朱に交われば赤くなる 2008.08.02

../sake.jpgもう40年も前のことだ。高校の同級生が当時の中堅ゼネコンに就職した。(「当時の」というのは現在その会社が存在していないからだ。今、あいつはどうしているだろう?)
そいつは就職した夏に帰省してきて「いやあ、おれんとこの職場はすごいんだよ。ノミ屋が毎日来て競馬の賭けを受け付けているんだ。それに仕事が終わるとみな一升瓶からコップ酒をひっかけて帰るんだ」と語っていた。釣りバカの浜ちゃんなんてもんじゃない。もうテキヤとか鉄火場のような豪放・豪快な職場なのだろうと思った。
その後、二三年して会ったとき、彼はすっかりその職場に染まったようで、毎日お馬さんを楽しみ、仕事帰りにはコップ酒をひっかけるようになっていた。先輩の感化力は偉大である。 
あれから40年経った21世紀の現在では、いくら建設現場であろうとそのようなことはないと想像する。
いや人のことをいえたものではない。私が就職した職場では、毎晩毎晩職場の人と飲むのが習慣となっており、私もそんな習慣が身についてしまった。もちろん酒を飲むだけでなく先輩から教えられたことは多い。
サラ金の累積債務者とか自己破産者は独立して存在するのではなく、ほとんどの場合その近くに似たような自己破産者がいると新聞で読んだことがある。金銭感覚に限らず、人生や社会に対する価値観というか常識というか感覚というものは、まわりの人に感化され、また伝染していくのではないだろうか?

2008年大分県で教員の不正採用が大問題となった。教職員の採用試験を受けて点数が悪くても、教育委員会に知り合いがいるとか、県会議員に口利きを頼むとか、有力な校長に謝礼を払ったとか、まあいろいろなパターンがあるようだ。中には試験そのものを受けなくても合格した人もいたらしい。
言語道断、まったくもってとんでもないことである。時代劇なら「一同の者、獄門貼り付けを申し渡す」と言いたいところだ。
東北の私の田舎でも、そのようなうわさを聞いたことは多々ある。
娘の友人は学校の先生になりたくて何年間も先生浪人をしていた。その間はアルバイトなど半端仕事でつないでいた。結局、先生はあきらめ今では結婚して専業主婦をしている。彼女の父親は元公立高校の校長であった。当然、教育委員会とか有力な校長にも知り合いは多かったはずだが、裏から手を回すなんて卑劣なことをしない清廉潔白な親子だったのか、あるいは組合と敵対関係にあったのか、まあ、そんなところではなかったのだろうか?
先生に採用されてもはじめは山奥の学校に赴任させられ、都市部に配属されるにはまた相当な活動をしなくてはならないらしい。私の通っていた碁会所には現役や引退した校長が大勢いてそんなことを語っていた。せめてその碁会所が、謝礼の受け渡しとか、不正合格者選定の場ではなかったと信じたい。
なにごとも一方通行ということはありえず、相互作用というか相互依存の関係を持つ。裏口採用してもらえば、相手に弱みを握られたことになる。弱みがあれば相手の要求を飲まなくてはならない。
../stpsayo.gif 教員採用汚職が発覚した大分県の教育界は、古くから教育委員会と教職員組合が教職員人事などについて事前協議を行うなど、閉鎖的でなれ合う癒着体質があったという。相手が組合に入れと言えば加盟しなくてはならず、そうすれば偏った思想の宣教に勤めなければならず、戦後民主主義者を再生産するようになるのではないだろうか?
風が吹けば桶屋が儲かるではないが、私は理屈から言ってそうなるだろうと考える。

私の知り合いの息子さんが某大学に入ったが、たまたまある先生が講義でマルクス礼賛したのでそれに反論したらそれ以降在学中ずっといじめにあったという。他の科目の先生にも圧力をかけられ、就職活動も妨害されたとのこと。ありがちなことである。
たまたまあるところで地球温暖化で有名な東大の某教授の話を聴講したときのこと、休憩時間に彼がまわりの人と70年頃の全共闘時代を懐かしく語っているのを見て、この先生まさか学校で思想教育しているんじゃないかと思ったのは事実である。

なぜか、環境とサヨク思想は相性が良いのである。
あなただってご存じでしょう、クジラ反対団体や環境関連の雑誌でお見かけする名前は、人間の盾、○ー○ボート、重信支援団体などでよくお見かけします。

ひとつ勘違いしないように、
一般企業で縁故採用が悪いのかと問われれば、それは悪いことではない。お得意様の子女を採用するというケースもある。営利企業はお金をお客様から頂いて事業が成り立つのであって、直接の利害関係者との間で利益供与があっても、それが悪ということではない。そして能なしを採用した結果、倒産してもそれもまた犯罪ではない。
教職員においてなぜ口利きが悪いのかという論理を理解しないといけません。
それは法に反するからとか、口利きをしてもらわなかった人が不利になりかわいそうとか、自分が先生になれなかったので不公平だということではないのです。
先生は公僕だからです。先生は直接的には上司から命令されて働くわけですが、真の顧客は国民全体であり、より具体的にはその地域の住民です。
実際には上司の命令に従わず、国旗国歌に敬意を表さない、まさにあるべき公僕の反対を行く先生方も多い。
憲法15条1項「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。」
その住民の期待に最大限に応えなければ公僕の存在意義はなく、そのような公務員は、憲法で保証する国民の権利として公務員を罷免できるはずです。公のものを私物化することは国民に対する背任なのです。

とりとめのない話で、「朱に交われば」と大きくずれてきたぞとおっしゃいますか?
そうでもないのですよ、「朱に交われば赤くなる」というのは「主に交われば赤くなる」で教育の主(ボス)に係るとアカになるという意味でしょうか。あるいは「就で交われば赤くなる」、つまり学校の先生になりたいと就職のためそういった人に関わるとサヨクになるという意味でしょうか?
いやあことわざとには深い意味があったのですねえ〜 

今回の大分の不祥事をきっかけとして、全国の不正な教職員採用を徹底的に暴きだし、排除すれば日本の教育は良くなるのではないだろうか?
そう考えると、これは不祥事ではなく回天のチャンスではないか。何事も前向きにノーテンキにとらえる私はそう考えた。


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