれる千年も前であることも知らない。それでもアテネが「大きくなったら何になる?」と、まだ私に問うなら、私は、考古学者になると答えるだろう。考古学者になって、トロイアのあったと思しき土地へ行って、宝探しをするだろう。黄金の冠は見つかるだろうか? 焼け爛れた跡は見つかるだろうか? 幾層にも重なる土の層の中に、アキレウスの眼差しを見つけることができるだろうか? いま、私を殺そうとして、槍を構えているあの英雄の。




前章へ

次章へ

目次へ